ぼくはたびびと。
『星がかがやく夜、なんてよく言うけれど、ぼくはそれってちょっとふしぎだなぁと思う。だって、くもにかくれて見えないだけで、太陽の光に負けちゃってるだけで、変わらず宇宙に星はある――そこでずっとかがやきつづけてるって、聞いたことがあるから。ということは、その夜がいつなのか定めにくくない? 夜ってことしかわからないじゃないか。だから、ちょっとふしぎだなぁと思うんだ。お母さんにこれを言ったら、あなたはてつがくしゃみたいね。だれに似たのかしらって笑われちゃった。てつがく、って何なんだろう? どうしてお母さんは笑ったんだろう?』
今日書いたページを読み返してから日記をとじると、ぼくはすぐベッドにもぐりこんだ。
ぼくは、日記をつけている。その日に起こったことだけじゃなくて、考えたこともそこに書き記す。気づいたときにはもう書き始めていたそれはとても面白くて、ぼくにとっての楽しみなんだ。学校や遊びから家に帰ってきて、お風呂に入って、ごはんを食べて、お父さんとお母さんとおしゃべりをしてから自分の部屋に入って、そして日記を書く。一日で一番楽しみにしているのがその時間。
明日はどんなことがあるだろう、明日は何を書こう、そう思いながら寝るのが、ぼくの毎日――。
次の日も、ぼくはいつも通りに学校へ行く。
手ぶくろをして、ぼうしをかぶって、コートを着て、学校までの道のりを歩くんだ。冬は寒くて苦手だけど、しもが降りたり雪が降ったりするのは大好き。だって、しもを踏んだ時のシャクシャクっていう音が面白いし、地面の表面がもち上がるのは見ていてふしぎだから。雪はきれいで、外で遊ぶのがよけいに楽しくなる。今日は雪が降っていないけど、しもは降りているからいいや。
ぼくの家は学校から遠いから、いつも一人で通っている。ちょっとさみしいけど、お仕事に向かうお父さんとたまにいっしょに行けるから、そんなに気にせず行く。学校の近くにあるバス停で、仕事場にバスで行くお父さんと別れるのは、残念で仕方がないけど。もっといっしょにいたいのになぁ。
教室に入ると、ようちえんがいっしょだった女の子、みどりちゃんがもう来ていた。おはよう、と言われたので小声でおはよう、と言い返すと、聞こえなかったのかみどりちゃんはふいっと読書に戻ってしまった。
ろうかから怒っている大きな声が聞こえてびっくりした。先生の声だ。聞いていると、大きなしもを学校の中にもちこんだ子がいるらしい。そのあとしょんぼりしながら教室に入ってきた、このクラスで一番元気な男の子、こたろうくんの手ぶくろが汚れているから、たぶん怒られていたのはこたろうくんなんだろう。もってきたくなる気持ちはわかるけど、溶けたらどろどろになっちゃうからね。こたろうくんがしもを学校にもちこむのは三度目だ。毎回先生に怒られている。
朝の会を終えた後。授業が始まるちょっと前に、こたろうくんがさわぎだした。
「教科書忘れた!」
先生は教科書やノートを忘れるとすごく怒る。子どものお仕事は遊ぶことと勉強だ、というのが口ぐせの先生に。
「あの……」
こたろうくんはとなりの席だ。助けてあげよう。そう思って声をかけた。
「何?」
ふりかえったこたろうくんが上からぼくを見下ろす。ぼくは身長が高い方じゃない。対してこたろうくんは大きい。
「……なんでもない」
「何なんだよ、おまえって本当よくわかんないなぁ」
こたろうくんがそう言うと、授業始まりのチャイムがなった。席に座り、こたろうくんが怒られているのを見る。そして結局、ぼくとこたろうくんがいっしょにぼくの教科書を見ることになった。
ぼくが「教科書、いっしょに見よう」ともっと早くに伝えられていれば、こたろうくんはこんなに怒られずにすんだのだろうか。こたろうくんはこんなにしょんぼりせずにすんだのだろうか。
もし変わらず怒られたとしても、ぼくはこたろうくんに提案してみるべきだった。そうすればこたろうくんは少なくとも心のよりどころが出来たはずなのに。
実はぼくは、人と話すことが苦手だ。
