表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四代将軍とも  作者: 山田靖
四代将軍記
32/83

十二、

 四代将軍源朝子は,天真爛漫で人懐っこい、いつもニコニコしている、との評判であるが素は大分違う。内と外では正反対なのだ。外出先では誰にでも愛想よく振る舞うが、六波羅に戻るやいなや、仏頂面で押し黙る。お供の家人達は、その落差に驚く。まぁ好意的に解釈すれば、張り詰めていた緊張の糸が解けるのだろう。朝子の本来は陰気なのだ。決して梓みたいな陽性ではない。きちんと正装し、しっかりした所作、背筋を伸ばし指先まで凛とした朝子は、屋敷に入ると淡雪の如く消えてしまう。さっさと着替えて洗いざらしの小袖でフラフラしている。とにかく態度が悪い。伏し目がちで小声でボソボソ喋る。話しかけてもロクに返事もしない。疲れた、疲れた、と何時もゴロゴロしている。とても満都が熱狂する同一人物とは思えない。

 朝子はよく隅っこのほうで、背中を丸め膝を抱えて顎を乗せてぼんやりしている。ある時、梓が覗き込んで思わず悲鳴を上げた。

「朝様!どうなされましたっ?!」

 朝子は全くの無表情だったのである。死人のようであった。瞳には何も映っていない。

 朝子のほうが驚いた。表情が戻って不思議そうに、

「?どうもしてないよ。ぼーっとしてただけ」

 梓は、朝子の中に深い闇を垣間見、怖気づいた。

 かと思うと、急にはしゃいで家人にちょっかいを出す。郁を揶揄からかって泣かす。

 御所にもいた聡は、朝子のあまりのだらしなさに始終お叱言である。そうなると朝子は拗ねてしまう。朝子は「人前では決して感情を表にださない」と、自分で思っている。が、丸わかりなのだ。朝子は不快感を抑えられない。イラッと音がするくらい顔つきが変わる。ピリピリした怒気を播き散らす。それでも本人は、周囲に気を使い家人に悟られないようにしているつもりでいるから、タチが悪い。

 機嫌を損ねると朝子は厠へ入って出てこない。六波羅屋敷には立派な厠があるのだ。かの平清盛が虫一斗ひり出したとして名高い。朝子は、この由緒ある厠に籠城してしまう。毎度のことで「天岩戸隠あめのいわとがくれ」と呼ばれている。こうなるとまるっきり子供で、とても梓と同い年には見えぬ。世間では子の二人や三人産んでいる齢だろうに。一同呆れるが捨て置くわけにもいかず、厠へ使いを出す。結局迎えにいくのは、梓の役目。梓は頃合いを見計らって「いい加減に出ていらっしゃいまし」と声をかける。朝子はうつむいたまま口を尖らせ無言でゴソゴソ這い出してくる。


 朝子は誰よりも早く起きる。そして夜は誰よりも早く寝てしまう。昼は働き、夜は寝るべきだというのが持論らしい。お天道様に当たって米も人も育つと、朝子は云う。お天道様が沈むと力が抜けるそうだ。朝子はお天道様が好きだ。よく晴れた穏やかな日中なぞ、大きく伸びをして全身で日光を浴びている。長い手足をバタバタ動かして珍妙な踊りをする。一方、夜というか、暗がり、闇を、幼子のように怖がっていた。雨も嫌いだ。そして寒いのは辛いと、冬を憎んですらいた。暖かい春が好きだ。夏は暑いから駄目。秋はもうすぐ寒くなるかと思えば鬱になる。年中、春ならいいのに!なので、法名も“春”香にしたと云う。

 朝子は早起きなので、気が向くと庭の掃除なんかしている。驚いた梓が「そういうことは下人がいたします」と止めても「いいから、いいから」ときかない。油断すると、水を汲んでいる。梓は呆れる。仮にも将軍なら他にやる事があるだろうに。

