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四代将軍とも  作者: 山田靖
四代将軍記
29/83

九、

 このところ「治天の君」院におかれましては、四代将軍源朝子がいたくお気に入り。娘のように可愛がっておられます。院は英明であり、歌道及び芸事にも造詣が深い。

 その院を相手に、朝子は臆せずよく話す。あの黒く澄んだ大きな瞳で、しっかり相手を見据え、当意即妙ハキハキと語る。知識は豊富。書もよく親しんでおり、古事記や風土記等も知っている。源氏物語が好きなのは女子らしいが、全帖把握しているのは稀。写本の入手すら困難である。おそらくは知栄院昌恵が持っていたのだろう。宇治十帖の結末に文句を垂れたのには、院も苦笑。この頃では東山御文庫ひがしやまごぶんこに嬉々として通っている。皇室の蔵書だが、院の許可で何冊も持出し乱読。唐土もろこしの故事来歴に興味津々のご様子。

 ただ、どういう訳か朝子は歌を詠まない。ばかりか、毛嫌いしているようだ。院はその点が不満であった。誰ぞ歌の師をつけてやろうとか、何か詠めば今編纂している歌集に載せてやるなどと、しきりに奨めるが乗ってこない。朝子は、歌の三一文字みそひともじに収めるせせこましさが性に合わない。幽玄とか有心だの余情やら、サッパリ判からんと言う。

「源氏物語にも歌は仰山載っておろうが」

「朝は歌のところはいつも飛ばしておりました」

「そちの兄の故右大臣は、それはそれは結構な歌を詠んだぞ」

「はい、“われてくだけてさばけて散るかも”ってのは好きです。面白うございます」

「ならば・・・」

「故右大臣は突然変異です。源氏に、武家に、歌はいりません」

 それよりも、朝子は何処で覚えたか、下賤の今様や田楽には異常に詳しかった。院もまた、そういった庶民の芸事には興味を持っていた。しかし、とてもじゃないが、朝子には敵わない。朝子は見たことも聞いたこともないような舞いや俗謡を次々と披露する。西国のものだろうか?しかもそれが、どれもこれも素人離れしているというか、見事な芸なのだ。何時、何処で、誰に教わったのだろう?いくら隠れ蓑とは云え尼寺で起居していたら、そんなことをしている暇はないはずだ。それくらい、膨大な芸を身に着けている。院は驚きを通り越して、時折不審にさえ思う。

 上に立つものとして、下々の事情にも通じておらねばならない。とは云うものの、いや、やっぱりそれも限度があろう。朝子は通じ過ぎだ。


 院は御幸に、しばしば朝子を召した。行く先々で、朝子は無邪気に喜んだり感心したり。朝子は、ひとの仕事を見るのが好きだ。野良仕事なぞ一日飽きずに眺めている。職人技が特にお気に入りで、何の変哲もない石や木が、みるみるうちに加工され形となり魂が吹き込まれていく様に感嘆した。

 武芸を好む院は、諸国から鍛冶を召して鍛刀させている。また自らも刀を打った。

「朝子、そちにも打ってやろう」

「・・・結構です」

「遠慮はいらぬぞ」

「朝は武人であります。刀の利鈍は生死に係わります」

「朕の打つ刀はナマクラか!」

 真っ赤になって憤慨する院を後目に、朝子は刀工の技を凝視している。トンカントンカンと刀を鍛える様に眼を輝かせ、ジュウと水で冷やす際は溜息を吐いた。あまりの熱心さに、職人達は頬を赤らめ手元が狂う。朝子は、ひとりの年配の熟練の技に魅了された。彼は備前一文字びぜんいちもんじ派の則宗のりむねと名乗った。是非!朝子はこの刀工に注文を出した。刃渡り五寸程の懐剣が欲しいという。

「それはまた小さいな」

「刀というものは重たいものです。鉄のカタマリですからな。女子の身では、それくらいが丁度扱い良いのです」

「しかし闘うには不利ではないか?」

 朝子は、ちょっと小首をかしげニッコリと笑った。

「主上、朝は四代将軍として宮中を護衛する者ですぞ。いざ有事ともなれば当然、主上のお傍に仕えております。その朝が刀を取って闘わねばならぬ時とは、如何なる事態か?既に敵が御所奥深くまで侵入してきた、ということです。となれば、家人共はあらかた倒されたと覚悟せねばなりませぬ。多勢に無勢、最早勝ち目はない。脱出も困難でありましょう。下賤に拘束され辱めを受けるくらいなら、朝は主上を刺し返す刀で自害いたします。いいですか、こう逆手に持ってですね、乱入する賊を防ぎながら迅速かつ正確に事を処理します。それにはこの寸法が適切なのです。道具は目的に沿って選ばねばなりません」

 院は青ざめた。

「・・・そ、そちは、朕を刺すつもりかっ?!」

「左の乳の下に、心の臓というものがあります。触ってみると、コトコト動いているのが判るでしょう。ここを一突きすればたちどころに絶命すると、薬師に教わりました。大丈夫です。すぐ済みます。抜かりはありません」

 朝子はキラキラと瞳を輝かせながら、笑顔で熱弁を振るう。・・・やはり武家は人種が違うと、院は薄気味悪くなった。


 後日、則宗より献じられた刀には、特別に院より菊の紋章を許された。朝子は出来映えに満足!早速、梓をつかまえて刺し違える稽古なんかしてはしゃいでいる。

「あんまり、良い趣味とは言えませんな」

「何を申す。モノノフは常在戦場。何時でも何処でも決死の覚悟をしておかねばならぬのだ!」

 かくて菊一文字則宗の懐剣は、源朝子と終生を共にすることとなる。


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