終
優里に取り憑いた魂は、私の魂の”臭い”に引き寄せられるらしい。今現在、私の魂の臭いは岩下さんの魂吸引能力によって外部へと漏れ出ない様になっている。作戦はこうだ。今宵深夜、その柵を開放し、緑間さんの霊魂拡散を利用して隣町まで私の臭いを広域飛散させる。それでも優里が現れなかった場合には岩下さんが動くことになる。岩下さんの霊魂収縮の性質を応用すれば霊界と現実世界とを行き来することができるらしく、それを利用して霊界まで行って優里を連れてきてもらう。私の魂の臭いがある程度移っている岩下さんの魂はおそらくではあるが優里を引き寄せことができるそうだ。いずれにせよ、岩下さんが優里と接触したらばそこで余分な魂の吸引を行う。こうして万事解決という訳だ。つまり現実世界と霊界、両方に私の臭いを撒き散らし、優里を釣り上げる、と言う寸法である。
「釣り上げるって・・・。そんな洒落たことを言う余裕があるんですね」
岩下さんは呆れたように言う。確かに自分で言ってても少し変だとは思ったのだが。
「緑間の魂が少し入りすぎたか?落ち着きが半端じゃないぞ」
「失礼ね。私の治療は完璧よ。魂の残り香なんて残すはずないわ。あぁっと、すみません、実は私、高橋さんに霊魂的な治療を施しておりまして・・・、人の魂が自分の体に入るなんてショックでございましょうから今まで黙っていたのですが。」
「いえいえ、私は気にしてませんよ」
岩下さんがフフッと笑う。本当に嫌な性格をしている。
「しっかし13本分の魂か、少しきついかもしれないなぁ。その優里さんが現れたら緑間、少し私の魂掃いてくれよ」
「OK」
長年連れ添った仲であることを匂わせるような、わけのわからない専門的な会話だった。
「あぁ、その間高橋さんには少しきつい思いをさせてしまうかもしれませんが、我慢してくださいね」
「どうせ幻覚なんでしょう?わかってしまえば気構えもできます」
「ん?あれは幻覚なんかじゃないですよ。おい、緑間」
「あぁ、だって直後なんですもの、本当のことなんて言えるはずも無いでしょう」
「え、なんの話ですか?」
「実は顔が裂けたとか下半身がなくなったとか、あれ、本当は幻覚ではないんです」
「なんっ、でだって今は」
「お彼女様に取り憑いた魂が行ったのは、高橋さんの魂への攻撃なんです。魂においての下半身喪失は、現実世界では下半身不随として発現します。顔面が裂けたら・・・まぁ言うまでもありませんね」
「緑間は高橋さんを見つけた時、まず最初に切断された魂の治療を行ったんですよ。後少し遅れていれば元には戻らなかったかもしれないそうで御座います。」
そんな世にも恐ろしい雑談をしながら、夜は更けていった。
深夜2時。近所の公園。虫の鳴き声のみが響く中、電灯の光を避けて私たちは横並びになる。優里がどこから来ても対処できるようにだ。
まず最初に岩下さんが”臭いの柵”を破壊する。
刹那、再び耳鳴り。
来た。早すぎる。
その登場は、3人の予測を見事に裏切った。
「高橋くああぁアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
久し振りに聞く、優里の声だった。
しかしそんな余韻に浸る間もなく、私たちは同時に現れた別のものに目を奪われていた。
それはスーツを着た一人の男と黒い針金のような蛇だった。まず明らかに人間でない声が聞こえた。
「ドチラダ」
次に人間が喋る。
「右だ」
私たちに向かい合っている相手方から見て”右”とは、緑間さんを指していた。
ハッと左側を見る。緑間さんの目は通常からは考えられないほどカッと見開き、唇と両手はせわしなくわなわなと震えていた。額から一筋の汗が流れている。
「あなた、どうして・・・」
男は答える。
「久しぶりだな、早希。
この悪魔はお前と違って何もしてくれないんだ。
霊界からこの世界までやってくるってだけで右目を代償にしなきゃならないんだぜ。
しかもこっちに長居はしたくないときた。
それで困っていたんだが、偶然お前の匂いを僅かに発する魂をこの悪魔が見つけてくれてさ、一緒についてきたんだ。
するとドンピシャだ。素晴らしいね。
そうそう、この悪魔はお前が倒した悪魔使いのものだ。
懐かしいだろう?
