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月闇の扉  作者: 瑞原チヒロ
第一章 その日、青い光が飛んだ。
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Side:Sigrye 05

「ダッハさんのお父上は、積極的に“福音の島”に関わろうとしているんですね」


 シグリィは何気ないことのように、問うた。

 そうだよ、とダッハはいじけた子供のように指先をくるくるさせながらつぶやく。


「親父は変人だから。あんなおかしなところにも平気で行くのさ」

「変人じゃあないと思うなあ、私」

 セレンが気楽そうに声を上げた。「だって、あの島に住む人々に救いの手を差し伸べるのって当然じゃない?」


 するとダッハは、信じられないものを見るかのような目でセレンを見た。


「あの島に住むやつらに? とんでもない! やつらは神に見捨てられた、いずれ悪に染まるに違いない連中だ!」

「それは大きすぎる偏見ですよ」


 シグリィは肩をすくめてみせる。


「神に見捨てられたとどうして言えます? ここ数年の、大陸の異変はご存知でしょう。何が起きてもおかしくない」

「だからその予兆としてやつらが現れたんじゃないか。あの、四神の《印》を持たない連中、《印》が消えた連中!」


 ダッハはぶるりと身震いする。


「とんでもない。《印》の加護を受けていない人間なんて……信じられないよ。きっとやつらは何かをしでかす。四神の《印》以外の力を持ってるに違いないんだ。たとえば“迷い子”のような」

「《印》がないからと言って、“迷い子”と同類にするの?」


 セレンの怒りがふつふつと沸きあがっているのが分かる。


「なんてひどい話! そもそも“迷い子”は人の魂から生まれていますからね、私たちだって同類なのよ!」

「いくら元が死んだ人間の魂だからって、人間を喰らうケダモノに成り果てたものと僕らが同じだと言うのかい!? 冗談じゃないよ!」


 君だって知ってるだろう! ダッハは叫ぶ。


「あのケダモノがどのように人間を喰らうのか! 周りに一人くらい、被害者がいるだろう!」

「いい加減にしなさい」


 ピン、と場が張りつめた。

 はっとダッハが息を呑んだ。

 シグリィが冷徹な顔で彼を見ている。

 今まで黙って聞いていたカミルが、不愉快そうに、


「……醜い言い争いだ」


 とつぶやいた。

 その一言で、セレンの熱も引いたようだった。


「ごめんなさい。シグリィ様、カミル。スージーさん」

「あ、ああ……」


 怒鳴り合いを呆然と聞いていたスージーは、呼ばれてようやく我に返った。


「でも私はこの人の言い種を許しません」


 セレンはきっぱり言った。


 ダッハの言い分も、間違ってはいないのだ。だが、言い方が悪い。むしろ言ってはいけない。周りに一人くらい、被害者がいるだろう、だなんて言葉。


 けれども今はそれを討論する場ではない。さしあたって自分たちが一番知りたいことは別にある。

 ダッハとセレンのにらみ合いを断ち切るように、「ところで」と、シグリィは口調を元に戻した。


「ダッハさん、私たちは、この後その問題の島に行こうと思っているんです」


 ダッハは目をむいた。


「バカか君らは!」

「いただけない言葉ですね。理由は?」

「だ、だからそれは今言って――」

「ですがあなたのお父さんは行かれるのでしょう」

「親父は変人だからだ! 旅人並みの変人なんだよ!」


 セレンがわらわらと、そのきれいな指を揺らしている。怒りのオーラが怖い。

 シグリィはダッハに話しかけるのをやめ、スージーの方に向いた。


「ここから“福音の島”に行くには、どうしたらいいと思いますか?」

「そうだねえ……」


 スージーは眉根を寄せながら頬に手を当てた。


「……うん。困ったことなんだけど、ダッハみたいな考えの男たちは多いんだ。だからさ、行くならジオに頼むしかないと思うよ」

「ジオさんですね。どこに行けばお会いできますか」

「船着場で海見ながら、ぶつくさ言ってるんじゃないかな――」


 分かりました、とシグリィは連れの二人を促して立ち上がった。


「大変な時に、丁寧なおもてなしありがとうございました、スージーさん」


 軽く頭を下げると、スージーはとても心配そうな顔で、


「海にも“迷い子”は出る。気をつけなよ、あんたたち」

 と言ってくれた。



 スージーの家を出ると、驚くほどに強い日差しが降り注いできた。目を細めて見渡すが、辺りに人気はなかった。おそらくみんな家の中か、もしくは別の場所で動いているのだ。


「自警団には寄らなくてもよいのですか、シグリィ様」


 カミルがそう訊いてきた。


「そうだな……」


 シグリィは腕を組む。

 自警団に行けば何か手伝えることがあるかもしれない。特に今はひたすら人手が必要な時のはずだ。

 しかし。


「……とにかくまず、私はジオさんの話を聞きたい。自警団に行くかどうかはそれから決める」

「分かりました」


 それだけ答えたカミルの声は穏やかだ。そしてセレンが、「じゃあすぐに行きましょう!」とシグリィの腕を引っ張った。


「決断素早く行動早く! 良いも悪いも、今決めることじゃないんですよ……!」


 そうだな、とシグリィは微笑んだ。


 ――船着き場へは、それほど時間もかからずに着くことができた。

 眼前には海が広がる。何事もないかのように静かな水面の上には、けれども何かがこごっているかのような、どんよりとした空気が漂っている。空の青さにも海の碧さにも混じることができない、奇妙な空間。


