吟遊詩人が語り継がないであろう、そんなお話。
ドラゴンがいた。
金のドラゴンだった。
本来の金のドラゴンは善の象徴であるが、そのドラゴンは悪だった。
その姿を見て、多くの村や国の人々が武装と警戒心を解き、わらわらと集まり、祈りを捧げようとするタイミングで炎を吐いた。
ほとんどの人々が焼け死んだ。
ごく一部だけ生き残りがいた。
生き延びた人々の大半は、善の象徴のはずのドラゴンの悪辣な振る舞いに心を砕かれたが、その中のごくごく一部の人たちは立ち上がった。
ある者は復讐のために、ある者は危機を数少ない大国に報せようとと動いた。
数年後。
とある廃村に戦士が足を運んだ。
村一面を焼き焦がしたやり口に、戦士は例のドラゴンの仕業だと確信した。
「もし、そこに誰かおるじゃろうか」
ふと声がかかった。
声の方へと振り向くと、両目に火傷のあとが残った老婆が杖をついて現れた。
身なりは村人の服装だったが、ぼろ布を継ぎ接ぎしたものではなく、やや汚れてはいるものの上質の布地からそれなりの立場だったであろうと、戦士は見た。
「冒険者だ。婆さんは村長さんか何かか?」
「まぁ、そんなところじゃ。今となってはな。むさ苦しいところで構わなければ、こんなところで立ち話もなんじゃ、白湯ぐらいは出そう。ついて参れ」
戦士はドラゴンの情報が欲しかった。よって、老婆が不思議と協力的なことに若干の肩透かしを食らったぐらいだ。
もっとも、ドラゴンによって両目を失ったであろうと推測すれば、怨みつらみから色んなことをしゃべってくるだろう。そんなことはどこの村でも一緒だった。
大切なことは彼らの話を聞き届け、その上で、辛いのを承知でドラゴンの情報を引き出すことだ。
同じことばかりしゃべり、一向に情報が得られないこともある。
それでも辛抱強く相手することで、相手の心を少しでも開くことが出来たなら、有用な情報まであと少しだ。
ギリリッ。
戦士は思わず、得物を強く握りしめた。
握りしめたぐらいではびくともしそうにない丈夫な戦鎚だったが、戦士の逸る気持ちはストンと落ち着くのだった。
老婆は村の外れのボロ家まで歩かせた。
ボロ家は村で唯一、甚大な損傷を免れた貴重な家だった。
ところどころすきま風が吹いているのはご愛嬌だろう。
これ、と老婆は杖を置き、両手を叩いた。
「はい、村長様」
と家の奥からぼろ布をまとった若い女が姿を見せた。使用人だろう。
「旅人じゃ。白湯はまだ残っておるかの」
「はい。直ちに用意します」
使用人は戦士に軽く会釈をしたのち、家の奥へと引っ込んだ。
「さぁ、旅人よ。ワシの話を聞いておくれ」
「どうぞ、気のすむまでお話しください」
戦士はいつものように、相手の聞き役に徹した。
老婆の話は非常に長く、夜通し、戦士も頑張ったが旅の疲れもあってか舟をこぎ始めた。
ぐう。
ついに戦士は白湯の入った湯飲みを落とし、眠りの底に沈んでいった。
村があった。
何の取り柄もない村だった。
だが、その村は戦士がまだただの村人だった頃の村だった。
ある日、村人が水汲みに行く途中、金色に輝くドラゴンが村のすぐ近くの川に降り立った。
とっさに雑木林へと身を隠した村人は、始めて見るドラゴンに非常に驚いたものの、姿がばれて餌にされる怖さから息を潜めて様子見を決め込んだ。
ドラゴンは村人に気づくことなく、その身を変化させた。
女の姿になり、膝をつくと手のひらで水を掬い、コクコクコクとのどを鳴らしていた。
否、それは光景である。
村人は当時、年頃の男であった。
女の裸に興味があった。それがドラゴンの変化した姿であっても、一糸まとわぬ姿で水を飲む姿に見惚れていた。村では決して許されない不純な眼差しであったが、ここでは関係なかった。
おのれのいちもつに手が伸びるのも時間の問題で、やがて達しようとしたそのとき、村人の名を呼ぶ声がした。
村人の名を呼ぶ者は、当時の村の村長の娘だった。
村では珍しい教育を受けた娘で、そのせいか、村人を見ても目をそらすことのない変わり者でもあった。
村人は村長の娘の使用人となることにより、病から姿が変貌し、忌み嫌われた生活から救われた。
その村長の娘が村人を探していた。
「あら?」
村長の娘が川のほとりに出てきた。
ドラゴンが変化した女と出くわした。
「こんなところで裸だと風邪を引きますよ。私の衣服をーー
村長の娘は自分の衣服の一部を女に手渡そうと近づいた瞬間、燃やされた。
ドラゴンが片手を娘に向かってかざしただけで、手のひらから炎が吹き出し、娘はあっという間に炭となり、塵となり、その場で灰の山を築いた。
村人は、無我夢中でドラゴン女に接近し、手桶を振り回し、女の頬にぶつけた。
ドラゴン女は自分の肌に手桶をぶつけた不届き者に対し、条件反射でその首に手を伸ばし、締め付けたが、その男の身なりが醜悪なのを見て、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
ドラゴン女は空いた片手から鍬を召喚すると、呪文を唱えた。