自分の正面にいる人の目を見るだけで顔が赤くなってしまって、うまく言葉が出なくなる。お父さんやお母さんなら平気。だけど、学校のお友だちとはうまく話せない。初めて会った人なんてもってのほかだ。だれかの後ろにかくれてしまう。
どうしてうまく話せないのか考えることがある。
人がきらいとかじゃない。そんなのぜったいにない。ぼくはみんなが大好きだ。本当はおしゃべりがしたい。学校が終わった後とかも、いっしょに遊びたい。
たぶん、ぼくには勇気がないんだと思う。
相手に話しかける勇気。相手の目をまっすぐ見る勇気。そして、相手に聞こえる声で話す勇気。
この日もぼくは、日記と向き合った。
『今日もこたろうくんが先生に怒られた。でも、ぼくはこれに責任を感じてる。ぼくは助けてあげられたはずだ。どうしてこんなに人と話すのが苦手なんだろう? どうして勇気がないんだろう? 育ってきた環境も一つの原因かもしれない。ぼくはひとりっこで、ようちえんに入るのがおそくって、あまり人と関わらなかったから。でも育ってきた環境のせいにするのはどうにも気が進まない。お父さんお母さんのせいにしてるみたいで。そんなのってちょっとひどいと思う。お父さんとお母さんはいっしょうけんめいにぼくを育ててくれている。それじゃあ、どうしてぼくにはこんなに勇気がないんだろう?』
何だか今日は、大好きな日記を書いていても気分が上がらない。少し悲しい気もちになりながら、ぼくはベッドにもぐりこんだ。
次の朝も、ぼくはいつも通り学校に着いた。今は昼休み。クラスのみんなでお昼ごはんを食べてから、クラスのみんなで体育館に来ていた。ぼくの学校は、クラスごとに日替わりで体育館が使える。今日はぼくのクラスが使える日だった。
「今日は、王さまドッジボールをします。あなたたちは赤チーム、あなたたちは白チームね」
先生がチーム分けをしていく。
ドッジボールか……ぼくは運動があまり得意じゃない。だって、運動神経がそんなに良くないし、みんなとコミュニケーションを取れなきゃ勝てないのに――。
「あっちこたろうがいるから気をつけなきゃな」
「ね、こたろう強いから」
「友希!」
友希。ぼくの名前だ。
チームごとに分かれて王さまを決める時間。王さまが当たるまで続けるドッジボールは、ぼくたちの学年の流行りだった。
「おい、おまえ王さまな」
ちょっと待ってよ、困るよ。ぼくはそんなに逃げ回れない。断らなきゃ、こっちのチームは負けてしまう。
「え、ぼ、ぼく……」
「きーまった!」
でもそんなぼくの言い分は掛け声に打ち切られ、みんなはわいわいと外野やら逃げ回るためのポジションやらへ走って行ってしまった。一人コートのど真ん中に残されたぼく。慌てて端っこに寄る。
どっちがボールを始めに持つかはジャンプボールで決めるのがぼくたちの約束だ。相手チームにはクラスで一番大きいこたろうくんがいるので、ジャンプボールはあっさり負け、ボールを取られてしまった。
そして先生は、ちょっとみんなでやっていて、と言って走って職員室に戻って行ってしまった。たぶん、何か中途半端にやり残してたんだろう。
「こたろういけー!」
こたろうくんは小さいころから野球をやっていて、こたろうくんに向かって投げたボールは全部つかまえちゃうし、こたろうくんに投げられたボールは速くて、ぼくなんかじゃ全然とれない。
「わぁ、こたろうが投げるぞー!」
小学校低学年って、運動神経が良いとすごくちやほやされるんだ。ぼくもそういう時にはすごいと感動するから、別に文句を言いたいわけじゃないんだけど。
「いっくぞー!!」
こたろうくんがボールを投げようとした。その方向は、ほとんどのみんなが固まっている端っこだった。ぼくは逆の端っこにいるから他人事だけど、これじゃあ一人二人はかならず当たる。きゃあきゃあと言って多くがこっち側に逃げ始めている中、あんまり動かない人もちらほらいた。そうだよね、こっちに逃げてきたら今度はこっちがねらわれるんだもんね。
あれ?
