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月闇の扉  作者: 瑞原チヒロ
第一章 その日、青い光が飛んだ。
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42 術の完成

 少女の墜落(ついらく)した場所が、土煙に(くも)ってよく見えない。

 目をすがめてそこを見つめながら、セレンは胡乱(うろん)に呟いた。


「やっぱりダメねえ。あの子が氷属性に弱いのは間違いないんだけど――ううん、どうしてもあの子自身の存在の核に威力が届かないわ」


 自らが放った凍結魔術の影響で、辺りが急激に冷えていた。肌に触るひやりとした外気に緊張感を煽られ、セレンは杖を握る手に力を込める。


 たった今行使したのは、相手の術の()()()()()()()()破壊するというもの。今の場合、空にいた少女のその飛行術を破壊した形となる。


 しかし純粋に飛行術だけを狙うつもりはなかった。体ごと凍りつかせて、あわよくば大きなダメージを負わせたいと思っていたのだが――

 そんな淡い期待が叶うほど甘い相手でもないらしい。


 少女が墜落した場所から、土煙を払うように炎が立ち昇る。そしてそれさえもすぐに消え、代わりに少女の姿が現れる。


 セレンは半ば感心して(うな)った。――少女が片手に、禍々(まがまが)しい炎を従えている。全く次から次へと、力には事欠(ことか)かない子のようだ。


 闇をより集めたかのような混沌色(こんとんいろ)――

 少女の豊かな黒髪が、下からの風に煽られているかのように、わずかに空中にたゆたっている。


 ラナーニャが名を呼びながら駆け寄るのが見えた。それを見て、「やっぱり知り合いなのね」とセレンは今更納得した。だからといって手加減できる状態ではないのだが。


 そのラナーニャに見向きもせずに。

 いくつもの恨み言と悪罵(あくば)のあと、少女の瞳の気配が明確な感情一色に染まった。空で無邪気に遊んでいた子供とは別人のような、怨嗟(えんさ)による殺意の色。


 否、やはり子供じみているのだろう。その殺意はまるで昆虫の羽根を引き抜く幼子(おさなご)のように、あまりにも迷いがなかった。


『消え去りなさい……!』


 少女は立ち昇る己のオーラに身を載せて再び空に舞い戻った。よほど空の居心地がいいのだろうか。当初鳥の姿で現れたのも、それが追手として都合が良かったからというだけではないのかもしれない。


 セレンは身構えた。間髪(かんはつ)()れず、少女の炎を宿したその手が振り下ろされた。


 下がっていた気温が瞬時に沸騰(ふっとう)した。


 すかさず構築した守勢(しゅせい)の壁が、炎を受け止めた。相殺されることを避けるために、出力をほんのわずか抑えての防御。セレンの趣味――よく言えば想像力のたまもの――でうっすらと虹色をした壁。簡単に壊れるほど弱くはないが。


 ――押される。


 腰を低くし、杖を壁に添える形に突き出した。まるで壁を挟んで怪力の巨人と戦っているかのような圧力。


 朱雀の術で生み出された炎は長時間存在できない。混沌の炎はその常識を、やはり簡単に凌駕(りょうが)した。それを抑えるためには、セレンも長時間壁を保たなくてはならない。炎はどんどん(かさ)を増し、その威力を倍増させようとしている。――


 周囲の空気は肌を焼きそうなほどに熱い。人の体には、到底相性の合わない熱だ。

 しかしセレンの横顔につうと流れた汗は、その熱さのせいだけではなかった。


 加えて厄介なことに、(くら)き混沌の炎には拡散性があった。渦を成す内側で無数に爆ぜて、火花と変わり何度も周囲に散っている。もしもセレンが防御を解いて避けたところで、この炎はそののちにどんな形に変わるのか、どんな〝内側〟を解放するのか、予想もできない。


 じりじりと、セレンの体は後退していた。地面に、彼女の靴が線を描き出している。


 反則だわ。そう呟いた。唇の端に苦笑のような笑みを浮かべて。


 そして、彼女は目をつぶった――より深く、己の内側へと――幻を生み出すのに適した環境に、意識を落とし込むために。


 同時に。

 彼女の傍らを、誰かが駆け抜けていく、気配がした。


 それは彼女にとってもっとも親しみのある足音。先ほど少女を墜落させたときには、折悪くジオを避難させるために離れた場所にいた彼が、今迷わず向かった方向は――洞穴の方角だ。


 セレンが防御に徹する。同じように、黒の少女はこの炎に全意識を傾けている。ひとつに集中すると他を一切(かえり)みない性格は変わることなく、おそらく彼が少女の下を駆け抜けても、少女は何もしない。


