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四代将軍とも  作者: 山田靖
四代将軍記
36/83

十六、

 四代将軍源朝子は、左大臣・九条道家の邸「九条殿くじょうでん」に招かれた。

 このところの朝子の人気は凄まじい。なにしろニセモノが現れるくらいでね。ひとびとの間では、朝子が何処へ行った、何をしたと、一挙手一投足が話題となる。ところが、朝子は四代将軍ではあるが、実はすることがない。毎日参内しているが、あれは勝手に出かけていくだけである。たまに院や卿ノ局・二位法印等に呼ばれるが、あとは屋敷に引き籠って何をしているやら。連日、素顔を晒し大行列で大路を練り歩いているので、目立ってはいる。その割には、朝子の実体は見えてこない。実際、会ったり話をしたりした者は極端に少ない。だから、四代将軍を自邸に招くことができれば、ある意味、大変な実力者と認められよう。公家・武家に限らず寺社や商人等は、こぞって、あらゆる伝手や名目で、朝子を招待した。朝子は暇だし屈託がないので、何時でも何処でも誰の所へでも行くつもりでいた。ところが、六波羅には梓という怖い宰領者がある。梓はそういった、四代将軍を利用しようと蝟集する胡散臭い連中を片っ端から排斥してしまう。朝子は「行きたい」と猛抗議するが、梓は巖として許さない。梓は時折、朝子のこういった無防備さにイラつく。朝子は自分でこしらえた「四代将軍」の意味が判っていない。梓の診るところ、朝子は頭は切れるし胆も座っている。空気も読める上、気遣いもできるが、所々抜けている。

 その梓が、渋々ながら許可せねばならぬのが、他ならぬ左大臣・九条道家である。左大臣とは何かと大変なのだ。朝廷の二大勢力、院と左大臣!その均衡は、四代将軍の出現によって崩れた。今や院が圧倒している。その最大要因である源朝子そのひとが、反対勢力の巣窟・九条殿に出かければどうなるか。窮地の左大臣側としては千歳一隅、乾坤一擲、格好の餌食である。どんな罠が仕掛けてあるやもしれぬ。しかし、左大臣の誘いを無下には断れない。今回は宋から貴重な茶が届いたので進ぜようとのお達し。有力公家も多数参ずる。欠席すれば角が立つ。といって、偏食の朝子に茶が判るはずがない。

 大体、対立派閥の長ということを抜きにしても朝子は、九条道家が嫌いであった。生理的に受けつけない。何かこう、粘っこいのだ。道家は背が低いが横幅がある。顔に皺はなくつるりとしている。甲高いがねっとりとまとわりつくような喋り方。院をも畏れぬ太々しい振る舞い。尋常ならざる恰幅である。ある時なぞ顔の前に笏を持ってき突如「ふぉふぉふぉ」と妙な音を発した。と、思ったら笑っておられるのですかっ!それでいて瞬きもしていない。朝子は身の毛がよだった。根源的な拒絶反応!空気を伝わって何か感染しそうだ。目眩が、頭痛がっ。貞操の危機さえ覚える。院より年下?絶対、嘘だ!こ、この妖怪は百年前からこうして宮中を跋扈しておったに相違ない。

 でも、九条殿には美味しいものや珍しい物があって、左大臣以外は面白い。

「四代将軍たる者が、敵に背を向けられようか?否!」

 心配する梓をよそに、朝子は敵陣に切り込む勢いで意気揚々と出かけていった。


 というわけで、朝子は、九条殿の結構な庭をひとりで散策している。

 お目当ての茶は一杯いただいたのだが、ドロッと濁っている。これは大丈夫か?朝子はしばらく茶碗を凝視していたが、皆の手前飲まないわけにいかない。観念して口に含むと、これがまぁ、ぐほぉっ!うぇぇぇぇぇーっ!何じゃ、こりゃあーっ!むっ無念成り、左大臣の陰謀にはまり一服盛られたぁ!・・・と本気で疑った。が、年寄連中は何事もなく喜んで飲んでいるではないか。となれば、まぁおそらく薬のたぐいだろう。慌てて嚥下したが、よくぞ吐き出さなかったと自分を褒めてやりたい。朝子は胸がムカムカするので、手水などと適当なことを言って外に出てきてしまった。茶というものは若者には合わん!というか、あんなものを美味いと有難がるような境地になぞなりとうない。お天道様の下で大きく胸を張って深呼吸すると一寸は気が晴れた。もうあんな陰湿な座敷に戻りたくない。うん、九条殿には来ることに意義があるのだ。目的は達成したのだから帰ってもよかろう。宋の茶を飲んだと、聡に自慢できるな。