 その不穏な空気に抱かれて、何隻もの船が並んでいる。どれも小型だった。大人数での漁はしない町なのだ。


 視線を巡らせると、一番端の船上で動いている人影があった。

 近づくと、やはりシグリィたちの目的の男だった。


「ジオさん、帆船で出るんですか」


 シグリィの声に、ジオはその船の上で顔を上げた。

 他の漁船とはまた違う種類の、かなり小ぶりな帆船である。大人が十人も乗れそうにないサイズだ。

 シグリィたちの姿に、不機嫌そうに鼻を鳴らしたジオは、


「またお前らか。邪魔をするんじゃねえぞ、俺は何が何でもあの島に行く」

「一人で?」

「仕方ねえだろ。誰も付いてこないんだからよ――」


 吐き捨てた彼のいかつい顔に、赤い痣がある。ひょっとしたらどこかで殴り合いの喧嘩でもしたのだろうか。


 息子のダッハだけではなく、他の人間にも声をかけたのかもしれない。

 その中には、今この時にこの町を出ていくというジオの考えを嫌悪した者もいたのかもしれない。


 シグリィは作業を止めない男に言った。


「今ここを出ていくと、帰ってきても受け入れてもらえなくなるかもしれませんよ?」

「知ったこっちゃねえさ」


 即答だった。「行かなきゃ行かないで、ずっと後悔して生きることにならぁな。他の誰も行かねえってんだから俺が行く。それだけだ――皆で無視すりゃ許されるわけじゃねえ」


 その視線には、わずかな迷いもない。

 譲れないものがそこにある。


「私たちも連れて行ってくれませんか」


 シグリィの言葉に、ジオは虚を突かれたような顔をした。


「連れて行って下さい、私たちも」


 シグリィはゆっくりと繰り返した。


「お前らを……?」


 ジオはまじまじと目の前の三人を見つめ、それから不審の色を濃くして、唸るような声を出す。


「何のためにだ? まさかまた『研究材料』とか言うんじゃねえだろうな――」


 異質な存在が現れれば、必ずそれを調べたいと言い出す人間がいる。

 シグリィたちにしてもその類なのだが、中には人間を人間と思わないようなことも平気でやる者たちもいる。どうやらそういった輩は、すでにジオの前に現れたことがあるらしい。


 シグリィは言葉を選んだ。

 島へ行く、ジオの心はこちらに伝わった。ならば自分も、ごまかしのない気持ちを伝えなくてはいけない。


 カミルとセレンは黙って後ろに控えている。シグリィが何かを言おうとする時、彼らはそれを邪魔しない。そしてシグリィの選んだことを尊重してくれる。

 だからこそ、ひとつひとつの言葉をいい加減にはしたくない。


 彼らの信頼を引き受ける覚悟。

 そして彼らに気持ちを抑えさせる覚悟。


「島の人たちについて調べたいというのは事実です。異変の原因を調べたい。この大陸に何が起こっているのかを、私たちは知らなければならない」


 ただの好奇心ではない。

 “大陸のことを知る”――それは、彼が背負った義務だ。

 否、義務だけではなく。


(“知りたい”と、私が思った)


「けれど今はそのことを抜きにしても、あなたの仰る通り島に被害があったなら誰かが手助けしなくてはいけないと思います。私たちは旅人です。役に立つ自信はあります。道中のあなたの身の安全の保証も含めて。……生きて辿り着かなくては、何の意味もないでしょう?」


 シグリィはジオをまっすぐ見た。


「―――」


 ジオは全ての言葉を聞いてくれた。作業を完全に止めていた男の目に、逡巡するような気配がよぎった。

 やがて、


「――面白ぇ」


 男の口から、そんな言葉がこぼれた。


「いいだろう、連れて行ってやる。作業も全部手伝えよ――オラ、帆を張るぞ!」


 張り詰めていた空気が一気に溶けた。

 ありがとうございます、と礼を言うと、ジオは「けっ。利用のしがいがあると思っただけだ」と言った。


 背けた視線が和らいでいた。


 三人は船に乗り込んだ。本当はたくさんの荷物を持ち込むべきなのだが、さすがのジオも今この町から物は持ち出せない。

 シグリィたちの旅荷物と、わずかばかりジオが持ち込んだ水を持って。


「この海は夕方からよく風が吹く。島に着くまで、夜通し船の上だ――ああ、心配すんなよこの船でなら二度ほど島に行ったことがあるから」


 とジオは言った。


 船体をよく見ると、見かけよりもずっと頑丈に作られているのが分かった。何度か使われている跡があることからしても、少なくとも長旅には耐えられる船ではあるらしい。


 後は“迷い子”の数次第だ。――ジオ一人で海に出るというのは、さすがに命がけだったのだろうが、それだけにこの不器用な男の真剣さが伝わってくる。


 カミルにオールの使い方を教え込んでいる男から視線をはずし、シグリィは海を見渡した。

 西へ傾いていく陽光と、それを受けて光を散らす海面。海上に漂う不穏な空気の中で、必死にまたたいている。夜闇に浮かぶ星々のようにひたむきに。


「あ、風が」


 つぶやいたセレンの長い黒髪が、ふわりと舞った。

 この風は彼らを送り出すのか、それとも海に誘い込むのか――

 シグリィは目を閉じた。頬に触れてよぎる風の気配は、決して悪いものではない。


 ゆっくりと瞼を上げる。


「さあ行くぜ……! お前ら動くなよ!」


 景気付けのジオの声は、力に満ち溢れていた。

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