みどりちゃん。動かないであっちにいるけど、何だかおなかを押さえているように見える。確か、みどりちゃんは身体のどこかに病気をしていて、この前少し入院していたんだ。心配だ。
「ね、ねぇ、みどりちゃん? 大丈……」
ぼくはみどりちゃんのことしか考えられなくなってしまって、みどりちゃんの方へ走って行った。でも、ぼくがみんなの固まっている中から表に出るのと、こたろうくんがこっちにボールを投げるタイミングが同じで――。
「おい!」
「友希、おまえ王さまだろう?!」
「どうして一番に当たるんだよ!」
ボールに当たってしまったぼくは、一気に責め立てられて何も言えなくなってしまった。ぼくを囲んで怒っているみんなが怖かった。その時、こたろうくんがぼくの方に歩いてきた。
「友希は悪くないのに、何でそんなに怒ってるんだ? かっこわりー」
「は?」
ボールを小脇にかかえているこたろうくん。
ぼくを、かばってくれてるの?
「友希はたまたま当たっちゃっただけだ。自分から当てられに行ったわけじゃない。そんなに責めたらかわいそうだろ」
しぃんとなった体育館。気まずいぼく。
「みどりちゃん?!」
先生が戻って来ていたらしい。はっとその先生の叫び声に声の方向を見ると、みどりちゃんがうずくまっていた。
『ドッジボールの時、みどりちゃんの体調が悪くなったので救急車を呼んだ。みどりちゃんは入院になるらしい。とっても心配だ。ぼくがもっと早く気づいていれば、みどりちゃんは入院せずにすんだのだろうか? ぼくがみんなに自分の意見を言えていれば、みんなももっと早くみどりちゃんに気づいたのだろうか? きっと、きっとぼくは、ダメな子なん――』
「友希、入るよ」
「あ、う、うん」
ぼくは慌てて日記を閉じ、机にしまった。ドアを開けてお父さんが入ってくる。
「どうしたの?」
「父さんが昔話をしてあげようと思って」
「ぼく、そんなに小さい子じゃないよ」
「いいから。横になりなさい」
ぼくは素直にベッドに横になった。お父さんがベッドの横にイスを持ってきて座る。
「むかーしむかし、あるところに、小さな男の子がおりました」
お父さんが話し出した。
「その子は、他の子より背が高いわけでも、運動が出来るわけでもありませんでした。でも、他の子より優しくて、よく周りを見ている。そんな聡明な男の子でした」
「聡明ってなぁに?」
「賢いってことだよ」
「ふぅん。それでどうなるの?」
「おしまい」
「え?」
「これでおしまいだよ」
「え、その子が何かするんじゃないの?」
「そうだよ、するんだ。その男の子はこれまでもいろんなことをしてきたし、これからもしていくんだ。でも、今父さんが言いたいのはそこじゃない」
たぶん、ぼくの頭の上にははてなマークがたくさん浮かんでいると思う。
「みどりちゃん、だっけ? 今日入院した子」
「うん」
「みどりちゃんのいいところは?」
「本を読むのが好きで、何でも知ってるんだ。それに、あんまりおしゃべりしないぼくにもあいさつしてくれる」
「じゃあ、あの一番大きい子。何だっけ?」
「こたろうくん? こたろうくんはね、いっつも明るくて、元気なんだ。でも空気が読めないわけじゃないんだよ」
「じゃあ、友希のいいところは?」
「ぼく……は、勇気がないし、声小さいし……」
「違う。いいところを聞いてるんだ」
「……わかんないよ」
「父さんが考える友希のいいところはね、よく悩むところだ」
「そんなの、いいところじゃないよ」
「いや、いいところだよ。友希は疑問に思ったことをよく悩む。友達のいいところを考える。友達を助ける方法を悩む。考える、悩むことって、どんなことをするにもまず必要なことなんだよ」
「……うん」
「それじゃあ、クイズを出そう。今言った、みどりちゃんとこたろうくんと友希のいいところを聞いて、思いつくことは?」
「うーん、みんな一つはいいところがあるってこと?」
「うん、そうだね。それも正解だ。みんな、いいところをもってる。悪いところの方が多いかもしれなくても、いいところが絶対にあるんだ。でも父さんが思いついたのは、みんないいところが違うってことだ」
「あ、そっか」
「いいところが一緒の子だってそりゃいるさ。でも、みんながみんな元気で明るくてってわけじゃない。それでもみんな頑張って楽しく生きてる。みんなと違うことが悪いわけじゃないからだ」
「みんなと違うことは、悪いわけじゃない……」
「そう」
「何だかたくさん言われて頭がパンクしそうだよ」
お父さんは軽く笑って、ぼくの頭を撫でた。
「最後にこれだけは言わせてくれ。もし自分のいいところだけじゃ満足できないなら、他の自分が欲しいと思ったいいところを持っている子をよく見て真似をしなさい。それが一番近道だと思うよ」
「……うん!」
「よし、今日はここまでにしようか」
「うん。お父さん」
「ん?」
「ありがとう」
「……ああ。おやすみ」
「うん、おやすみ」
ぼくの頭には、ぼくをあの時かばってくれた、こたろうくんの顔が浮かんでいた。
翌朝。朝の登校中、お父さんと別れた後に、ぼくはこたろうくんを見かけた。でも、何だか怒ってる?