お前の匂いが染み付いていた私を尋ねてきたんだよ。
聞けば不老不死を与えてくれるという。
愛する者の魂と引換に」
数分にわたり一人で喋り続けるその男を前に、私たちは棒立ちだった。
「いやよ・・・私・・・」
「ほんとうに嫌か?」
緑間さんは、私たち二人を向いて、笑った。
「緑間!」
岩下さんが叫ぶ。
「ごめんね」
直後、蛇の悪魔が大口を開け、緑間さんを丸呑みした。
蛇は男をくるくると包み、再び闇へ消えていった。
「駄目だあああああああああああああああああああ!」
岩下さんの咆哮が公園中に響いた。
止まらない涙を一本の腕で豪快になぎ払うと、岩下さんは私を担いで走りだした。
私の体中に絡みつく冷たい腕や体がブチブチと引き剥がされる。
彼女は周りの目も気にせず、ホテルまで一目散に走って行った。あとで聞いた話だが、霊魂収縮の性質というのは周囲の無機物や有機物から魂を吸収するために運動能力が常人よりずっと高いらしい。
ホテルに入ってから、彼女は泣きじゃくりながらチェックインを済まし(既に予約は済ませてあった)、部屋に入った。
彼女は部屋に入るとすぐにベッドに身を放り投げ、
「うわあああああああああああああああああん」
大声を上げて泣いた。
翌日、彼女は
「優里さんに取り憑いた魂は元々緑間のものです。緑間がいなくなった今、徐々に揮発していくでしょう。私の概算だと、あと一週間もすれば彼女はこちらの住民になりますし、更に経てばもとの人格も戻りましょう。ある意味最善の治療法であると言えます。私の吸引では、余分な魂のみならず優里さんのものも少なからず吸い込んでしまったでしょうから。
少なくとも一週間、夜間は私と一緒にいてもらうことになります。
それと、霊魂による攻撃は通常、対象の精神を沈黙させてから行うものです。だから昨夜の優里さんとの接触では、高橋さんの魂にダメージはないはずです。安心してください」
と言い、昼に危険はないですからと付け加えると、どこかへ消えてしまった。
その目は赤らみ、腫れていた。
その日は休日だった。
まず優里の家へ行き、家族に彼女が行方不明であると告げた。
両親は泣き崩れた。
次に私は自分の家に寄った。
当然、鍵は壊れたままだった。
玄関にあった優里の靴を、ビニール袋に包んでから箪笥の奥より引っ張り出したバッグの中にしまい入れた。
それと、洗面所からタオルを一枚取り出して、それもバッグに入れた。
あの時公園にいた優里は裸足だっただろうから。
そこで私はそれまで何も物を食べていなかったことに気づき、ファーストフード店に寄った。
ポテトを口に入れたが、飲み込もうとするたびに吐き気をもよおすために結局食べることは出来なかった。
夕方になろうという頃、私は例の公園のベンチに座っていた。私たち三人の立っていた場所を見つめていると、緑間さんの姿がそこに見えるからだ。
ただ、私は疲れてしまった。
目を閉じると、暗がりにみるみる吸い込まれていく。
何もない空間
優里、助けて
優里──
「おい、なにしてるんだ。行くぞ」
岩下さんの声だ。
私の髪をくしゃくしゃするな。
そこは優里の特等席なんだ。
私は、目を閉じたまま笑う。