食用採用試験制度
科学技術や世界観についてのツッコミはナシでお願いします。
食用採用試験が実施されるようになったのは、そう遠いむかしのことではない。ほんの三十年ほど前のことだ。
脳波検査法、通称EEG。ヒトで言うならば大脳皮質の多数のニューロン群の総括的な活動を体外に導出し、喋ることなく思考を読み取るシステムのことを指す。
科学はここ数十年でめまぐるしい進化を遂げ、EEGはヒトだけでなく、ありとあらゆる生物に適用することが可能になった。さらには超微量の電気を流してやることで電気活動を活性化させ、情報をダイレクトに伝えることも可能になった。
すなわち、ヒトとヒト以外との会話が成立するのだ。
この技術は各家庭から学校、会社や国に至るまで広く受け入れられた。ヒト同士のコミュニケーションを円滑にし、全ての生きとし生けるものと意思疎通ができる。半世紀前には考えにも及ばなかった世界が、確かに実現していた。
メリットデメリットはたくさんある。だが人々はそれを新たな刺激として喜んで迎え入れ、生活は劇的に変化した。言葉を発する機会は少なくなり、ヘッドフォン型の装着を着用する人が多くなった。長距離信号は電話をほぼ消滅にまで追い込み、在宅ワーカーが増えた。影響を受けた事案はそれこそ枚挙に暇がない。
この影響は我々畜産業者にも及んだ。
その最たる例が食用採用試験制度の導入であろう。これも同様に数十年前には全く及びもつかないものだった。
食用採用試験制度とは、家畜もの試験を行い、優秀なものだけが食用として出荷されることが許されるという方式及びその試験を指す。
試験は筆記と実技に分けられる。
筆記で問われるものは知識量。どうすれば自分が社会の役に立つか、尽くせるか、すなわち自分の体はどうすれば美味しくなるのかの知識量が試される。これは牛や豚、鶏それぞれの養成所でEEGを通して教わる。
実技では実際に体のステータスを調べ上げられ、味の内定を出す。これは日々の成果を見るものだ。
すぐに食べるのなら実技だけでもいいのだが、中には潰すまでに時間が出来てしまう個体や、自分で育てて食べてみたいという顧客もいる。そういう時のために筆記も軽視できないのだ。
この二つの結果からどのメーカーに引き取られるか、どれほどの値段が付くか、はたまた食べられることなく死んでいくのかが決まってしまう。
それは彼らにとって人生で最重要事項なのだろう。
今もたくさんの牛が私の前で筆記テストを受けている。
問題が送られてきて、それに答えていく。頭に小型のマシンを装着しており、全てEEGを通して行われている。
皆一様に必死の形相である。何年も試験官をしていれば牛の表情も読み取れるようになってくるものなのだ。
やがて終了を知らせる合図がなり、全員が試験用のマシンを取り外して机の上に置く。私はそれを一つ一つ回収していく。
ほっとした表情の者、不安げな表情の者、ぽかーんとしている者。その態度は様々だった。
次は実技になる。
順番で係員に連れられて別室に移動し、待っている間は休憩時間になる。会場はざわめき始め、私はそれを静止することもなくぼーっと眺めていると、一頭の雌牛が近づいてきた。
『あの、すいません』
人工の声が脳内に響く。始めはこの声もしっくりこなかったが、もうとうに慣れてしまった。
『なんでしょう』
私も電気信号を流して応じる。億劫だが、これも仕事のうちのひとつだ。
『二一八九番はいつごろ実技が始まりますか?』
『あと一時間くらいですね』
自分の腕時計を見て答える。
検査自体はすぐだ。調査門をくぐれば、出た時には既に評価が出ているのだ。ただいかんせん個体数が馬鹿に多い。これも科学の発達の仕業なのかもしれない。
『退出届けをお願いできますか?』
『分かりました。退出理由は?』
『少し体を動かした方が適切な検査結果が出る体質なので』
『はい、どうぞ』
所詮形式的なものだ。どんなに下らない理由でも、よほどおかしくない限り受理することになっている。それこそ、外の空気が吸いたくなったとかでも通るだろう。
私はふと変な気持ちになって、なんとなく彼女に電気を飛ばしてみた。
『そんなにいい結果が欲しい?』
いきなり呼び止められた彼女はびっくりしたようで、一瞬固まった。私は瞬時に声をかけたことを後悔した。
『……もちろん、欲しいです』
『どうして?』
『どうしてって……美味しくなって、試験でいい成績を取って、いいメーカーに引き取られて、食べられたい。当然じゃないですか?』
『……そう、だな。すまない、変なことを言って。実技試験開始までには必ず帰ってくるように』
『はい』
彼女は何が何だかよく分からないという風に私をじーっと眺めていたが、それも無意味だと悟ったのか出口へと歩いていった。
その足取りは、悲しいほどにしっかりとしていた。
ご覧いただきありがとうございました!
受験勉強したくないよ〜、ってお話でした。