ただの鍬は、呪文により禍々しい色合いを放ち、村人はそれを無理矢理握らされた。
呪われた鍬を握ったあとの村人は、謝罪の言葉を述べながら村の住人を叩き殺す者へとなり下がった。
老若男女問わず。
赤ん坊から家畜まで、村に生きるすべての命を奪った。
戦士が目を覚ましたとき、十字架に磔にされていた。
ご丁寧なことに衣服はすべて脱がされ、手足には五寸釘が打ち込まれていた。
「婆さんは、あの時の女だったのか」
戦士の問いに、老婆は一瞬だけ、顔を上気させた。
「だが、何故、老婆の姿なんだ?」
言ってはならない一言だったらしく、老婆はあの時のように片手を戦士に向けた。
戦士は死を覚悟した。しかし、放たれたのは雷で、威力は釘を打ち込まれた部分以外はさほど痛くなかった。
「おい、何の冗談だ? それとも、あの時みたいに呪いでもかける気か」
「黙れ」
老婆は雷を放った。だが、威力が先程の一撃よりも弱くなっていた。
戦士は無い知恵を絞って、この状況がどういうことか考えた。
「ババア、ひょっとして寿命か?」
「ドラゴンは、そう簡単に死なぬわっ!」
またも雷が放たれた。今度は少し痛かった。
ババア呼ばわりが効いたかもしれないと、戦士は後悔した。
「お母様は私を身ごもった際、勇者の魔法を受けて弱体化しているのです」
使用人の若い女が、居ても立ってもいられないような表情でそう答えた。
「人間の世界に伝わる言い伝えをひとつ。『何かを成す途中なら、男の勇者と寝てはならない。何故なら、その子種は近い将来、必ずお前を苦しめるだろう』か。心当たりがありすぎて、身に沁みるだろ?」
「黙れ、黙れ、黙れっ~~~~!!」
老婆は戦士が大事そうに抱えていた戦鎚を握りしめると無闇矢鱈と振り回した。
戦士は磔にされて動けないので、そのすべての攻撃が当たった。
だが、老婆の攻撃は一撃を加えるごとに威力が半減していくような感覚があった。
やがて老婆は戦鎚を持つ体力もなくなったようで、肩で息をし始めた。
「お母様がかけられた魔法は、反撃する度に弱体化がかかる魔法なのです」
うおおおっ! と老婆が両手を天に掲げた。
老婆の身体はいっそう細くなり、しわが増えた。髪の毛も抜け始めている。
(老化も進むような弱体化なのか。えげつないな、勇者)
老いに関する言葉を口にすると思わぬダメージを受けることを学習した戦士は、口にこそ出さなかったが、ドラゴン相手でも遠慮の無い魔法の威力に、ゾッとした。
と同時に、ひとつの考えが浮かんだ。
「なぁ、今のアンタは、数年前よりも確実に弱いんだよな。そして、お前は俺が誰だか知っている。俺がお前をどうしようとしているのも知っているよな」
一瞬の静寂のあと、老婆がさもおかしいとばかりに笑い飛ばした。
「クハハ、勇者ならいざ知らず、ただの村人だったお前がワシに復讐を果たせるとでも? どうやってあの呪いを解いたのかは知らんが、そこそこの業物のハンマーごときでワシの皮膚を破れるとでも思っておるのか? これを笑わずしてどうする。クハハ」
「ああ、そのハンマーは、フェイクだ。大事に扱っていれば油断が誘えたからな。本物は~~~~!!」
戦士は声にならない声を張り上げると手足に深々と刺さっていた五寸釘から自由を取り戻した。
両手両足に穴が開いた格好だが、これから交えるであろう苦痛と比べると些細だった。
裸の男はいちもつに手を伸ばし、いちもつを引き抜いた。
いちもつは仕込み杖のように伸びると、いつぞやの禍々しい鍬の姿になった。
戦士は無言でこれまでの臥薪嘗胆の想いを両手に込めた。
禍々しい鍬は更に発展して、獣のような虫のような竜のようなそのいずれでもない歪な牙をたくさん生やした斧の姿に生まれ変わった。
「暴虐の魔斧! おのれ、悪魔に魂を売ったか」
「お前に積年の恨みをぶつけるには、悪魔ぐらいしか取引相手がいなかったんでなっ!」
両手からこぼれ落ちる血をしっかりと吸った斧が妖しいきらめきを発する。
戦士は斧から更なる力と俊敏力、体力を得、ギラギラと光る眼差しで老婆を襲った。
老婆がまっぷたつに割れたーーと思われた瞬間、ボロ家が吹き飛び、金色のドラゴンが空を飛んだ。
「魔斧よ、空へと逃げる臆病者にお前の凄さをわからせてやれ」
戦士は魔法が使えない。
ただの腕力&体力バカを自覚していた。
契約した悪魔も教えてくれたことだが、『魔法が使えたら』と思うような状況に陥ったら、下手に自分でどうにかしようと思わず、素直に道具の力を借りることにした。
魔斧はウォオオン! と唸ったかと思うと、斧に付着している夥しい量の牙を飛ばした。
ただの牙ではない。
無力だった村人の悔しさと涙枯れても許されない大罪のギッチリ詰まった慟哭の魔力に染まった牙は、ドラゴンの羽めがけて飛んでいった。
ドラゴンの羽は皮膚と比べると耐久力は落ちるがそれでも魔力付与された鋼鉄よりは硬い。
よって、魔力を帯びた牙ぐらい……と侮っていた。
羽が、まるで凧が枝に引っ掛かって破れるかのように何の抵抗もなく破れるとは思ってもいなかった。
(まさか、弱体化の影響がドラゴンのときでも出ているというのか!)