こたろうくんの視線の先には、野良ネコをつかまえていたずらをしようとしていた、ぼくたちより上の学年の男の子が三人いた。
「何やってるんだよ、ネコをはなせよ!」
「やーだよーだ」
「うるさいなぁ、おまえだれだよー」
「何やろうとおれたちの勝手だろー」
「ネコも生き物なんだぞ! いやがってるじゃないか」
確かにネコは一人の男の子の腕の中でもがいている。
ネコにいたずらをしようとペンを持っていた男の子が、ランドセルから輪ゴムを出して、こたろうくんに向かって特有のやり方で飛ばした。
ひどい。悪いことをしていたのはそっちなのに、正しいことをしているこたろうくんに痛い思いをさせるなんて。
「いいからはなせよ」
こたろうくんはそれでもネコを助けようとしている。今度は、もう一人の男の子が輪ゴムを取り出して飛ばしてきた。
助けなきゃ。ぼくはこたろうくんの方に近づこうとした。でも、その一歩が出ない。
『友希は悪くない』
ぼくをかばってくれた。
『他の自分が欲しいと思ったいいところを持っている子をよく見て真似をしなさい』
だとしたらぼくにとってその子は、こたろうくんだ。
大きく一歩をふみだして。
「やめなよ!」
大きな声で。
「友希?!」
堂々と。
「輪ゴムを飛ばすなんて、当たった人は痛いに決まってる。人に向かってそんなことしちゃいけないって習わなかったの? それに、ネコにいたずらするなんて笑い話じゃすまされないよ! 自分がネコだったらどんな気持ち?」
男の子たちは静かになった。びっくりしていて、ちらちらこっちを見ている。
男の子の一人がネコをはなすと、だっと学校の方向へ走り出した。他の子も慌てて続く。ネコも走って行ってしまった。
その子たちが見えなくなると、ぼくはこたろうくんの真横まで駆け寄った。
「大丈夫?」
「おう」
こたろうくんがぼくに向かって笑いかけた。
「助けてくれて、ありがとな!」
「い、いや、助けたわけじゃ……」
「おまえ、すごいよ! おれ、カン違いしてた。いっつもおまえ静かだからさ。でも、こんなにかっこいいこと出来るんだな! まあ言ってることは友希らしくて笑えたけど」
え、最後の言葉は要らないよ? でも、ぼくたちは笑いあった。今までかなり感じていたこたろうくんとの身長差が、今日はあまり感じられなかった。
「こたろうくんこそ、この前かばってくれてありがとう」
「おれ、何かしたっけ?」
「ドッジボールでかばってくれたじゃない」
「ああ、あれか。いいよいいよ、今回でおあいこな」
「うん!」
自分の声がいつもより全然大きいことに気づいた時、見えている風景はいつも通りなのに、何だか世界が違って見えた。
「学校、行こうぜ!」
「……うん!!」
『今日はこたろうくんを助けてあげた。こたろうくんと仲良くなれてとてもうれしい。やっぱりお父さんはすごいと思った。それから授業で、みどりちゃんに千羽づるとお手紙を書いた。千羽づるの折り方がわからない子がいたから、ぼくが教えてあげようかと言ったらおどろいてからうんと言って、大きな声で友希が折り方教えてくれるって、と叫んだのでみんなが集まって来て大変だった。でも楽しかったからいいや! 今日は何だか一歩前に進めた気がする。やっぱりぼくは、ダメな子なんかじゃないのかもしれない』
ぼくはたびびとだ。思いのたびびと。
たくさん悩んで、答えを出して、また悩んで、たまには人の力も借りて大きくなっていく。
これからもいろんなことがあるだろうけど、ぼくはたびをやめたくない。これからも続けて行こう。




