16 サモラ
「あなたたちがオストレム隊長の言っていた人たちですか」
そう言いながら、青年は少し面倒そうに首筋をなでた。「話より人数が減っているようですが」
シグリィたちからあくまで距離を取り、辺りをたしかめるように軽く周囲を見渡している。その姿はとてもぞんざいにも、旅慣れて悠然としているようにも見える。
「ええまあ……。それより」
シグリィは唇をなめた。この乾いた感覚はとても久しぶりだ。「あなたはいったい、どこから現れたんですか?」
「ああ」
セレンが発破をかけた場所に脈絡もなく現れた彼は、「魔法陣を使いました」とあっけらかんとそう告げた。
「僕はアティスティポラの用でよく仕事をします。なのである程度好きなときに使えるんです」
もちろん本当は旦那様の許可が必要ですが――と少し皮肉げな表情で笑みを作り、
「まあ、今回のことは事後説明でも理解してくださると思います。旦那様も、このクルッカ跡地には興味を持っていらっしゃいますから」
「クルッカ跡地に興味……」
それはそうだ。そもそもシグリィたちも、あの大富豪の依頼で今ここにいる。
だが……
(そもそも私たちは、あの富豪がここを調査する理由を聞いていなかったな)
いや、理由ならひとつはっきりしている。そもそもこの土地は――
考え込みかけたシグリィの横で、セレンが一歩退く。まるで目の前の青年に恐れをなしたかのように。
シグリィは思考を中断し、改めて青年を見た。
年の頃は二十を少し超したくらいだろうか。いや、もっと若いのだろうか? シグリィより年上そうに見えるのだが、確信がもてない。
そのまなざしは夕焼け色をして、目に見えるものすべてから距離を置いているかのような突き放した色があると共に、今にも爆発しそうな若々しさも見え隠れしている。
その目を見ていると、シグリィの記憶が強く刺激された。この人物を知っているような気がする――けれど一方で、こんな人物は知らない、と強い拒絶感がある。
どうにもちぐはぐなのだ。
(《印》がない。のは間違いがないが……)
「隊長はどこへ行ったんです?」
青年は冷めた口調でそう訊く。
「――オストレム隊長なら」
シグリィはたった今起こった出来事を包み隠さず説明した。ここに足を踏み入れてみたら、踏み入れた人間のうち一人と、なぜか隊長が姿を消した――言葉にするとたったそれだけのことだが、話し終わったころには、青年は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
「……そうですか。隊長まで」
おや、とシグリィは片眉を上げる。この反応は――
「あなたは予想していたんですか? この土地に近づいたらこうなることを」
とたん、青年の視線がきっとシグリィを見据えた。一瞬、今にも攻撃しそうな目にも見えた――しかし、
「そうです。数年前、僕も巻き込まれましたから」
「……!」
「とにかくこうなってしまった以上、消えた二人は簡単には戻ってきませんよ。僕も脱出するのに時間がかかりましたからね……それで」
その娘はどうしたんです、と急にこちらに話を向ける。
シグリィは小さく息をついた。
――腕の中では、ラナーニャがこんこんと眠り続けている。もはや眠りというよりも気絶と言った方がいいかもしれない。何しろ岩を爆破しても、これだけ間近で人と会話しても、まったく反応しないのだ。
「……少し疲れて眠っているんです。なので近くに野営しようと思うんですが」
「やめた方がいい」
青年は即座に否定した。「この辺りは、夜になると“迷い子”のたまり場です。おすすめしません」
「……ではどうすればよいと?」
「一度町に戻るのがいい。西のサモラに、僕の知り合いがいます。宿を貸してくれるでしょう」
彼の提案に、さすがにすぐに乗ることはできなかった。ラナーニャのことを考えれば願ったり叶ったりだが、カミルたちのことが気になる。
それに――、
「どうしてサモラに? アルメイアの方が距離としては近い」
宿というのなら、頼めばアティスティポラ家がちゃんと用意してくれるはずだ。少なくとも、シグリィが顔を合わせたあの当主は、そんなところで渋る人物には見えない。
青年は肩をすくめる。
「旦那様は情報に貪欲です。この事態を知らせたら、たぶん眠らせてもらえませんよ――この事態に関係があるとして、その娘の体を調べると言いかねない」
「……」
シグリィはたった今思い描いたバルナバーシュの姿を見直した。
たしかに……彼が商売で成功したのは、必要なときにはおおらかながら、細かいことに貪欲だったからということは周知の事実だった。
あるいは単に、あの男は好奇心が強すぎるのかもしれなかったが。
「……分かりました、お言葉に甘えます。しかし今からサモラに行くのも大変でしょう」
「魔法陣を使えばいい。一瞬です」
彼は平気な顔をしていた。このふてぶてしさは、あの主人にしてこの従僕あり、といったところだろうか。
それ以上シグリィたちの意見も聞かず、青年はさっさと魔法陣の用意を始める。
もともとアティスティポラの魔法陣は折りたたまれた薄い布に描かれており、荷物としてさほどかさばるものではない。青年は身軽な格好をしていたが、複数の魔法陣を所持しているようだった。
「サモラ用はこの陣です。それで、こうやって――」
魔法陣の説明を始めようとした彼の言葉を、シグリィは「その前に」と静かに遮った。
「私はシグリィと言います。こっちはセレン。あなたは?」
ああ、と青年は思い出したようにこちらに顔を向けた。そして、
「ユード。ユードと呼んでください」
何でもないことのように、彼はそう言った。
