十五、
たまは、初めてお屋敷にやって来た。近在の名主・万蔵の娘。大柄でのんびりした性格。十七になる。干支はネズミなのに「ちちうし」などと綽名されていた。いやらしい、褒めてないことは本人にも判る。馬鹿にされていい気分ではないが、顔には出さず黙々と働いた。今日は祖母の代わりにお屋敷に行けと言われた。六波羅屋敷の朝様への応援は二・三軒づつ順番に廻ってくる。年寄りが出かける家が多い。たまは近所の婆様二人と出かけた。「何をするのでしょうか?」と訊ねても、笑って内容を教えてくれない。ただ「朝様は良い御方」と口を揃えるのみ。たまは外で働いたことがないので不安だったが、一生懸命やれば怒られないと自分に言い聞かせた。夜明け前に屋敷に入る。六波羅の一日は早い。既に参内の準備でごった返している。
「今日は”なつ”、”よね”か。あれっ誰だ?”ぎん”の代わり?婆様どうした?風邪?いかんなぁ。で?孫の”たま”・・・ほほう。うんうん、良い名だな」
じゃあ後はヨロシクと、朝様はサッサと御所へ出かけてしまう。座敷に取り残された。婆様達は寛いでいる。先程までの喧騒はどこへやら。急に静かになった。屋敷には女しか残っていない。しばらくして、聡、梓がやってきて座り込む。賑やかなお喋りが始まった。聡が、たまに振り返った。
「朝様は昼過ぎまで帰ってこない。あんたもゆっくりするといいよ」
四代将軍源朝子様のお手伝い!その実、農家の女達を招いての慰安であった。
朝子は百姓の貧しい生活や苛酷な労働を眺めてきた。特に女達の悲惨な境遇には心を痛める。せめて一時でも息抜きをと、彼女等を屋敷に呼んだ。明け方から晩まで泥に塗れ汗に塗れ働くだけが人生じゃないよ。偶には昼まで寝ていたり、遊んでいよう。そうしたらまた明日から元気で働けるんだ。
朝様は女達を終日、のんびりと過ごさせてくれる。休むということを知らなかった、たまは驚きで言葉も出ない。そうこうするうち、本当に皆、寝息を立てているのだ。
お天道様が真上にくる頃、朝子が帰ってきた。
「あれ?起きてるのか。やっぱ若いな。婆様すぐ寝ちゃうから、朝の相手をしてくれん」
朝子はニッコリ笑うと、たまを改めて見据える。
「デカいなぁ・・・たまという名は大きくなるのかな。よし、いいぞ。気に入った!」
たまは恥ずかしくなり無言で俯いた。
「何だ?大きいことを気にしてるのか?ふむふむ。丈夫そうで結構なことではないか。いや、実は朝もな、大女大女と散々苛められ悩んでた。ちょっと立ってみろ」
朝子は、たまと並びあちこち体を撫でまわす。
「背は・・・朝より低いな。チッ。代わりに幅と厚みがあるの。ほほぉ、乳と尻が立派で羨ましい。男は乳と尻が大好きだからな。そういうのは”助平”って言うのだ。覚えておけ」
その点、朝は損しとるからの。痩せた背の高い女は嫌われるのだと、朝子は悔しそうに笑った。ひとは上から見下ろされるのを嫌う。とりわけ男は年取ると頭が禿げる。それを上から覗き込まれるのが屈辱と感じるらしい。そんなもん、見たくもないが目に入るからしょうがない。勝手に禿げて、勝手に恥じ、勝手に怒っとる。こんな理不尽があるか!
