隣の女性
目が覚めると昼だ。布団をかぶっている。自分の部屋かと思ったが、違和感を感じる。横を向くのが怖い。それでも体ごと動かして横になると、それはやはり私の家具ではない。しかし間取りや備え付けの衣服入れが一緒であることから、同じアパートの部屋であることが伺える。部屋を少し見渡すと、例の隣に越してきた女性が椅子に座っていた。読みかけの本にしおりを挟んでいる。
「調子は、どうでしょうか」
優しい調子で彼女は言った。
「えぇ・・・」
頭が真っ白であったために答えらしい答えも思いつかない。
彼女は見透かしていた。
「残念ですが、あれは夢ではないんです・・・」
「あれって・・・」
「恐ろしい経験をされたのでしょう・・・」
「あ、えぇ・・・」
「あそこには、もう一人誰かいらっしゃったのでしょうか」
私を助けてくれたのか。優里は?
「私の、彼女が」
「そうですか・・・」
「いないんですか」
「申し訳ありません」
彼女はその言葉を発すると同時にせきを切ったように泣き始めた。鼻水をすすり、嗚咽し、椅子から崩れ落ち、何度も申し訳ありません、申し訳ありません、と謝った。
「私はありのままを話そうと思います。私の犯した罪は到底償いきれるものではございませんが、これを裁く法もこの世にはございません。私の処遇はあなた様にお任せ致します。どうかお聞きくださいませ。興味のないこともあるかもしれませんが、あなた様は知るべきなのです。
幼い時分、私は病弱でありました。何をすることも出来ず、ただ部屋の中から外を見るだけの生活を過ごしていたのです。また身の回りのものが突然動いたり、燃えたりなどということもありました。ある時、私の叔母が霊能力者を連れて参りました。彼女は私を霊魂拡散の性質を持つ者だと言いました。身の回りのものに自分の魂が吸い取られやすい体質だというのです。彼女は半年ほど私の家に住みつき、私に魂の扱い方というものを教えて下さりました。それ以降、病弱な体質は改善しまして、しばらくの間は霊能力者になるつもりで彼女に弟子入りしました。その成果がこれです。ほら、指輪が浮きますでしょう。サイコキネシスと言うそうです。自分の魂を物質に注入して、自分の魂の一部とすることにより、物質を操作する技術でございます。あなた様の家の鍵は、これを用いて破壊させて頂きました。申し訳ありません。
霊魂拡散の性質ですが、実のところ私は未だにこれを扱いきれておりません。ある程度はコントロールできるのですが、やはりどうしても漏れ出てしまうのです。外界へ出た魂は超常現象の引き金となってしまいますので、何としても抑えなければなりません。そこで私はこの大豆を使っております。私は魂の漏出を0にすることはできませんが、幸いにも漏出した魂を操作することが可能ですので、漏出分の魂をこちらの大豆へ全て注ぎ込んでいるのです。
魂の容量といたしましては無機物より有機物のほう大きく、また自然に育ったものより人に育てられたものの方が大きいという傾向がございます。私の生まれ育った所が落花生の産地として有名なこともありまして、大豆を使わさせていただいている次第です。大豆の種というのは元々真ん丸なのですが、どういうわけか霊魂が注入されると歪んでしまって、よく売られる節分豆のような形になってしまい、さらには艶を帯びて真っ白になってしまいます。また、これはすべての物質に共通するのですが、過剰に魂が入り込んだ物質は現実世界のみに存在するものではなくなってしまいます。つまり霊界との狭間に存在する物質となり、この世からあの世へ行ったり、また戻ってきたり、などということを繰り返すようになるのです。通常はそのような状態になる前に焼却処分しているのですが、この度はそれを怠けてしまいました。故に大豆は私のポケットの中で霊界へ入り、そして現実世界と戻った際にあなた様方の下へと渡ってしまったのでしょう。
魂の込められた物質はその魂と同じ波長を求めて2つの世界を行き来し、その者と魂を同化しようとします。この場合には私と似た波長を持つ人、おそらくはお彼女様に引き寄せられていったのでしょう。物質に込められた魂というのは、普通は高度な思念を持つことは出来ず、至極シンプルな衝動のみを持ちあわせております。故に大豆に込められた魂はお彼女様と同化した後、お彼女様が元来持ち合わせていたあなた様への愛というものを希釈し、超常現象という形で発現したものと思われます。愛という高度な思念は、対称への接近という単純な衝動へと還元されてしまったのでしょう。
ポケットに入れていた大豆が消えた事はすでに知っておりましたので、その晩は街中に私の魂を流して網を張っていたのですが、まさか自分の隣の部屋にあったとは思いもよらぬことでした。異常を感知した後にすぐさま駆けつけ、ドアを破壊している最中、なにか物を叩きつけるような音とともにあなた様の悲鳴を聞きました。ドアを開くと、叫び声を上げながら一心不乱にテーブルの足に頭を叩きつけるあなた様と、そのあなた様を後ろから抱きしめる半透明の女性がおりました。その女性は私を見るとすぐに完全な透明となってしまいました。えぇ、あなた様のお顔も、お体も、何一つ傷は受けておりません。全て幻覚でございます。
この度は申し訳ございませんでした。お彼女様を元の状態のまま取り戻すことは可能だと思います。今、一人の霊能力者をお呼びいたしております。先ほどお話しました霊能力者の一人娘でございます。彼女は私とは正反対の、霊魂収縮の性質を持つ人間でして、霊魂を吸い取る事ができます。きっとお彼女様に同化した私の霊魂を取り除いて下さるでしょう。」
話し終えた彼女はその大きな覚悟を隠しきれずにいた。自らを悪役にしようとするその口ぶりには迷いこそ見られなかったものの、それが本来の彼女の姿からかけ離れているものだということがあまりにもありありと感じ取れた。
私は彼女を攻める気にはなれなかったが、大きな決意と共に演じた三文芝居に免じて、私もそれで返すことにした。
「謝罪は、優里にお願いします」
私は冷然とそう言い放った。