 案の定、少女に妨害された気配もないまま、足音が聞こえなくなった。

 洞穴に飛び込むはずだ。中にいる少年に、一言伝えるために、カミルは。



 ――時間稼ぎも、もう限界だ。





 外で、強大な二つの力がせめぎ合っている。

 刻限(こくげん)が近い。


 洞穴の中心――ユキナが姿を現したその一点を前に()し、黒髪の少年は、長く目を閉ざしたまま。


 最初にラナーニャがユキナの存在の元を――つまりユキナの両親の力を引き出したときと同じように、そこから白い煙のように細く力が立ち昇っている。

 それを糸のように紡ぎ、シグリィ自身の魔力と共に織り込んで、望む形を手の中に形成していく。


 ユキナは、その彼の前に立っていた。


 少年の術の形成を邪魔してはいけない。だから、声を発することはできない。ただ目を細めて、彼の手のうちで形になっていくものを見つめていた。


 複数の人間の魔力を紡ぎ合わせる。それは素材の違う糸で織物を織ろうとするようなもので、たやすいことではない。


 しかし、ユキナが見る限り、目の前の少年はそれを苦にすることなく行っているように見えた。もちろん――魔力は糸ではない。それを操るのは、並大抵の能力ではできない。


 本当に不思議な子だ。ユキナは淡くそのことを思う。


 彼は今、とても無防備な状態でいる。そうしていると彼の力の気配はユキナにも見えた。

 体の四か所から感じ取れる四種の《印》。


 《印》なき子供たちとは逆の意味での常識はずれ。実際に彼はこの洞穴に玄武の結界を張り、今は朱雀の魔力を操っているのだ。見た目からしてあまり丈夫そうではない彼が今体力を保っているのは、ひょっとしたら白虎の力で支えているからなのかもしれない。自然を操る青龍の力も得意なのだろうか。


 そう言えばとユキナは思い出した――もしも青龍の《(いん)(のもの)と知り合うことができたら、お腹がすいてもそこら辺の植物を生長させて助けてくれるかもしれない、などと幼いころに考えていたことがあったような。いかにも子供らしい無邪気な短絡(たんらく)さだ。心から愉快に思ってくすりと笑う。


 彼の術が順調に進むにつれて――

 ユキナは、己の感覚が薄れていくのを感じた。


 見れば自分の手も足も、だんだん輪郭を溶かしている。()けて向こう側が見えるようになっていく。


 自分は消えるのだと思うと、少しおかしな心地がした。そもそも今の自分は幻だ。現実主義のジオのおかげで完璧なまでに生身が再現されたけれど、鼓動さえどこか他人事。生きている実感などあるはずもない。


 夢の中のようなものだった。

 そう、今の自分は夢の中に生まれたのだ。リーディナを救おうとした、両親の切なる夢の中に。


(リーディナ……君は、大切なものをちゃんと見つけられたみたいだね)


 幼いころに生き別れた、魂の片割れを想う。


 双子でありながら、片方には神の加護があり、片方にはなかった。両親は<神に見捨てられた>子を見捨てることができずに、<神に愛された>子を国に置き去りにした。


(君はわたしたちを本当に恨まなかったんだな。その証拠に、約束通りわたしたちが作った(しるべ)を頼ってくれた……)


 国を離れる前夜、両親は幼い子二人に謝った。幼すぎるユキナにもリーディナにも何一つ嘘偽りを言わず、なぜ離れ離れになるのかを懇切丁寧に語って聞かせて。


 そして、誓った。


 いつかそれが許されるときが来たら、また必ず会おうと。そのために、(しるべ)を作るから――と。


 リーディナはあのとき、泣いていたような気がする。


 そう、泣いていた。自分はそれを笑ってからかった。そうしたらリーディナはぷうと膨れて、「ユキちゃんの、ばか!」と言った。


 ユキナはいっそう笑った。リーディナが泣き止んだ、それが嬉しくて。

 だから、ユキナが覚えている最後のリーディナはむくれた顔のままだ。


 ふふ、とユキナは笑みをこぼした。懐かしくて少し切ない思いに心が満たされる。それは幸せだったころの思い出――


 否。自分は不幸だったことなど、一瞬たりとてなかった。


 薄れゆく感覚の中、目を閉じれば記憶だけは鮮明に次から次へと舞い戻ってくる。両親とともに大陸に居場所を求めた。西にいたころ、弟が生まれた。


 南西の小さな薬草島へと、わけあって辿り着いた。そこで両親が、死を目前にして(しるべ)を作ると決めて。


 この洞穴に両親がこもってからは、弟と二人で。大陸にいた〝≪印≫なき子供たち〟を探し集めて。


 そのことに深い意味などなかった。居場所を作ろう。大陸にいることは許されないのなら、せめて生きる場所を、自分たちで作ろうと。ただそれだけ。


 やがて村に集まったみんなの顔も、大陸にいたころとは見違えるほどに明るくなった。笑うようになった。誰もが心に負った大きな傷はいまだ癒されないまま、それに目を背けていたというなら確かにそうなのだろう。