朝子はブツブツと愚痴を溢す。たまはこんな貴い御方が何で、自分に直に語りかけてくるのか不思議であった。まごついていると、朝子は更に体を密着してくる。
「殿方というものはな、大きい小さいに異様に拘る。何かと小さいことに劣等感を抱く可哀想な生き物なのだ。で、男より大きい女は嫌われる。お互い苦労するの。そこでだ、朝が編み出した“体を小さく見せる法”を、たまにだけ特別に教えてやる」
たまはハッと頭を上げた。鼻がぶつかりそうなくらい顔が接近してきている。朝子は褐色の瞳をキラキラ輝かせ「うん」と頷いた。
「朝の家人で善行というのがおる。背丈が五尺九寸ある。ちゃんと測ったからな、朝よりデカイ。よいか、あの巨体で六尺に足りぬのだぞ。世間では朝があたかも六尺であるかのような流言が飛んでおるが、いかに誹謗中傷であるか判るだろ?ともかくだ、先ずコヤツを隣に置く。自分より大きいのと並ぶのは基本ぞ。まぁこれは誰でも思いつくがの。次が大事だ。もう片方には、うんと小さいのを連れてこい。カブトな、これがまた四尺チョイ。梓と、どっこいどっこい。これを置く。そうやって、善行→朝→カブトの順番に並ぶ。すると、“あれっひょっとして、朝が大きんじゃなくて、カブトが小さ過ぎるんだ!”という、いわば錯覚をおこさせる。で、反対側を見ると善行、背ばかりか幅も厚みもある。“なぁんだ、やっぱり善行はデカイ!”となって、朝は小さく見えるのだ」
朝子は瞳をキラキラ輝かせ弁舌爽やか滔々と語る。たまは迂闊にも感心してしまう。
「それとな、チャキチャキと動け。大きいとどうしても仕草がゆっくりに見える。目をキョロキョロさせ落ち着きなく常にソワソワしてろ。早口で喋れ。公家なんてな、特に年寄なんか小さいぞ、物凄く小さい。齢喰うと縮むのかな?ウッカリ気づかずに躓きそうになる。そこに左大臣という厭な奴がいてな、これがまた背は低い横幅広いで、ほぼ四角!転がして遊びたくなる程だ。それでも、貫禄というか、傲慢不遜な態度で、誰よりも大きく見える。左大臣は踏ん反り返って滅多に動かん。息もしてないんじゃないかというくらい。目でチロッと合図するだけで皆震え上がる。朝は左大臣を詳細に観察して“これだ!”と膝を叩いたね。小さき者が大きく見える工夫をしておる。この真逆を実行すれば、朝は小さくなれるとな!」
すっかりご機嫌の朝子は己の衣を、たまに与えた。絹の上等である。これまで裾から手足が長く露出してるのが恥ずかしかった。でもこれなら・・・誂えた様にピッタリ!
「朝にはまだあるからな。たまも年頃なのだから一枚くらい、いいだろ?」
それから朝子は、たまに化粧を施してやった。たまは胸がドキドキした。朝子はいい匂いがした。たまは生まれて初めて白粉をつけられ顔がヒリヒリして頭が熱くなった。出来たぞ、と鏡を見せられたら中にお姫様がいた。何だか判らないけれど「わあっ!」と泣き出してしまった。涙の筋が黒く伝う。「しょうがないの」朝子はもう一度、たまに化粧してやり「もう泣くなよ」と肩を抱いた。
「よしよし、可愛いぞ」
また来いよ!朝子は小首を傾げてニッコリ微笑んだ。
「この阿呆!何時までほっつき歩いてるんだ!」
たまの顔面に父親の拳が飛んだ。夜遅く、たまは化粧し絹の衣を羽織って浮かれて帰ってきた。娘の身を案じていた万蔵は怒りを抑えられない。何の真似だ?気でも狂ったか!何処で盗んできた!
