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月闇の扉  作者: 瑞原チヒロ
第一章 その日、青い光が飛んだ。
39/97

30 幼い彼らの決心

「ダイジにしろよっ」


 そんな一言を残し、小さな二人が名残惜しそうに洞穴から出て行く。

 洞穴を出て見送りたかった。けれど、ラナーニャはその気持ちを押し留めて手を振った。


 チェッタとメリィは、これから急いで結界符を埋めに行くと言っていた。特別技術が()るわけではなく、問題は村人にそれを隠せるかどうかだ。


 とはいえ村人の日課と村の地形に明るい彼らなら、さほど苦もなく実行できるような気がする。


 ふと見ると、シグリィがチェッタたちの持ってきてくれた品を確認していた。

 中には薬草も多く詰まっている。包帯代わりの布も。


「シグリィ、布を替えよう」


 ラナーニャはそう言い、彼の返事を待たず腕まくりをした。


「ラナーニャ?」


 嫌がる理由もないのか、シグリィはおとなしくされるがままになりながら、怪訝そうな顔をする。


 ラナーニャははにかんで、ぎこちのない笑みで返した。


 不思議なほど元気が湧いてきていた。悩んでいたことのどれにも答えなど見つかっていない。それなのに、自分の中に活力が生まれた。まだ大丈夫、まだ動けると――どうしていいかは分からないけれどまだ行けると、そう思える。


 そんな自分に呆れ、そして心から安心した。とにかく動く気力があるなら、シグリィたちの足手まといにはならなくて済むかもしれない。


 村の人たちのために、できることがあるかもしれない。


 シグリィが服をたくし上げている間に、薬を染み込ませた布にもう一枚大きな布を重ね、傷口に当て直す。彼の上半身に腕を回して、布を巡らせた。


 離れたところから、大欠伸が聞こえた。


「ふあ~……あー。よう……朝かぁ……暗ぇな」


 ジオがようやく目を覚ましたらしい。明らかに寝ぼけたことをぶつぶつ言いながら体を起こし、眠そうな目をこすりながらふとこちらを見て、


「……なんだ。おめーら、なにいちゃついてんだ? アヤシイと思ってたがいつの間に」


 にやにやと表情を緩ませる。

 一瞬、何を言っているのか分からなかった。


「違うわよおジオさん。あれは怪我の手当ってゆーの! まあ見方を変えればいちゃついてるとも言うけどね!」


 セレンが杖を振り振りそんなことを言う。


「―――!」


 ようやく理解して、ラナーニャは真っ赤になりシグリィから離れた。


 今まさに結ぼうとしていた布が、はらりと落ちた。


 男性の裸に腕を回して(つまりほぼ抱きつくような形で)いる姿勢は、(はた)からはそういう風に見えるのだと、今の今まで気づかなかった。そして気づいてしまうと、いきなり自分がとんでもなく破廉恥(はれんち)なことをしているような気になった。自分はなぜ、何のためらいもなく彼の服を脱が――脱がし――駄目だ言葉にするのも恥ずかしい!


(ち、違う! ただの怪我の手当なんだから……い、今さらっ!)


 おろおろと動揺するラナーニャ。落ちてしまった布はすっかり意識の外だ。

 放置された布を見下ろしたシグリィが、困ったように呟いた。


「……カミルに替わってもらえばいいか?」

「! だ、だめ……!」


 慌てて布を手に取り直した。


(それじゃ駄目なんだ! 私にもできることは、ちゃんとやらなくては……!)


 気合いを入れ直す。顔を真っ赤にしたままラナーニャは()()とシグリィに向き直り、


「服を上げて、シグリィっ。手当は、私がする!」

「………? ああ、頼む」


 ――離れたところから見ていた見ていた年長者たちが、


「なんだ、ありゃあ」

「いいじゃないいいじゃない、かわいいじゃない~。お互い真面目なところが面白いわよねっ!」

「だが微妙に噛み合ってねェような気がするが……」

「若いってそんなもんよ!」


 とかひそひそ囁きあっていたことを、若い彼らは知るよしもない……



「……みんな、外に出てきてねえんだな……」


 小高い丘の木陰から村を見渡し、チェッタはぼそりと呟いた。


 普段ならこの時間、村の人間はとっくに起き出し、忙しく働き始めている。特に今の時期、冬の間に滞った物事を取り返すためにみんな必死になる。正直に言えば≪月闇の扉≫がやってくる年だということを忘れていた者さえいたのだ。


