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月闇の扉  作者: 瑞原チヒロ
第一章 その日、青い光が飛んだ。
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Side:Sigrye 04

 ダッハを救った女性――名はスージー――は、このガナシュの町でも一番の料理自慢だという。


「運がいい。ご飯をめぐんでくれる方がそんな人だなんて」


 シグリィは微笑んでスージーを見る。


「坊ちゃん、口がうまいねえ」


 スージーは呆れたような顔をしたが、まんざらでもないようで、丸い目が微笑んでいる。


 スージーの家の食卓。

 テーブルを囲んでいるのは、ダッハ、シグリィ一行の四人だけだ。スージーは傍らに立って、ただ見ている。


 小粋な小母さん然とした女性が急いで作った、小魚のてんぷらあんかけにかきあげに、違う種類の魚の刺身。

 “迷い子”というものは基本的に人間の食料には興味がない。従って、≪扉≫が開いた直後であろうと、食料が残っているところには残っている。

 その食料の持ち主が生きていて、さらに“迷い子”たちに踏み荒らされていなければ――だが。


 シグリィたちは遠慮気味だった。先ほどの町の子どもたちのことを思うと、余所者(よそもの)の自分らのためにご馳走してもらうのは気が引ける。ダッハは猛然と食べていた。お腹すいたと連呼していたセレンよりも食欲がすごい。


 それもそうか、とシグリィは思う。緊張の糸が切れると、余計にお腹がすくのかもしれない。

 シグリィたちの食欲は、ダッハより先に満たされた。

 ふう、と息を吐きながら体をほぐしていると、ふとスージーがこちらをぼんやり見つめていることに気づいた。


「どうかしましたか?」

「いや……」


 スージーは少し赤くなった頬をぽりぽり人差し指で引っかきながら、


「あんたたち、旅人だって言うけど……よく、今まで目立たずにこられたね」

「いえ、どこでも目立ちましたよ。旅人なんて今時いませんから」

「そういう……意味じゃなくて……」


 きっぷのいい女性の典型的なタイプの彼女にしては、歯切れが悪い。

 シグリィはカミルやセレンと顔を見合わせた。


「まあ」

 セレンが目を細めて、いたずらっぽく笑った。「私たちが気にすることじゃないです」


 カミルは困ったように視線を横に投げるのみだ。

 シグリィは首をかしげる。どういう意味だろう?


「ま、まあいいさ。――すまないね、これだけしか食べさせてやれなくて」


 スージーはごまかすように話を変えた。


「充分ですよ。お気になさらず。……この町は今後、誰が中心になるんでしょう?」


 シグリィは彼女を振り返った。スージーは、考えるように頬に手を当てた。


「自警団の連中だろうと思うけどね。なんでも町長は大けがだってことだから、動けないだろう。あの連中は朝から町中を走り回っているし、みんな頼りにしているんだよ」

「自警団……」


 その単語をおうむ返しにつぶやくと、スージーが首をかしげた。


「何か用があるのかい?」

「第一にお手伝いを」


 即答し、それからたしかめるように言葉をつなげる。


「……それから、とある話をお聞きしたくて」

「話?」

「ええ。我々はそもそも、話を聞くためにこちらまで足をのばしたので――ああ、この町の漁師さんにもお会いしたいな」


 “漁師”という言葉を聞いて、ぎくりとダッハが肩をこわばらせた。

 それが見えていたのだろう、スージーはちらと彼を見やり、それからため息をつく。


「まあこの町の男は大半が漁師だからそれは簡単だけどね。……でも今は、連中は機嫌が悪いかもしれないから、おすすめしないよ」

「機嫌が悪い?」

「月闇の扉が開くと水揚げ量がさっぱりになるんだ。そもそも海に出ること自体減るから、海の男どもは鬱憤が溜まる――五年に一度、いつものことだけどさ」


 扉が開くとき、魚を含めた動物たちは競って隠れ家に隠れてしまう。人間よりもずっと敏感なのだ。

 けれど、扉から降り立ってくる獣たちが狙うのは動物ではなく人間だけ。皮肉な話ではある。


 一説には、動物たちは人間に、「逃げろ」と教えてくれているのだという。

 それもありえない話ではないなと、シグリィはその説も否定しない。


 現にそれを信じる東部――植物・動物を司る神コーラインが護る東部では、動物の動きで扉の開く時期を察することで、扉が開いたときの被害を食い止めている。

 その効果は統計で出ていた。東部では、被害者数が、たしかに他の地方より格段に少ないのだ。


(まあ、動物の動きを悟るのは、東部では簡単だろうしな)


 シグリィは、スージーが出してくれた豆を一粒つまみながら考えていた。


(――動物の動きを知るに必要な青龍の《印》が生まれやすいのは東部だ)