「飯炊きも薪割も、役割が決まっております。朝様が勝手になさると、その者がやる事がなくなります」

 この時の朝子の様子を、梓は忘れられない。朝子はビクッと顔面蒼白となり震えるような小声で「もうせぬ」プイと奥に引っ込み、例の厠へ籠ってしまった。梓は困惑した。何が気に障ったのだろう?下人の仕事を奪っている、非難された、とでも受け取ったか?梓には理解不能であった。朝子には、時々こういうことがある。何かに過剰に反応するのだ。朝子には朝子だけの倫理があるようだ。その基準や沸点、逆鱗のようなものが何処にあるのかは到底計りかねる。

 それから朝子は一切家事をやらなくなり、のそのそしてる。

「梓が、何もするなと言ったんだもん」

「誰が寝転がれと申しましたか!」梓が大声で叱り飛ばす。朝子がムキになり応戦。すると、聡が飛んできて「何とはしたない」と、二人共正座で説教を喰らうのだ。

 朝子と梓は喧嘩ばかりしていた。最早主従ではない。それをいつも郁は不思議そうに眺めていた。


 源朝子は「慈愛のひと」なので子供好きということになっている。が、本当は子供が苦手。と、云うより嫌いも嫌い大嫌いだ。特に赤子が気持ち悪い。あんな小さいのに目も鼻も口も全部揃っている。指も五本ある。落としたら潰れそうで怖い。あんなものを産むという女に、自身に、本気で嫌悪していた。それをしたくないがために出家したとすら言う。

 朝子は勝気で、殿方とも堂々と渡り合っている。だが、これはかなり無理しているようだ。素は酷く人見知りだ。男に関してはかなり警戒している。六波羅でも滅多に心を開かない。だが、一旦気を許した者、特に女人にはベタベタ接近する癖があった。郁なぞは特に被害者で、いきなり抱き着かれたりする。喋ってる時でも相手の肩やら腕だのやたら撫でている。そうして息がかかくくらい顔を寄せあの瞳に見据えられるのだ。梓でもドギマキするくらい対応に困る。そのくせ、ひとから触られるのを異様に嫌っていた。潔癖症なのだと云う。自分はいいが他人は駄目という、朝子得意の論法である。六波羅では「朝様の半径三尺以内に近づくな!」が合言葉だ。

 そして朝子は裸、というか肌を露出するのは相手が女でも子供でも嫌がった。郁が不思議そうに「そんなに恥ずかしいのですか?」と訊ねると、

「朝にはウロコが生えているから隠している、てことにしとけ」と逃げてしまった。

 郁がこのことを皆に話すと、梓は大笑いして、

「乳がないからのう。あれでも見栄はって用もないのにサラシ巻いておられる」

 聡も「朝様は杉の木に手足が生えているようなもの」と酷いことを言っている。


 朝子の魅力は何といっても目を見張るような長身である。世間では「六尺美人」と噂されるが、流石にそこまではない。が、まだまだ成長している。これが、本人にとっては悩みの種。一晩寝て起きると背が伸びている、乳や尻の肉が全部上に行く!と嘆く。聡は「もう止まりますよ」と慰めたが、朝子は「何年もそう言われ続けて騙されてきた」と溜息を吐く。朝子は飯を食えばまた背が伸びると、本気で悩んでいた。本当に小食で、粥を少し啜る程度。湯水もほとんど飲まない。あれでよく動けるものだと心配する程。朝子が嫌がるので、六波羅では背丈の話題は禁忌だ。

「カブト」佐々木広綱、山椒は小粒でピリリと辛い、家人の中で極端に小柄。四尺そこそこで、梓と然程変わらない。朝子はこのカブトがお気に入り。カブトと背比べなぞして喜んでいる。この時ばかりは長身を誇って上から覗き込んで笑うのだ。

「カブトは他人とは思えん。弟のようだ」

「えっ?!そのような御方が・・・」

「・・・いや、いないんだけどさ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