 ――いや、忘れていたというより。


「マーサが、()()()()()()()()()()()()()()、よーな気がすんな」


 姉は春が近づくにつれ、しきりに村人たちの気持ちを盛り立てた。収穫を増やすためにやることがたくさんあると、あの柔らかな声で繰り返されれば、村人たちもおのずと動くようになる。


 忙しければ色んなことを忘れることができる。

 だから村の人間は、好んで忙しくなりたがる。


「………」


 半眼で村を眺めるチェッタの横で、メリィは心配そうに表情を曇らせている。


 今朝はむやみに天気が良かった。白みがかった早朝のまばゆさから、次第にぬくもり豊かな青い空へと変わって行く。雲はのどかに流れ、鳥はいつもと変わらぬ様子で飛びすぎる。


 チェッタの心の緊張を誰も知らないかのように。


「メリィ。おれさ」


 隣の少女に向き直って、チェッタは改まった声で告げた。


「おれさ、しょーじき、これが正しいのかどうかわかんねーんだ。みんなにだまって、村にかかわることをする。他のやつがやるなら――ユードとかマーサとか、あー、ダッドレイとかがやるなら、ベツにいいかもしれない。でもやるのはおれと、おまえだろ」


 ほんの、子どもの。その言葉をあえて口に出さずに。

 メリィはつぶらな瞳でチェッタを見上げている。


 メリィの瞳は本当にきれいだ、とチェッタは思う。冬の夜の星空のようだ。澄み切っていて、小さな小さな輝きなのに、誰にも邪魔ができないような気がする。


 メリィがまばたきするたびに、星のまたたきを思い出すのだ。


「でもさ、あいつ――シグリィは、おれたちにならやれるって、言ってくれたんだ」


 そう、認めるのは変な話だが――


 あの旅人。初めて見たときから、気に食わないと感じた。なぜだか分からないけれど、とても遠い世界の人間に思えた。何を考えているのか想像できない――敵か味方かはもちろん、そもそも話が通じる相手なのかどうかさえ不安に思った。


 感じた反発は、《印》持ちだからなんかじゃない。違うのだ。


 考えてみれば、そんな風に感じたことこそおかしいと今は思う。あの旅人はどう考えてもまともな人間だ。少なくとも、ダッドレイのような人間よりよほど、チェッタの言葉を理解してくれる相手だろう。


 けれどたぶんチェッタは、彼らが三人連れで――()()()()()()を連れていなければ、いまだにシグリィとはまともに口を利けずにいたのではないかと、そう思う。


「……今でもアイツよくわかんねーんだ。だけどさ」


 チェッタは照れたように、ちょっとだけ笑った。


「なんか、さっきのアイツは、信じられる気がした」


 だからさ、と。


「おれはアイツとのやくそくを守る。村のだれにも言わないでこれをやる。でもメリィ、おまえはいいんだぜ」


 このまま帰ってもいい。それで、何も知らなかったふりをしてくれていい。

 村への隠し事がばれたなら、きっと年長者たちは怒るだろう。メリィはたまたま一緒にあの洞穴に行っただけなのだから、小さな彼女まで巻き添えになる必要はない。


 しかしメリィは、ふしぎそうな顔で小首をかしげた。


「メリィ、チェッタといっしょに、いくよ?」


 そしてその小さな手で。

 チェッタのそれよりもずっと小さな、ひとつしかない手で。

 符を握りしめたチェッタの手をきゅっと包んで。


「……あのね、メリィ、おこられてもへいきだよ……みんなの、やくに、たちたいな……」


「―――」


 チェッタはその手を握り返した。

 この村でもっともか弱いはずだった女の子の手が、今は何よりも心強かった。


 気持ちを落ち着かせようと目を閉じると、あの日の光景が瞼の裏によみがえる。父を、母を喪ったあの日。逃げるしかできなかったあの日。


 そして、大好きな姉たちの顔。優しすぎてチェッタに危ないことはさせてくれない二人。


 ――符を埋め込む、ただそれだけの行為がどれほどの効果を生むのかチェッタには分からない。それでも。


 やれることがある。やりたい。自分たちは――村の一員だ!


