十四、
朝子は故知栄院昌恵の弟子で法名「春香」、その割に勤行なぞ一切しない。浮世が修行なのだと宣う。形よりも気持ち、仏は心の中にあり、と偉そうに説く。本当は経など知らないんじゃないかと、専らの噂。出家は鎌倉の魔手から逃れる方便であったろうから、さもありなん。内緒だが、正式に得度はしていないらしい。「まだ若いから」と先延ばしする間に、師昌恵が亡くなったとのこと。無論、修業は厳しかったようである。朝子は、昌恵を恨むわけにいかないから、怒りの矛先を神仏に向けるのだ。
「神も仏もあるものか」と事ある毎に、朝子は息巻いている。生者必滅会者定離。明日ありと思う心の仇桜。ひとは死んだら何もない!前世も来世もない。極楽も地獄もない。輪廻も転生も因果も応報もなんにもない。それが証拠に、公家も、武家も、出家も、百姓も、皆等しく死ぬ。そして天地開闢以来、死んだ者が生き返ったことなぞ、皆無!
そうやってたたみかけ、郁を怯えさせ泣かすのだ。
六波羅には近所の農家から女達が手伝いにやってくる。朝子は彼女等とよく喋った。聡や梓も加わり賑やかになる。貴人が下賤と親しく交わることは滅多にない。朝子が頓着しないから、聡と梓も感化された。話してみれば女同士、意気投合するものだ。今ではすっかり馴染んでいる。が、郁はこうした場に決して出てこない。郁は依然、お姫様なのだ。
「とし」という老女が近頃顔を見せぬ。はて、どうしたかと訊くと患っているという。
「それは、いかんな」
朝子は参内の帰路、としの住まいを見舞った。京も加茂川を越えれば田舎である。六波羅は広大ではあるが、農村部なのだ。ことに平氏都落ち以降は寂れ、人より狐狸のほうが多い。その僅かばかり点在する集落に、朝子はイキナリやってきた。突然のことに、戦か火事か、はたまた天女が舞い降りたかのような大騒ぎ!
風通しの悪い今にも崩れそうな小屋に、としは寝かされていた。としの息子や嫁はどうしてよいか判らず右往左往。朝子が入っていくと、としはビックリして床に起き上がろうとする。朝子は手で制してゆっくりと寝かせ、それから少しばかり話をして戻った。
数日後、としは息を引き取った。眠るが如く大往生。としは今わの際に、生涯で最も大切にされた。家族はもとより村一同が、涙ながらに朝子に感謝。年寄りの中には、自分の時も朝子に来てほしいと真顔で願い出る者まであった。
「・・・婆様、達者そうだぞ。二十年も三十年も待てんな。朝のほうが先に逝きそうだ」
「とし殿に何をお話しで?」
「別に・・・ありきたりな話。よく坊主共がやってることだよ。死ぬのは怖くない。これからいくところは戦も飢饉も病もない。としの良人がお待ちかねとか云々・・・」
「朝様は、人は死んだらなにもない。極楽も地獄もないとおっしゃってましたが」
「うん、ないよ。いいか郁、寝てるとき意識がないのに、死んでそんなのあるわけがないだろ?」
「だったら・・・」
「嘘だよ、嘘!嘘嘘嘘、ぜーんぶっ嘘!」
「でも・・・」
「郁、憶えとけ。朝はな、嘘吐きなんだ。よいか、人生で大事なのはハッタリぞ。朝なんか身体の八分はハッタリで出来ている。残りは・・・そうさな愛嬌かの」




