一、
源朝子(みなもと・ともこ)
鎌倉時代前期の人。生没年不詳。四代将軍。女公方。時の女。
承久元年春頃、京に現れた。源頼朝の末子と名乗る。朝廷の支持を得、急速に勢力を伸ばす。暗殺された実朝の後を継ぎ、四代将軍。京六波羅に幕府をおき、鎌倉の北條氏と激しく対立した。遂に「北條義時追討」宣旨を求めるも却下され失脚。承久の乱の発端となる。
当時の女性としては驚くほど長身で、天真爛漫な言動が都を中心に絶大な人気を博した。
梅の蕾も綻び陽ざしに春の足音感じる二月のある日。京は二条の広大な邸の門前に、長身の尼僧が訪れた。
「お頼み申します!」
この邸の主は、今を時めく「権勢の女」卿ノ局。刑部卿・藤原範兼の三女で名を兼子。「治治天の君」院の乳母として出世した。現在も院に影響力を持ち、政にも積極的に口を出す。鎌倉の尼将軍・北條政子とも通じている。この頃では悪化した朝幕関係改善に着手。皇族を将軍として鎌倉に下向させる、所謂「宮将軍」案に熱中していた。
応対した梓は驚いた。おいそれと会える御方ではない。それをこの者は一人でノコノコやってきて、門の前でポツンと立っていた。外出先から帰ってきた梓が声をかけなかったら、どうするつもりだったのか。背が高いので最初は男だと思った。にしては線が細すぎる。よくよく見れば、女子ではないか。しかもまだ子供のようだ。埃にまみれた粗末な法衣を纏っていたが、悪びれることなくニコニコしている。えくぼに愛嬌がある。梓は釣り込まれて笑ってしまい、尼僧を邸に入れた。
梓は、卿ノ局の信任が篤い。梓は藤原の出。二十二になる。十七で三十も年上の近衛中将の後妻にされた。ところが半年もたたないうちに中将が病没。若い身空で出家させられるところ、卿ノ局に請われて仕えるようになった。後半生を尼として燻って生きるのかと暗澹たる想いであった梓にとって、卿ノ局は救いの神であった。以降、恩に報いようと懸命に尽くしている。卿ノ局のためならば、相手が殿上人だろうが食ってかかる。卿ノ局は、公家・武家双方に多大な影響力を持つ。ために、彼女を頼る者は引きも切らない。梓は、連日山のように訪れる陳情を片っ端から選別し、眼鏡にかなったものだけを卿ノ局に届ける。そのため貴族や商人の間では、卿ノ局より畏れられている。梓は仕事が早く正確であった。卿ノ局は、梓の判断に不満を漏らしたことはない。
梓は、尼僧に用件を尋ねた。
「私は、知栄院昌恵の弟子で“シュンキョウ”と申します。あっ、字は“春に香”です」
えっ?!梓は声を上げた。知栄院昌恵とは、卿ノ局藤原兼子の長姉・遥子の法名!昨年亡くなっている。尼僧は、その弟子と言う。梓は急ぎ、卿ノ局に取り次いだ。
卿ノ局は先程から、平伏する春香を注意深く観察していた。成程、梓の言う通り大きな娘だ。この背の高さはどうだろう。手足も長い。まるで違う人種を見るようだった。それでいて異形な感じはしない。均整がとれている。華奢でなで肩。顔は小さく、瞳は大きく黒い。福耳で、特に美人とは言えないが口元に何とも言えない愛嬌がある。まだ幼さが残っていて所作が可愛らしい。髪に脂気がなく肌が浅黒いのが、やや惜しいか。
この娘が、姉の弟子だったと云う。姉遥子は悲運の人だった。夫の中納言・藤原俊成と共に、平氏打倒を画策。所謂「鹿ケ谷の陰謀」に連座し捕えられた。俊成は配流先で斬首。連絡係を務めていた遥子も罪は逃れられず、京より所払い。係累を怖れた一族は、遥子を見捨てた。山科で出家し二十余年、遂に都に戻ることなく亡くなった。卿ノ局としては、姉に対して少々後ろめたい。昌恵遥子、晩年はかつての女闘士の面影なく、慈悲に溢れ弱者救済に尽力、菩薩のように慕われていた。
春香は、昌恵の形見を持参してきたという。はて、まだ何かあったのか?あのあと知栄院は廃寺とし、あらかた片付けたはずだが。渡された被り物や片袖は、さすがに使い古してはいるものの上等で鮮やかな色目。以前は快活だった姉らしいものだった。
「できましたら数珠は・・・」
消え入りそうな春香の哀願がいじらしい。
「そなたが持っていなさい」
それから昌恵の思い出話を一頻り語った後、それではと春香は席を立った。
「そうそう、忘れておりました」
春香は懐から、密封された文を卿ノ局に手渡した。
「兼子殿」宛でしたので、と。
卿ノ局は何やら胸騒ぎがした。ちょっとお待ちと、その場で開封。読み進むうちに、卿ノ局の顔色がみるみる変わる。昌恵の文には驚愕の内容が記されていた。
何と目の前の、この長身の尼僧・春香は、故右大将・源頼朝公不倫の子「朝子」!
卿ノ局が問い詰めると、春香は気の毒な程狼狽し「嘘です、違います」と逃げ出そうとした。それを皆で取り押さえ、落ち着かせてから事情を訊く。春香は泣きじゃくりながらようやくポツリポツリと語り始めた。
朝子は、源頼朝と大和の白拍子「とき葉」の子である。
頼朝は密かに、とき葉に通い、やがて懐妊。頼朝は喜び、男女いずれであっても「朝」の一字を与えると約束した。ところが翌正月、頼朝公急死。失意の、とき葉は生駒の親元に帰り出産した。生まれた娘は「朝子」と名付けた。とき葉は、朝子が幕府や北條に知れるのを怖れた。娘には穏やかな生涯を送ってほしいと願った。藁をもすがる思いで昌恵に事情を打ち明け、赤子を引き取ってもらったという。その後、とき葉の消息は杳として知れない・・・
そのような話が?卿ノ局は不審に思った。確かに姉は孤児なども育てていたと聞くが、このような案件を何故黙っていたのだろう?いくら没交渉だったとはいえ、事は政にもかかわる重大な問題ではないか。
「鎌倉に知れると、殺されてしまうということで・・・」春香は目を伏せた。
成程、あの女なら嫉妬に狂ってやりかねぬ。そして世間は、その北條政子と卿ノ局が親密と穿っている。姉が警戒したのも無理はなかったろう。
「それで、何か証拠はありや?」
ありませんと、春香は哀しげに首を振った。御守りの中に小さく畳んだ紙を広げて見せる。頼朝から、とき葉への恋文だった。あとは清和源氏の紋、笹竜胆が刻まれた印篭だけ。これだけです!春香は泣きながら叫んだ。
「私は昌恵様に拾われた孤児の春香です。頼朝公の娘、朝子ではありません。どうか殺さないでください!」
卿ノ局は胸が苦しくなった。春香を抱きしめ優しく言った。
「そんなことさせるものですか。悪いようにはしません。ここにいてちょうだい」