「よし。メリィ、やるぞ! なにがあってもおれがまもってやる!」


 目を開けて強く宣言する。


 メリィは春先の花のように初々しい笑顔を広げて、うん――とうなずいた。




「遅いなあ……チェッタ。何やってんだろ」


 干し終わった洗濯物の周りをぐるぐる回りながら、ハヤナは何度も遠くへと視線を飛ばしていた。


 例の洞穴がある方向。そこから帰ってくるはずの弟が、いまだに姿を見せない。洞穴に行かせてからすでに二時間以上経っているのに。


「メリィと一緒だから多少遅くなる可能性もあるんだけど……遊びまわってる? は、ないな。チェッタはそういうところ真面目だからな。じゃあまさか途中で黒い鳥に会ったとか……」


 想像してぶるりと身震いをした。

 慌てて頭を振って打ち消し、もう一度洞穴の方向を見やる。


 今日の村は静かだ。マーサからの伝達で、家の外に出ないようにしているからである。まだ黒い鳥が辺りを嗅ぎ回っているかもしれない、と。


 ただしその鳥が黒いことから、おそらく夜の活動のほうが活発だろうとマーサ(やダッドレイ)は言っていた。〝迷い子〟は人間を襲うのに有利な姿で生まれるから、その体は自然の動物よりずっと保護色などが発達しているとかなんとか。正直ハヤナにはよく分からない。


 ハヤナにとって、黒は威嚇の色だ。夜間に見る黒はたしかに危険だが、昼間に見る黒も十分恐怖を感じる。


(ああでも、〝迷い子〟は中途半端に相手を威嚇しても意味ないのか。自分を護るためとか競争に勝ちあがるためとか必要なくて、ただ人間を襲うためにいるんだから)


 空を見上げる。頭上に広がった薄い水色の中に、恐怖の黒が混じっていないかと注意深く観察する。


 チェッタを外に行かせたのはもちろん賭けだ。しかしあの旅人たちの様子は早いうちに見にいった方がいいと彼女たちは考えた。〝迷い子〟には見つかりませんようにと、心から祈るしかない。


 一方で、今ハヤナが外をうろうろしているのは、〝()()()()()()()()()でもあった。


 ユドクリフが集めた防御用の道具は各家に少しずつある。が、村長の家にもっともたくさん置かれている。今〝迷い子〟がハヤナを狙ってここへ来るのなら、むしろ歓迎だ。家の中ではマーサがいつでも撃退できるよう準備をしながら、絶えず外の様子をうかがっているはずだから。


 来るなら来い。ハヤナは空をにらみつける。

 逃げ続けるのはもう嫌だ。


「ハヤナ。洗濯は終わった?」


 窓の内側からマーサが顔をのぞかせた。

 終わったよ、とハヤナは顔を姉に向けた。


「でも、チェッタが戻ってこないんだ。ひょっとしたら――」

「あら、でも、あれはチェッタじゃない?」

「え?」


 姉が指し示した方向を慌てて見やる。


 その先に、たしかに弟とメリィの姿が見えていた。向こうもハヤナたちのことが見えたのか、走り出している。


 ハヤナは怪訝な顔で弟を迎えた。

 ――二人が帰ってきたのは、洞穴の方向からでは、なかった。


「お帰りなさいチェッタ。どうだった?」


 マーサが窓から身を乗り出して優しく微笑みかける。

 チェッタはすぐには答えず、ちらちらとマーサに視線で何かを問う。


「レイならもう帰ったわよ。大丈夫」


 察した姉の言葉にほっと表情を崩し、チェッタは「あいつら、げんきだったぜ!」と力強く報告した。


 嬉しそうだ。チェッタがとっくにあの旅人たちに情を移していることには気づいていたが、もはやハヤナも苦笑するしかない。

 そんなチェッタの服の裾を掴んで、メリィがもじもじしている。


 そういえばメリィが兄ロイックと長時間一緒にいないのは珍しいことだ。きっと今頃、ロイックは食事も忘れるほど心配しているに違いないが――


(……だから寄り道して帰ってきたのかもな。ロイックは心配性だから、あんまりメリィが出歩くのを喜ばないし)


 腕白(わんぱく)な二人の子が外出したのだ。洞穴からまっすぐ帰って来なかったことくらい、おかしなことじゃない。

 そう思って納得しかけたハヤナは、ふとチェッタの手に目をとめた。


「チェッタ……なに、どっかで水遊びでもしたのか?」


 弟の手足が濡れているのだ。いや、チェッタだけじゃない。メリィの手足も同様だった。

 首をひねったハヤナに、チェッタは顔を向けなかった。


「メリィと土あそびしてきたから、川であらってきた。きもちよかったぜ!」

「あらあら。遊ぶのもいいけど今は危ないから、ほどほどにしてね」


 マーサが穏やかに微笑む。「わかってるよ」とうなずいて、チェッタは空をふり仰ぐ。


「――いーいてんきだなっ!」


 その横顔。ふしぎと満足そうな弟の表情に、ハヤナはふと思う。こんな顔をしている弟は見たことがない――

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