遅れて、金色のドラゴンは考えたくもない事実を思い知らされた。
(嫌じゃ、嫌じゃ、嫌じゃ、ワシはまだ死にとうない。呪いを解いて、娘を全うに育てきるその日まで生きるのじゃ。ようやく出来たワシの娘の前で無様に死ぬのは嫌じゃ)
落下の衝撃を弱める意図もあって、ドラゴンは戦士に向けて火のブレスを吐きました。
たくさんの国と村と多くの人々を一瞬で塵にさせた、自慢の火のブレスはまだ弱っておらず、ドラゴンは安堵しながら着地しました。
「愚かなる最上位種よ。その傲慢が判断を誤ることを思い知れ」
魔斧から発生した地獄の炎を身に纏い、火のブレスの威力を相殺した戦士がいました。
戦士は魔法抵抗力がすこぶる低いです。それを知っているドラゴンはとてもビックリしました。
恨み辛みの力は、ファンタジー世界が常識としていることを次から次へと覆していきます。
「魔斧よ、我が怨みを糧として重量を与え、かの竜の皮膚を潰せ。牙は肉を喰え」
地に落ちたドラゴンは、竜の魔法や人間の魔法を駆使して足止めを図りますが、ある北国で崇拝されている伝説の狼神の顎にまで膨れ上がった斧の巨大さを前に声を失います。
そして何も出来ず斧の重量に押し負け、潰されました。
更に悪魔の斧は竜の美味しい部分をしっかりと味わい、穴ボコだらけにしました。
潰された時点でも辛うじて生きていたドラゴンでしたが、心臓と脳と魂を斧に一斉に食べられたことにより、再生も魔法による復活も叶わず、死を迎えることになりました。
「死? ぬるい。最後の仕上げだ」
戦士は魔斧に命じて自分の命を捧げました。
元々そういう契約なので、魔斧は使い手の命をあっさりと奪います。
そして、契約者の最後の願いを叶えました。
生前の金色のドラゴンは、ところどころ食い潰されてボロボロの赤銅色のドラゴンゾンビとして復活しました。
戦士の願い、それは『死ではなく、生き恥をさらすこと』でした。
考える脳も魂の存在も消え失せた金色のドラゴンだったものは、『あ"~う"~』としか言わず、ときどき、ゲロのような緑色の毒液と潰れた火袋から毒ガスを撒き散らす存在へと成り果てました。
竜の娘は変わり果てた母の姿に涙するも、悪魔に魂を売ってまで母に復讐を果たした亡き戦士のことを思うと、その場を立ち去ることしかできませんでした。
その後、変わり果てた竜は勇者によって討ち取られました。
平和が訪れたかのように思えたのですが、勇者の関係者は竜にかけられた魔法のことを知っていたので、その威力を恐れるかのように勇者に接したため、やがて勇者の増長を招き、新たな魔王が君臨するまでの間、元勇者による圧政に苦しむこととなりました。
それから数百年の月日が流れました。
ある時、旅先の吟遊詩人は古代遺跡にて竜の言葉で書かれた巻物を発見しました。
その吟遊詩人は古代語の解読に天才的な能力を持っていたので、瞬く間に巻物の内容を解読しました。
それは、あのときの竜の娘が後世のドラゴンに対して記した戒めの書でした。
「でもね~、竜のお嬢さん。ドラゴンはその傲慢さを捨てきれず、僕が生まれてくる十数年前に滅んだのさ~。そして~、竜のお嬢さん。ここに出てくる野暮ったそうな戦士は、僕のサーガに相応しくな~い~♪」
歌を一つ言い終えた吟遊詩人は、竜の書を元の場所に戻すと明日へと歩き出したのでした。