 豆を口に放り込んだ。

 ぽりぽりとよく噛んでいると、ふと耳が音を拾った。もちろん自分が豆を噛む音ではない。どしどしという重い足音――

 やがて、


「ダッハはいるか!」


 スージーの店の店頭から、野太い大声が聞こえた。

 その瞬間、ダッハは飲もうとしていたスープを噴き出した。


「ちょっとお!」


 セレンががたっと席を立って逃げ出す。カミルが冷静に、テーブルに置いてあったおしぼりでテーブルを拭いた。

 シグリィはスージーの動きを目で追った。


「ジオ」


 スージーは店につながるドアに行き、壁によりかかるようにして嘆息した。


「人の店の前で迷惑だよ、あんたの顔は怖いんだから、その上大声出されちゃたまんない」

「余計なお世話だスー。うちのバカ息子が世話になっているようだな」

「ああ、世話してるよ。まったく……」


 ダッハ、とスージーが肩ごしにこちらを向いて、青年を呼んだ。

 ダッハは振り向かずに、肩を縮めて震えていた。


「ダッハ、諦めな。家に帰ってこってりしぼられるこった」

「ううう……」

「ダッハ!」

「こら、勝手にうちの中に入るんじゃないよジオ!」

「バカ息子がそこにいるんだろうが……!」


 スージーが戸口でもめている。シグリィは立ち上がって、とことことそこへ行くと、


「ダッハさんはまだ準備が出来ていませんよ」


 とスージーの肩ごしに言った。


 見ると、ジオというダッハの父親はそれほど背丈はない。シグリィよりは高いようだが、イメージのような大男ではない。

 ただし横幅ある肩あたりの筋肉が盛り上がっているのが、薄い袖なしのシャツ越しに分かる。そのいかつさは、男を実際よりも大きく見せている。


 シグリィはすぐに見つけていた。ジオは、肩に碇の焼印がある。

 ――海の男だ。


「なんだこのガキは」


 ジオはじろりとスージーを見た。


「旅人だってさ。ダッハがうちの商品盗もうとしたとき、ダッハを止めてくれたんだよ」

「ふん」


 礼もない。ただ、「ダッハを出せ」とジオは唸る。どうも機嫌が悪すぎて、彼の内にたまったぐつぐつとした熱があらゆる気配りを消し飛ばしているようだ。


「嫌だよ!」


 とうとう、当のダッハが声を上げた。見やると、頭を抱えている。


「親父は正気の沙汰じゃないよ……! こんな時期に、海に出るなんて!」

「仕方ねえだろう! 俺たちが行かなきゃ誰が行くってんだ!」

「あ、あの島にはまだ蓄えがあるだろう! 今行かなくたって死にはしないよ!」

「この大馬鹿野郎!」


 ジオが吼えた。近くにいたスージーが耳をふさいだ。シグリィは平気な顔で聞いていたが、ダッハの方も耳をふさいでいる。


「あの島にも“迷い子”が仮に行っていたらどうする気だ! 誰も助けてやれんぞ! 俺たち白虎が助けてやらなくてどうするってんだ!」

「知らないよ! 大体白虎なのは親父であって、僕は青龍――」

「青龍の方が余計に必要だろうがっ!」

「ジオ! いい加減にしておくれよ!」


 たまらずスージーが叫んだ。しかしジオがなおも口を開こうとするので、


「はい、いったん休憩」


 シグリィはぴんと空中で指を弾いた。

 ばん、とジオの額が弾かれたような音がして、はっとジオが我に返った。


「話すときは落ち着いて。かっかしてては伝えられることも伝えられない」


 大道芸人の手品師のように、シグリィは両手を大仰に広げる。

 ジオは狐につままれたかのような表情をしていた。なぜ自分が突然怒鳴るのをやめてしまったのか、自分で理解できずに混乱しているのだろう。

 シグリィは知らんぷりで、


「ジオさん、ここはいったん撤退なさってください。お話はダッハさんから聞きますから」


 ――なぜ、通りすがりの旅人がダッハから話を聞かなくてはならないのか。

 そんなことさえ疑問に思わないまま、ジオは首をかしげかしげ、スージーの店から出て行った。


「え、ええと……お礼を言うべきなのかな……」


 席に戻ってきたシグリィに、おそるおそるダッハは顔を向ける。


「別にいいですよ」


 シグリィはすまし顔で返し、テーブルがカミルの手によってきれいになっていることにとりあえず満足した。ちなみにカミルは、キッチンに行っておしぼりを洗っている。

 スージーがやってくると、心配そうにダッハの顔色を確認する。


「スープはあいにく、もうないんだ。水でも飲み直すかい」


 ダッハはうつむいて、首を振った。

 やがてセレンがテーブルについたとき、ダッハはぽつりと言った。


「僕は青龍なのに、働かなくてずるいやつだと思うかい」

「いえ?」


 何でもないことのようにシグリィは否を言った。

 西部のこの地で青龍の《印》持ちが生まれたら、たしかに大喜びされるだろう。特に海の男たちは、魚の居場所が分かるはずだと歓喜する。


「ダッハさんは魚の居場所が分からないの?」


 セレンが忌憚なく訊く。少し間があった後、ダッハはまた首を振る。


「魚の位置ぐらいは分かる……」

「でも船に乗らないの?」

「……子供の頃」

 ダッハは抑揚なく話した。「僕に本当に魚の居場所が分かるかどうか試すために、親父が僕を海に放り込んだ。それ以来、僕は海が怖いんだ」

「あーらら」


 と、セレンは本当に何の遠慮もなく、正しい感想的反応を示した。

 カミルが戻ってきて、


「あの島というと、例の島ですか」


 と席につきながら尋ねる。


 ジオが訴えていたこと。俺たちが島に行かないでどうする――

 ダッハはうつむいたまま、うなずいた。


「そうだよ。“()()()()”だ」


 その名前が出た瞬間、シグリィたちの間に緊張が走ったのを、ダッハは果たして気づいたかどうか――

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