十七、
四代将軍源朝子の家人達は、院により西面の武士から選抜、派遣された。身分はそのままで一時的な配転である。血気盛んな青年貴族達は当初、栄誉ある禁裏の警護から、武家の私生児しかも女子の下に就けられて、はなはだ不満であった。ところが、四代将軍の評判とともに彼等の名声も上がっていく。今や六波羅衆といえば都の名物、憧れの的である。
筆頭の藤原秀澄は、評判の美丈夫。朝子に従う秀澄は華やかな絵巻そのもので、六波羅の絢爛さを引き立てた。そんな秀澄だから女人にもてる。やんごとなき姫君や後家とも度々浮名を流す。その前科から朝子の身辺に侍らすことを、"猫に鰹節”と心配する向きもあった。が、秀澄は家人の分際をわきまえ、朝子に対しあくまでも臣下の礼をとる。任務と恋は別なのだ。
六波羅衆も男であるから、女人を意識する。朝子は主ではあるが、女子でもある。
当初、朝子は男達を避けていた。ところが、梓が男と対等に渡り合うのを見て感化されたか、楽しそうなのでマネしたくなったか、主たるもの家人とは親しく交わるべし!と寄ってくる。この頃では、男共の中に平気でズケズケ入ってくる。そのくせ、朝子は男からの接近は断固拒絶する。朝子は男に対し、かなりの偏見を持っているのだ。男は助平で酒と博打しか楽しみのない「可哀想な生き物」とまで決めつけ、蔑んだような目を向ける。ウッカリ色事の話なぞ聞かれようものなら「不潔だ不潔!」と凄まじい勢いで叱責される。かように、朝子に仕えるということは、なかなかどうして気詰まりなのだ。
実のところ六波羅の男共は皆、梓に惚れている。梓は美人で、陽気で、気さくであった。誰にでも優しい梓の態度に、勘違いする者もでてくる。朝子はこうした家人共の不穏な動きを敏感に嗅ぎつけ、先手とばかり六波羅内での色事を禁止した。ご法度である!目障りだ!屋敷内にそういうのがいると、空気が乱れる!やるなら外でやれ!とはいえ六波羅で妙齢の女人と云えば、朝子と梓しかいない。朝子は不可侵だから事実上「梓に手をだすな!」という布告である。梓は、卿ノ局より預かった大切な女人。間違いがあっては申し訳が立たぬ。とまぁ朝子は、己に間違いがないよう監視の為派遣された梓を、悲壮な覚悟で護るつもりでいた。が、朝子が勝手に気を揉むまでもなく、梓は男など眼中にない。良くて同僚、下手をすれば弟扱いで適当に手玉に取っている。気の毒な六波羅衆は、ただただ梓に一方的な想いを募らせ悶々とするばかり。
その中にあって、ひとり秀澄は泰然としている。秀澄には秀澄の女性観がある。失礼ながら、朝様はもとより、梓殿にも興味はない。色事の対象としていないのだ。秀澄の相手は外に大勢いる。他の家人共はそんな秀澄が妬ましい。とは云うものの、どうも彼の相手は寡婦とか年増が多い。しかも、何というか容貌を気にしないというか、世間一般の男ではあまり好まれないというか、まぁ醜女と言われても仕方のない方々というか、とにかくそんな女人ばかり口説く。ひとの趣味なぞどうでもいいが、あまりのゲテモノ喰いに朋輩は首を傾げる。秀澄ならばもっと見目麗しい深窓の姫君とか、いくらでも釣合おうに。そう、梓とでも。
「それだから、お主等には色事が出来ぬのだ。そもそも、高望みしすぎだ。己がどれほどの者か判っておらん。己を知れ。客観的に診るのだ。己が分析できたら、その基準から更に下げるのだ。うーんと、下げろ。地に這い蹲れ。質より量だ。俺は“必ず落ちる“という女人しか相手にしないぞ。そして本気になれ。俺はこれまで二十四人の姫君、総て本気で恋した。たとえ同時進行でもだ。モノにする、などと傲慢はならぬ。奉仕させていただくのだ。だから俺は、しくじったことがない。全て的中である。“百人斬り”大願成就までこの連勝記録は止める訳に参らぬ。よって万がうち一や二でも断られる懸念があれば、端から相手にしない」