サモラという都市は人々の熱気で成り立っているかのような都市だ。
成り立ちはアルメイアよりも古い。明確に国の都市計画にのっとって生まれたアルメイアとは違い、あちこちの町を様々な理由で追い出された訳ありの人間たちが集まり、村となり、町となったと言われている。
当初の住人には、元は犯罪者であった者も多かった。そういうものが遺伝するとは言わないが、そういうものが生まれやすい環境は後代に受け継がれてしまった。そのためサモラでは長年、治安の悪さが叫ばれて続けていた。
そんな中生まれたのが、傭兵という職業である。
彼らは金のためなら何でもやった。犯罪行為に荷担する一方で、犯罪行為の摘発にも手を貸した。気がつけば町の人々に、圧倒的に信頼されていた――よくも悪くも。
傭兵、と呼ばれる彼らが生まれたそのまた後に、ようやく自警団らしい自警団が結成されたらしい。だが成り立ちからして後手に回った自警団は、どうしても傭兵との癒着から逃れられなかった。
その後色々あれど、様々な努力で治安は格段によくなったと言う。
押しの強い人間性が商売にうまく結びつき、人々は主に商人として生計を立てるようになった。長い年月で悪い噂も薄れ、次第に普通の移民も町に住み始めた。外から見えるサモラという都市の雰囲気は、ほんの百年ほどで驚くほど変わった。
――裏にしっかりと根を張る傭兵という存在を、隠された町の基盤とすることと引き替えに。
(……なるほど)
魔法陣でいざなわれたのはサモラの町のはずれ。
木々が林立する人気のないその場所から一歩町に踏み込むと、そこはまさしく“人間の土地”だった。
右から左からどこを見ても、人の生気に満ちている。もう夜にさしかかっているというのに、あちらこちらからにぎやかな声が飛び交い、静けさとはほど遠い。
サモラに来たのは初めてだ。そう告げると、吟遊詩人であるユードはどことなく楽しげな風情になった。
「初めて来た方は決まって『この町はうるさい』と言うんです。でも、じきに慣れますよ」
その態度から察するに、彼はこの町にひどく愛着を持っているようだ。
「さてと……。宿を貸してくれそうな人のところまで少し歩きます。……その娘は大丈夫そうですか」
「ええまあ」
シグリィは抱き上げたままのラナーニャを見下ろした。
眠り続けるラナーニャ。悪夢の中にいるのか、苦悶の表情がその顔から消えない。
故郷ではそれなりに体を鍛えてきたはずの少女だったが、こうして抱き上げてみると不思議なほど軽く感じる。小食なのは知っていたが……それは生来なのか、それともエルヴァー島に来て以降の神経衰弱なのかがシグリィには分からない。
青年が――ユードが興味深げにシグリィと、その腕の中のラナーニャに視線を送っていた。
多分、彼は気づいている。ラナーニャが四神の《印》を持たない人間だということに。
(……やっぱり、私たちが探していた『ユード』……ユドクリフ・ウォレスターなのか)
シグリィの後ろに控えているセレンが、珍しく大人しくじっと事の成り行きを見守っている。
というよりも、気になることが多すぎてどう行動していいか分からなくなっている、と言った方が正しそうだ。これもまた、彼女らしからぬことだったが。
やがてユードは身を翻し、「ついてきてください」と歩き出す。
石材で組み立てられた荒い造りの家屋が、ところ狭しと並んでいる。住人の自己主張の強さが有名なこの町においては、家さえも自分の存在を主張するのだろうか。どれもいびつで個性的で、黙って静かに建ってはいない。
人のいるところに好きな家を建てた――そんな印象さえある。
そのため道がうまく機能しておらず、一本の道が長く続かず、途絶え、折れ曲がり、枝分かれし、地図なしでは自分がどこにいるのかすぐに分からなくなりそうだ。
珍しく広めの道路があったかと思えば、その一本隣は真っ暗闇の裏通り。この町に新しく住もうと思うと苦労するんじゃないか、そんなことを考えるシグリィの前を、ユードは慣れた足で進んでいく。
やがて彼がたどり着いたのは、道の突き当たりにあった宿屋らしき一軒の建物だった。
「ここです」
下手な石積みが屋根を傾かせている。見ていて不安になる小さな一軒家だ。だがユードは構わずドアを開けた。
残念ながらドアも立て付けが悪いようで、開けようとするとぎいぎいと耳に不安な音が鳴った。
しかし中に入ってみると意外に悪くない。観葉植物を置き掃除もそこそこされていて、壁には絵画まで飾ってある。
「いらっしゃいませ」
受付らしき場所にいた痩せて疲れた女性が、こちらに顔も向けずにぞんざいな挨拶をよこす。
「こんばんは女将さん。急で悪いけど一部屋貸してほしいんだ――」
ユードが近づいていく。
受付に肘をつき、うろんにユードを見上げる女将との間で交渉が行われている間、シグリィは大人しく宿屋の戸口で待っていた。
この宿屋に来るのに入った道は細く、暗かった。周囲に並んだ家々に人気はなさそうで、おそらくよりよい住まいを求めて元の住人たちに捨てられた地域なのだろうと思う。
(……道が、『死んで』いたな)
この道に入った途端、しん、と空気が静まりかえったのを覚えている。
うるさかったはずの町が、口を閉ざしてしまったかのように。
「シグリィ様ぁ……」
セレンが傍らで心細そうな声を出す。「カミルとオルヴァさん、大丈夫ですかね?」
「そう簡単にやられるとは思えないだろう? カミルもオルヴァさんも」
「そうなんですけど」
「大丈夫だ。とにかく私たちはここで対策を練ろう」
セレンを元気づけるつもりで、シグリィは笑顔を向ける。
――練る時間があればな、と。内心の呟きは決して連れに気取られないよう気をつけながら。




