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四代将軍とも  作者: 山田靖
四代将軍記
30/83

十、

 二位法印は山門の僧侶であったが、その学識と武芸を認められ、院の側近となった。有識故実に通じ、絶大なる信頼を得ている。が、世間の評判は悪い。嫌われていた。精力絶倫の生臭坊主。院の幕府打倒に加担と云うよりは、そそのかしているようだ。そうして二位法印は、院の懐刀として矢面に立ち、幕府と激しく対立している。ばかりでなく、時に朝廷にも牙を剥く。殊に左大臣・九条道家とは反りが合わぬ。犬猿の仲。

 朝廷にも様々な派閥がありシノギを削っている。幕府という共通の敵あり、睨みあっている場合じゃないが、そこは宮中。万事が浮世離れしている。院と左大臣は相容れない。帝の父宮と外祖父、婿舅でありながら熾烈な主導権争い。対立は膠着していた。

 が、この春、その均衡は四代将軍の出現によって一挙に崩れた。源朝子の思いもよらぬ”人気”である。

 当初、誰もがこの”庶民からの絶大な支持”を軽視していた。

「力なき者共がどれだけ集まって騒いだところで何もできぬ」

 しかしそれは誤っていた。朝子の爆発的な人気は最早巨大な勢力となって渦巻いている。下手に動けば「それでは、朝様がお可哀想!」の大合唱が涌き起こる。民衆の圧力が宮中にまで及ぶなどとは前代未聞!この目に見えぬ”弱き者共の声”は、禁裏の力関係をも一変させた。朝子を擁する院が、圧倒的な恩恵を受けた。今やその日の出の勢いは完全に左大臣派を凌駕し、追随を許さない。

 二位法印にとって、四代将軍の人気は嬉しい誤算であった。己の悪評をも吹き飛ばしてくれた。この機に乗じない法はない。二位法印は、朝子を院に随行させるなど、更なる箔付けを演出。ひとを使い、源朝子の評判を津々浦々にまで宣伝させたりした。


 二位法印は度々、朝子を私邸に招き、公家や僧侶・学者等にも引き合わせる。朝子は相手が誰であっても物怖じしない。そして初対面で彼等の好意を集める。二位法印にとっても、何時も思惑以上の結果を出す源朝子という駒は魅力的であった。

 この頃では、朝子は勝手知ったる他人の屋敷とばかり、断りもなくひょいひょいと上がり込んでくる。

 その二位法印邸、奥の座敷に大きな屏風があった。

 画面いっぱいに虎が描かれている。獰猛な面構え、鋭い牙を剥き、いまにも獲物に襲いかからんと、咆哮が響いてくるようであった。宋の名高い絵師・快福かいふくの筆だという。二位法印自慢の一品である。

 朝子は「ほぉ」と感嘆し、しばし足を止め凝視。

「このケモノは本当にこのような姿をしているのですか?」

 二位法印はいささか面食らったが、

「宋の快福といえば、観た様そのままに生きるが如く写す絵師として名高い。唐天竺からてんじくにはこのような恐ろしい獣がいて、人間さえも襲うのだ。ほれ、額の縞模様が”王”の字に見えるであろう。これこそが王者の印、虎は百獣の王なのだ」

「目立ちすぎはしませんか?」

「あぁっ?」

「こんなに大きくて、その上黄色に黒の縞では遠くからでもハッキリと判りますよ。獲物だって、ただ襲われますまい。警戒しているでしょう。そこへこの巨体に文様では、気づかれ逃げられはしませんか?」

 二位法印は何とも返答のしようがない。

 朝子はしばらく虎を眺めていたが、やがてニッコリ頷いた。

「成程。獣の王者、大将に相応しい装いをしておるのですね。そうかぁ、正々堂々と襲うんだ。名乗りでも上げますかな?」


 武芸にも熱心な院は、若い貴族にも奨励し幾度となく「技競べ」を開催した。優秀な者には直々に褒美を与え、宴に招く。武を以て朝廷に仕える者共にとって最高の栄誉であった。彼等は、武家にくすね盗られた天下を取り戻すべく、武芸を磨いているのだ。

 ところが最近、このような技競べの席に必ずといっていい程、招かれている女人がいる。云わずと知れた四代将軍源朝子!

 今宵は、二位法印の邸で宴。公家の武芸、というものは幕府をいたく刺激した。挑発、と云ってもよい。二位法印は巧みであった。やりすぎて、院に類が及ばないよう加減する。過激な言動は、二位法印が引き受けた。若い貴族を扇動するのも彼の役目である。こうして武芸者を集めては気炎を上げる。酒が入れば「倒幕」などと物騒な言葉も飛び交う。二位法印は黙って盃を舐める。そしてその上座には、四代将軍源朝子が居る!


 宴もたけなわ、場は相当乱れてきた。若い公家は憤懣遣る方ない。保元平治以来、武家の跳梁跋扈を余儀なくされている。その責任の一端は、当時の公家にもある。その自覚から、武芸に勤しんでいるのだ。武家への対抗意識は崇高であり、断じて畏怖や嫉妬などではないっ!