たまは「朝様に貰った」と訴えたが、尚も打擲。祖母ぎんが「儂が行かせた、儂が悪い」と泣いて詫びても聞く耳を持たぬ。万蔵は、たまを土間に蹴倒し「二度とお屋敷に行くな」と怒鳴った。
「朝様が甘やかすから・・・近頃、女共が図に乗るのだ。分相応というものがあるわ。朝様とはな、身分が違うのだ。それを浮ついて、変に色気づきやがって。大体な、朝様が俺等百姓に優しいのは何故だか判るか?朝様は宮中じゃ相手にされんのだ。清和源氏ったって、公家から見れば大した価値もない。更に母様は白拍子だぞ。虫けら同然だ。人間は生まれながらに身分が定まっておる。その境遇から出ることはない。落ちることはあるが、上がることは決してない。百姓は米を作っておれば良いのだ。朝様はな、定められた枠を破ろうととしている。だがな、無理だ。塀に卵をぶつけても穴は開かぬ。カラスを白く塗っても鷺にはならぬ。牛に対抗したカエルが、己を大きく見せようと思いっきり息を吸い込む話を聴いただろう。カエルはどうなった?どんどん息を吸い込んで腹は膨れ上がり・・・遂には弾けてしまうのだ。それが、朝様だ。朝様も何時か破綻する・・・」
万蔵は弱々しく呟き酒を煽った。たまは土間に突っ伏して泣いた。厭だ、もう厭だ!お父は嫌いだ!お母も嫌いだ!婆ちゃんも嫌いだ!百姓なんて大嫌いだ!
京は六波羅の東、月輪に曲直瀬なる法師が隠棲している。元は下級貴族であったが世を儚んで出家した。以来二十年、粗末な庵を結び、花を愛で虫を友とし、俗世の喧騒に背を向けて生きてきた。今宵も酒一合呷り、ぼちぼち寝ようとした時、表を叩くかすかな物音が聞こえた。はて?今時分訪ねてくるとは・・・誰ぞ死んだか?ヤレヤレと体を起こし表に向かった。「開いておる。入ってこい」返事がない。曲直瀬は舌打ちして戸を開けた。すると目の前に大柄な女が立っているではないかっ。驚いたの何の、曲直瀬は腰を抜かした。
よく見れば女は若い。まだほんの子供ではないか。狐狸妖怪の類ではなさそうだ。上等の衣を羽織っているので貴族の子女と、曲直瀬は睨んだ。涙の痕で化粧が崩れている。男に拐わかされて逃げてきたのか?震えているので、とりあえず中に入れた。何処からきた?名は何という?と問うても、娘は口の中でモゴモゴと呟くばかりで要領を得ぬ。はて困ったな。番役に届けねばならぬがこんな夜中だ。といってこのまま女子を置いておく訳にもいかぬ。それも美女ならまだ考えようもあるが、牛のような大女なのだ。せめて愛想でもあれば良いのに、俯いてメソメソ泣くばかり。曲直瀬は途方に暮れた。
騒ぎに気づいた隣の作左が顔を出してくれたので、曲直瀬は救われた。顛末を話すと、作左も大いに驚いたが、大柄・・・化粧・・・衣の上等・・・娘の素性にハタと思い当たった。
「儂は都大路で四代将軍様の行列を拝んだことがる。その時、確かに見た。この御方は源朝子様に間違いねぇっ!」
鄙びた庵に源朝子がたった独りで潜伏との報に、京都守護・伊賀光季は躍り上がった。千歳一隅、またとない機会ではないかっ!大番役の石垣吉圀に命じ、月輪を急襲!ところが捕えてみれば女は、真っ赤な偽者。図体ばかり大きな百姓娘であった。庵主も近隣の者も勝手に源朝子と決めつけ崇め奉っていた。当の本人は飯を喰らい寝ていただけ。大山鳴動して鼠一匹、石垣は大いに面目を潰し赤っ恥。捕縛した女の扱いに困り、六波羅に連行。衣を盗んだ下手人として引き渡したのである。仇敵同士、妙な取引となった。
「衣は朝がやったものだ。たまには何の罪もない」
朝子は万蔵を呼び、叱らぬよう頼んだ。万蔵、恐れ入るばかり。それでも朝子は何度も何度も、万蔵に頭を下げた。
それにしてもだ、朝に化けるならもっと威張れよ、贅沢しろよ、遊べよ!
腹いっぱい飯喰って昼まで寝る・・・たまよ、それでいいのか?それで満足か?それが望みだったのか?こんなので幸福なんて哀しすぎるだろ・・・
朝子は不機嫌に黙り込んで厠に籠り、しばらく出てこなかった。