秀澄の評では、朝子も梓も色事には向いていない。朝子はまだまだ子供で、どうかすると郁のほうが余程大人だ。朝子は、男の表面しか見ない。片や皆に人気の梓であるが、男を見透かしてる。両者は真逆の方向から「やっぱり男は駄目だ」という結論で一致しているのだ。
「女人は淋しい時、心に穴が開いた時、男を求める。ただ今、朝様も梓殿も隙間がない。自立しておられるからな。こういう女子は、男に頼ったりすがったりしない。当面、恋なぞないわ」
そもそも、朝様も梓殿も、俺達を男として全く認識していないぞ。不甲斐無いことよ、と秀澄は自嘲気味に笑った。
家人達の酒宴に、朝子が女性陣を引き連れてひょっこり顔を出した。
何時も朝子は屋敷に戻るとさっさと奥に引っ込んでしまう。しかも朝子は早寝なので、夕餉のあとの団欒などという悠長なひと時はない。六波羅ではお天道様が沈んだら、男女の同席は禁じられている。朝子から解放された後の家人達は、連日夜半まで酒と博打にウツツを抜かすのだ。
そこへ朝子が、どういう風の吹き回しか、にこやかに登場!家人達の驚いたこと!慌てて賭場を隠し居住まいを正す。朝子に見つかると、何かと五月蠅い。そうして席を作り改めて宴を開いた。平素、朝子や梓等と親しく膳を囲んだ機会がなかっただけに、男共は大喜び。せっかくなので余興をと、朝子は立ち上がり唄い踊った。静御前の「しづやしづ」一度、やってみたかったそうだ。朝子の声は真っすぐに心に刺さった。優美な舞いに一同、魂を奪われた。夢のような光景。それから、朝子は家人共にまめまめしくお酌して回った。意外と手際がいい。上機嫌、各々に愛想よく声をかける。今宵ばかりは大はしゃぎで座を盛り上げる。と、ここまでは良かったが、酔っぱらった善行が「朝様ぁーっ」と抱き着いてしまった。
「ぎゃぁあああああっ!」
朝子は叫ぶやいなや、善行を突きとばし逆上!三尺飛び下がって懐からかねて用意の菊一文字則宗を抜刀するや、善行めがけて切りかかる。切っ先は善行の衣の裾をわずかに裂いた。膳を踏み潰し、徳利が倒れ、茶碗が割れる。朝子は尚も髪振り乱し、善行を追いまわす。楽しかりし宴は一瞬にして修羅場と化した。
「そいつを殺して、朝も死ぬ!」
あまりといえばあまりの出来事に一同総立ち、呆然と凍りつき為す術なし。ハッと気づいてようやく秀澄が、朝子を取り押さえ、カブトが刀をもぎ取った。善行は庭まで逃げ出し、ようやく騒動は収まった。被害は甚大で屋内は牛が暴れ込んだかのように滅茶苦茶となった。元盛はオロオロして何故か突き指。
朝子は、壊れた膳部の上に座り込んだ。それから大声で泣きだしてしまった。恥ずかしさと悔しさと怒りと、あと訳のわからない感情が一気に込み上げ、涙がポロポロ止まらない。両手で顔を覆い幼女のようにギャンギャン泣いた。全員、真っ青になって土下座。だが、朝子は激しくかぶりを振った。
「お前等、皆嫌いだぁ!」
傷心憔悴絶望の淵。朝子は梓に抱えられ、ヨロヨロと奥に下がる。朝子の背中は哀愁を帯びていた。その姿は家人共の脳裏に「朝様も存外、可愛らしいではないか」と不謹慎にも焼きついたのであった。無論、そんな悠長な事態ではない。残った聡は全員を正座させ「あるまじき蛮行!」と厳しく叱りつけた。・・・ものの、途中で我慢できず噴出してしまった。
四代将軍源朝子が人前で涙を見せたのは、後にも先にもこの時限りである。
その後、朝子は二度と酒の席に現れない。
ばかりか「酒は魔の水である。人間を堕落させる。正気を失い身体を蝕み地獄へ誘う。全面的に禁止!弾圧すべし!」と口角泡を飛ばして大真面目に主張し、参議を困らせたという。
さて諸悪の根元、橘善行。善行は満天下の顰蹙を買った。都の男共の憎悪と嫉妬を一身に背負込んだ。今や道を歩けば五歳の童子にも石を投げられる始末。大いに恐縮して、朝子に謝罪しようとしたが丸三日、口も利いてくれない。心労のあまり一貫は痩せ衰えた善行は生涯禁酒を誓った。