 それでもユキナは、その笑顔を嘘だとは思わない。


 村の一人ひとりの姿が脳裏に現れる。それぞれに向き合って、優しく語りかけた。


(マーサ、全てを任せてしまってすまない。ハヤナ、少しは素直に人を頼れるようになるんだよ。チェッタ、君はきっといい男になるだろう――でも、お姉さんたちをあまり困らせないようにね)


 ひとり、またひとり。浮かんでは消えていく。


(レイ――)


 こんなときでもしかめ面の眼鏡の少年に、ユキナは唇の端をおかしげに上げた。


 ――一度死んでおいて、生き返ったりするなと。何度もユキナにつっかかってきたあの罵声(ばせい)が聞こえる気がする。ああ、そんな言葉を実際に彼の口から聞いた覚えはないけれど、きっとあの灰色の髪の男の子はそう言うに違いない。


 還ってくるな、みんなの心が迷うから――と。


 そして最後に、何度も聞いた言葉。


 ――お前なんか、大嫌いだ。


 ばかだなあ。波にたゆたうような心地の中、こちらを(にら)()える少年に、ユキナは言った。


(わたしが死んだとき、きっと一番泣いたんだろう。本当にばかだなあ、君は――)


 不機嫌な顔はそっぽを向いて、消えていく。くすくすと笑うユキナの視界に、最後にぼんやり浮かんだのは弟の顔だった。


(ユード)


 名を呼んでも、弟はこちらを見ない。

 そっとため息が落ちる。……たったひとつだけ心残りがあるとすれば、それはこの弟のこと。


 彼のことを考えるときだけ――ユキナは、〝生き返りたい〟と強く、思う。弟が()()()()()しまったのは大半が自分や両親のせいだ。いや――下手をすると弟は親さえ眼中にない、すべてをユキナのために。


 ユキナ(自分)のためだけに、あんな歪みを起こしてしまった。


 そんな弟を一人残していくのは心配だった。死ぬ覚悟をしたときに、弟の成長とこの先の出会いを信じると決めたのだけれど、こうして一度でも現世に戻ってしまうと思い出してしまう。できることなら様子を見に行きたかった。


 ……けれど。


(もう、だめだ。わたしの役目じゃない。わたしは……自分の足で大地に立つことが、もうできないから)


 姿を保つためにジオの、両親の力が必要となってしまったような今の自分では。

 ――誰かを支えることなど、まして変えることなど、できはしない。


『………』


 ふ、と瞼を上げる。


 ()していた黒髪の少年と、目があった。彼も長らく、術に集中するために目を閉じていたはずなのに――


 だが、二人の視線はごく自然に絡まった。

 ユキナは、淡く微笑んだ。


『お願いが、あるんだ……シグ。大陸に戻るなら……弟に、伝えてほしい』


 少年はうなずく。

 そして、ユキナの弟への言葉を、静かに受け取ってくれた。


 彼は約束を必ず守ってくれるだろう。そう思うと、最後の心残りもとすうと溶けていく。


 もはや自分の体に形はなかった。朝靄(あさもや)のように不確かなものとなって、少年の前に漂う。あとは彼に導かれるまま、彼の術の一部となれば、それで終わる。


 ――ありがとう、とシグリィは言った。


 彼が誰のために礼を言うのか。ユキナは微笑んだ。表情など存在しないが、きっと伝わっただろう。


 ――君の術は、やさしいね、シグ。


 両親の魂の欠片とも言うべき力を丁寧に紡ぐ彼を見ていて、心からそう思う。


 声はもう出ない。だが、ユキナは最後までシグリィに語りかけた。夢見心地でまどろむような、とろけそうな陶酔感の中で。


 ――君は、今のわたしと同じなんだろう。だから今のわたしと同じように……人が愛しい。


 眠りに落ちる直前の、うつつとの境目に。

 ユキナの意識にも届いた、最後の少年の言葉と、そして微笑。


「そうですね。今のあなたのように、私は人じゃない――


 だから、人がこんなにも愛しい」





 ユキナであった力を紡いで注ぎ込み、シグリィの術は完成した。

 そのとき、誰かが洞穴に駆け込んできた。――カミルだ。


 シグリィは立ち上がり、振り向いた。彼の従者たる青年の顔を見れば、外の戦況は知れる。それでなくともセレンとあの少女の力の拮抗(きっこう)はまるで限界まで膨れた袋のように危うい。


「待たせてすまない。今完成した」


 シグリィはカミルに歩み寄り、手の内のものをすっと差し出した。今、この洞穴の中には灯りはない。その中で――シグリィが差し出したそれだけが、冴え冴えとした光を放っている。


 それは夜に浮かぶ三日月と同じ色。


 複数の術者の力をまとめるのは、彼の能力をもってしても楽な仕事ではなかった。極限の集中から解放された今、突然血が流れ出したかのように全身がどくどくと脈打ち、脇腹や手の傷口はいっそう強く痛み出す。


 だが、三日月色の光にぼんやりと照らされた少年の顔は、会心の笑みを浮かべていた。


「さあ、予定通り――お前がこれで終わらせろ、カミル」

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