 しかし目の前に、武家の女人が侍っている。それも「四代将軍」である。無論、この女子にそんな大それた能力がないことは明白!

 彼等は面白くない。我々は切磋琢磨の鍛錬の末、選ばれし者。ただ頼朝公遺児というだけで、武家の棟梁?天下兵馬之権?それも賎しい妾腹!まして女子!ここにいる資格はない!


 司馬実しばみのるいう弓の名手が、朝子に絡んだ。

「四代将軍様、将軍といえば武家の棟梁。当然、武芸にも精通されておられますな。一度、ご披露願いたい」

 周囲は袖を引いたが、司馬は構わない。

「弓も満足に引けぬ者の下知を誰が訊こう」

 朝子はクスッと笑った。

「成程、朝には司馬様のような太い弓は引けませぬがの。武芸はあくまで芸。まぁ上達に越したことはありませんが、戦で役立つかどうかは別問題」

「なんと!聞き捨てならぬ!」

 居合わせた武者共はいきり立った。二位法印、内心穏やかでない。子飼いを挑発して何とする!

 朝子は構わない。

「朝は”将軍”であります。将軍の仕事は、兵を動かし戦に勝つこと。力や技はいりませぬ。皆様方にお任せします。しかしまぁ、将の器量に疑問を持つのも判らんではない。命を預ける訳ですからな。司馬様は、朝に不満のご様子。お座興に、朝も何か披露しますかな」

 例えばと、ともは奥の屏風に目をやり、

「あの虎を一撃で倒してご覧にいれましょうか?」

 居並ぶ者はおろか、二位法印までも驚愕!司馬実、頬を引きつり青ざめた。

「やれるというなら、やってみせいっ!」

 朝子はツカツカと屏風の前に進み、懐から扇子を取り出すとそのままフッと放り投げた。扇子は緩い放物線を描き、何と何と屏風の虎の右目にコツンと当たって床に落ちた。どよめき、一同騒然!

 当の朝子は路傍の花を手折った程の素気なさ。小首を傾げてニッコリ笑う。

「どんな強弓太矢であろうと所詮は、ひとを殺傷するもの。これだけの巨体、どう猛な牙・爪を持つ獣に通用しますかな。どう立ち向かうか?しかし、虎も生き物ならば目は急所でしょう。目をほんの一寸突かれただけで凄く痛い。力なぞいらんのです。加えて重要なのは光を奪うことです。いくら鋭い牙や爪を持つ虎と云えど、闇の中では戦えますまい。そこの一点を的確に貫けば、百獣の王をも倒せるのです」

 司馬実、思わず土下座!

 さすが源氏の血筋は争えぬ。鎮西八郎為朝ちんぜいはちろうためとも、四代将軍に転生か?とまた例によって洛中の大評判。噂は噂を呼び、尾鰭がついて拡散!

「屏風から抜け出て暴れまわる虎!四代将軍源朝子、唯一の弱点である右目を弓矢で見事に貫いたり!」

 それどころか、人伝てに話が盛られ、果ては「四代将軍、ぬえ退治!」にまで膨らんでいく。

 報告を受けた院は大層お喜びになり、朝子に「虎眼姫こがんひめ」の名を与えた。


 後日、二位法印は改めて「見事であった」と朝子を褒めた。

 その様子を、朝子はしばらく眺めてからポツリと言った。

「あのですな、朝はただ扇子を放って屏風に当てただけですぞ。虎、虎といってもあれは絵。しかも屏風いっぱいに描かれておる。動くわけでなし。あんなの、虎じゃない所に当てるほうが難しいですよ?」

「しかし・・・」

「扇は虎に当たりさえすれば良かったのです。法印様は本物の虎を見たことありますか?ないですよね。あの場にいたものはおろか、文章博士もんじょうはかせや北嶺南都の坊主共だって知らんでしょう。見たことも聞いたこともない虎が、どんなケダモノであるか判らんということです。だったら虎の何処に扇が当たっても、尻尾だろうが腹だろうが、ホレその一点が虎の急所でございます。ここをたとえ針で突いたとしても虎はたちどころに絶命いたします。宋の“南蛮獣王之誌なんばんじゅうおうのし”という書に載っておりますと、朝が力説したら、あの場で否定できるものは一人もおりません。法印様は、“南蛮獣王之誌”をご存知?」

「はて?聞いたことはあるが・・・」

「またまたぁ、朝が今作ったんですよぉ」

「と、虎の右眼を見事に・・・」

 朝子は小首を傾げて顔を赤らめた。

「そりゃまぁ、何処に当たっても・・・尻でも鼻の穴でも、朝はここが虎の急所でございって言い張りますけどね。どうせならそれらしいとこに当てたいと・・・」

 本当は眉間を狙ったけどハズれましたと、朝子は溜息を吐いた。



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