 そこへ突然「ぴきゃぁぁぁぁ」とケダモノのような奇声が響き、何かが縁側をドタバタ転がってくる。朝子は呆気にとられた。見れば、人間の子供である。こんな奥まった部屋に居るとすれば、左大臣の家族しかあるまい。朝子には見当がついた。これが左大臣の末の姫君、美子みこではないか。

 ああ見えて九条道家は非常な艶福家で、内外に多くの子女がある。摂家藤原北家九条流は、皇室と婚姻を重ね、外戚として絶大な権力を持つ。帝の生母は、道家の長女・竴子しゅんしである。

 末娘美子は十二になる。彼女も遠からず入内させたいところだ。が、道家が頂点に駆け上がるまさにその過程で成長したため、これがとんでもなく我儘に育ってしまった。それでなくとも、競争相手である卿ノ局の養女は同年で類い稀なる才媛との噂。左大臣も頭が痛い。

「おやめください!」すず、という侍女が追いかけてきた。が、美子は、すずを乱暴に突き飛ばす。そして庭の朝子に気づくと、丸々と太った体躯に憎々し気な面構えで仁王立ち。

「あっ!お前は源朝子だな」

「・・・そうだよ」

「変な恰好だな。男みたいだ」

「そなたも変な恰好だな。豚みたいだ」

 美子は顔を真っ赤にして暴れた。すずが慌ててなだめようとする。しかし力の強い美子は、すずの髪を掴んで引き摺り倒した。

「!」朝子は声にならない悲鳴をあげた。髪の毛を引っ張るな!カッとなった。我を忘れて縁側に駆け上がり、美子の頬を引っ叩いた。あ、しまった!と思ったが、もう遅い。止まらない。続けざまに往復ビンタをかました。美子は生まれてこの方、殴られた経験なぞない。初めはポカンとしていたが、やがて火のついたように泣き出した。

「ええぃっ、八釜やかましい!」

 朝子は、美子の腹に当て身を食らわし、襟を掴んで顔を床に押しつけた。

「まだ泣くか!」

 怒鳴りつけると、美子は怯えきっていやいやをするように呻いた。朝子は、美子の頬を思いっきり抓りあげ凄む。美子は弱々しく顔を左右に振った。その時である。すずが「ぎゃぁああ」と叫ぶやいなや、朝子に体当たり!美子を引きはがした。美子はすずの背に隠れる。すずは髪を振り乱し荒い息で、朝子の前に両手を広げて立ちふさがった。窮鼠、猫を咬むというやつか。

「そこを、どけ!」

「将軍様、申しわけありません。お許しを・・・」

 朝子は、すずが止めに入ってくれてホッとした。これで何とか収められる。もうせぬと、力を抜いた。朝子は、すずの後ろで震えている美子に近づいた。

「ごめんなさい、と言え」

「・・・・ご、ごめんなさい・・・」

「朝にじゃない。このひとに、ごめんなさいと言うんだ」

 美子もすずも呆然としていた。朝子は美子を引き摺って、すずに正対させ襟首を掴んで頭を下げさせた。おやめください!すずが叫んだ。

「ごめんなさい、と言え」

「・・・・・ご、ごめんなさい・・・」

「もう二度と悪いことはしません、と言え」

「・・・も、もう・・に二度と、悪っ悪いことはしません・・・」

 朝子がようやく美子を開放する。すずは転げるように駆け寄り、美子と抱き合って泣いている。朝子はゆっくりとその場を離れた。長く感じたが一瞬の出来事だった。救いは、茶会の最中で誰も来なかったことだな。まだ気づいている者もあるまい。黙って逃げるのも何だが、せっかくの茶会をこんな些細!なことで中断させるのも・・・と、そのまま六波羅へ戻ってしまった。

 あぁーっ!よりによって、あの左大臣の姫君に手を上げてしまった。美子が、すずの髪を引っ張るのを見て、頭に血が上った。あれだけは許せん。髪の毛を引っ張られると・・・痛いんだぞ。

 うーん、でもマズイなぁ。ただでは済むまい。どうしようかな。やっぱり謝ったほうがいいだろう。左大臣に何て言おうか。驚くだろうな。駄目だ、こりゃ。捕まるな。罪は何だろう。動物虐待になるのか。追放かな。南無三、四代将軍もこれまでか。苦労して築き上げた名声も、あんな珍獣によってご破算とは!クソ生意気なガキと喧嘩して官位を棒に振る、か。割に合わんぞ。これで六波羅ともお別れだ。せっかく屋根のあるところで眠れたのになぁ。・・・まぁやってしまったものはしょうがない。


 翌日、朝子は覚悟を決めて参内した。俎板の鯉状態である。

 が、宮中は何時もと変わりない。昨日の茶会に参加した公家と挨拶したが常のままだ。おかしいな?油断させといて捕縛する気かな。まさか死罪じゃ・・・そのうち、問題の左大臣が登ってきた。朝子は全身が硬直した。道家は、朝子を認め、ねちっこく微笑む。

「将軍様、昨日はどうも。相変わらず知らぬ間に、水鳥のように飛び立たれますな」

 朝子は真っ赤になって俯いた。こんな場合ではあるが、気持ち悪い。実に神経を逆撫でする嫌味な口調だ。朝子は瞑目し臍下丹田に力を込め、次なる攻撃に備えた。だが、道家はそのまま通り過ぎていく・・・はて、どういうことだ?左大臣道家と云えば極悪非道・冷酷無比・容貌醜悪・胴長短足!そんな卑劣漢であるが、性悪娘美子を殊の外溺愛していると聞き及ぶ。馬鹿な子ほど可愛いものだ。それだけにあの陰湿大魔王が、朝子の暴行を許すはずがない。ただでさえ目障りな源朝子なのだ。ここぞとばかり、あらゆる権力を笠に潰しにかかるだろう。なのに何も言ってこない。後からネチネチと?いやあの悪魔は、相手が弱いとなるや徹底的に叩く。機嫌を損ねると、道家の目はすぅっと細くなる。そのまま罪に陥れられた者は数知れぬ。己が少しでも優勢とあらば間髪容れず叩きのめす。なのに何故?えっ!ということは?左大臣は・・・知らないのか?あの騒動を!美子もすずも黙っているのか?・・・そうとしか考えられない。まさか、あのクソガキに、朝子を庇うとか恥を知るといった知能があるとは思えないからな。よっぽど怖かったんだろう。朝子は何か胸がつかえるような変な気分で一日過ごした。平穏であった。それから二・三日は飯も喉を通らぬ程心配したが、どうやら無事に過ぎてゆくようである。五日目に、朝子はようやく安堵した。痛めつけておいてよかった。成程、物事は中途半端にせず、徹底的にやるべきだ。とにかく、このことは誰にも言わずにおこう。梓にも内緒にしておいた。


 しばらくして、九条美子の評判が聞こえてきた。瘧が落ちたようにおとなしくなったという。我儘もなくなり、大人の云うことを素直にきくようになった。もう奇声を発することも、無闇に暴れることもない。突然の変化を訝る人々は、これはやはり四代将軍が絡んでいると睨んだ。

「朝様の美しい天女のような立ち居振る舞いに、さしもの傲慢な九条美子も己を恥、反省したのだ」との説が広まった。近頃、京で話題になることは何でも、源朝子の所為にされている。大概根も葉もない噂か、些細な出来事が大げさに伝わっているに過ぎない。が、これだけは当てずっぽうが的を射た稀有な例。何時もの朝子なら、噂なぞ何を言われても知らん顔で放っておく。どころか「こないだ、朝は鵺を退治したらしいぞ」などと喜んでいる。しかし、この九条美子の一件ばかりは凄まじい勢いで全面否定して歩いた。その態度がまた奥ゆかしいと、ますます喝采を浴びてしまうのだ。


 それからも何度か、朝子は九条殿へ招かれた。美子かすずに会ったら「喋ったら、殺す」と念入りに脅しておくつもりだったが、あれ以来姿を見ない。結局、朝子は二度と再び、美子と顔を合わせることはなかった。

「一期一会。今一度と望むときには、もうそのひとに逢えないものだ。だから、その時その人との縁を大切にせねばならぬ」

 朝子がこう諭すと、郁は瞳を潤ませてうなずいた。郁は、過ぎし朝子の甘く切ない恋物語でも想像していたのだろう。・・・ところがどっこい。

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