表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/26

第5話 食頭魔《クラニウム・デーモン》

ロワク城郊外 農家の前 深夜


イノは足を止めた。

夜風が刃のように冷たかった。


(こんな夜中に、リオンが一人でここで何を……)


月明かりの下、生気のない農舍に近づく。


イノはリオンのマントに遮られた背越しに、屋内を覗き込んだ。


中は暗く、何も見えない。


その声が聞こえてくるまでは――


低い、ぐちゅ、という音。


イノは声を潜めて呼んだ。

「ヴィセス様?」


声が止んだ瞬間、リオンの肩がびくりと震えた。


イノは彼の視線を追い、松明の微かな光を借りて、ようやく屋内の様子を目に捉えた。


背を丸め、うずくまった歪な影が、狂ったように何かを噛みしだいていた。

粘ついた湿った音が、骨の砕ける音に混じって響く。


頭骨は羊のそれに似た輪郭を持つが、顎だけが異様に大きい。

不規則な黒い穴が三つ、頭骨に散らばっている――目のようでもあり、そうでもないような。


皮膚は乾ききって崩れ、破れた箇所からは赤い筋肉が覗いていた。

残りは腐った灰白色に覆われている。


座る姿勢は歪で、足を左右に揺らしている。


手には人間の残骸を握っていた。

首から下だけが残っており、頭部はすでに飲み込まれていた。

その首の切り口が、今も口の中で噛みしめられている。


骨と肉の砕ける音が、静寂の中に際立って響いた。


怪物が頭をもたげた。


虚ろな穴が二人を正面から捉える。

口の端には、まだ噛み砕かれていない血肉が垂れ下がっていた。


その瞬間、夜が固まった。


「あ――!」


リオンが松明を放り投げ、振り返りざまに走り出した。無防備なイノに激突し、そのまま突き飛ばして逃げ去った。


イノは地面に叩きつけられた。


泥に手をついたまま、背筋を冷汗が伝い落ちる。

足に力が入らない。

体が固まっていた。


怪物がゆっくりと立ち上がった。

血肉の混じった人体を掴んだまま。


骨と骨が擦れ合う細かな音だけが響く。

死体はボロ布人形のように引きずられ、目などないのに、すべてが見えているかのようだった。


灰白く、ひび割れ、血の染みた指が、枯れ木の枝のようにイノへ向かって伸びた。


イノは動けなかった。


喉を掴まれ、持ち上げられた。怪物の口がゆっくりと開く。


腐臭が鼻を突いた。


「っ――!」


イノは激しく身をよじった。

喉を締め上げるその手から必死に逃れようとする。


(死ぬ!こいつに生きたまま食われる!)


だが、もう何をしても間に合わない。


怪物の口が近づいてくる。

喉を掴む力がどんどん強まっていく。


両手はとうに力を失っていた。


ゆっくりと、目を閉じた――

怪物の口の湿った熱が、顔に触れるのを感じた。


ひゅっ――!


青みがかった蒼が、夜の中に細い弧を描いた。


息ができた!


イノはどっと地面に倒れ込み、咳き込みながら激しく喘いだ。


首には、まだ怪物の手が垂れ下がっていた。

断面は血肉まみれで、もう力などなかった。


イノはそれを引き剥がし、呆然と顔を上げた――


怪物はその場に固まっていた。

頭骨がわずかに傾き、何が起きたのかまだ理解していないようだった。


いつの間にか、イノのそばに人影が立っていた。


灰青色の旅装に身を包み、竹笠を深く被った男。

手には一振りの真っ直ぐな横刀を握り、刀身が月光の下で蒼く輝いていた。


「逃げろ」


男の声は低く、平坦だった。


次の瞬間――


怪物が叫び声を上げ、残骸を男目がけて投げつけた。

残った手が鋭い爪を生やし、まだ地面に呆然と座っているイノへと襲いかかる!


死体は空中で一刀のもとに斬り裂かれた!


男はすでにイノの前に割り込んでいた。

刀と爪が一瞬交差し、火花が散る。


そのまま流れるようにイノを片手で引き上げ、軽やかに跳びながら逆手に持ち替えた刀で、怪物の腕に連続して斬りつけた。


蒼い刃が振り下ろされ、怪物の手のひらを貫いて地面へと突き刺さった。


男が刀柄の上にしゃがみ込む。怪物の掌がほぼ完全に縫い止められた。


その間、イノは麻袋のように放り投げられ、地面を数回転がった。


痛みも驚きも顧みる余裕なく、すぐさま頭を上げて男の方を見た。


男は刀柄の上に静かにしゃがみ、怪物を冷ややかな目で見下ろしていた。


怪物は口を開いたまま、不気味なほど静かだった。

刀身に貫かれた手のひらの肉が、刃に沿ってゆっくりと動いている。


その腕が刃に沿ってねじれながら、上へと這い上がっていく!


「――!」


イノは声を上げた。


男は迷わず刀柄から飛び降り、喉の奥から低く何かを吐き出すように右手を背後に払った。


怪物が身をかがめ、大きく口を開いた。

口の中に緑色の粘液が滲み出し、今にも噴き出そうとしていた。


男の右手が空気を叩いた。


鋭い震えが走った。


青白い風の塊が爆発し、一瞬で怪物の顔面に叩きつけられる――


「ドン!!」


怪物の頭骨が激しく歪み、体が吹き飛んだ。

壁の隅に叩きつけられ、緑色の液体が飛び散り、じゅうじゅうと床を焦がしていく。


イノは目を見開いた。

喉が動いた。


(あれは何だ?風?)


「すっ――」


弦を弾くような風が起きた!


地に刺さっていた横刀が吹き上げられ、空中に弧を描いた。

刀柄が吸い込まれるように掌に収まった。


体を沈め、蒼い刃が再び起き上がろうとする怪物へと向けられた。


「妖が世を乱す。斬る」


倒れた怪物がわずかに震え、口から再び暗緑色の粘液が滲み出した。


「足掻くな」


イノはまだ地面に伏したまま、目の前の光景から目が離せなかった。


ふと、馴染みのある香りが鼻先をかすめた。


(セレーナ?)


だが今回は、その香りに血の臭いと腐敗臭が混じっていた。


イノの胸が急に締め付けられ、勢いよく顔を上げた!


いつの間にか、怪物がこちらを向いていた。

裂けた口が一気に開いた!


粘りけのある緑の液体が勢いよく噴き出し、イノの顔面へと迫った!


「――っ!!!」


男が怒鳴り、地を踏みしめた瞬間、残影となって飛び込んだ。

蒼い刃が怒りごと迫りくる!


「斬ッ!!」


刀光が風を裂き、夜を薙いだ!

怪物の頭骨が一刀で斬り飛ばされ、血の波が巻き上がった!


歪な頭骨は地面を転がり、壁の角にぶつかって、止まった。


男が着地した。


顔色は青ざめ、こめかみに青筋が浮いていた。

振り返らず、肩だけが微かに上下する。


「くそっ……」


低く吐き捨てた。

歯を食いしばりながら。


振り返れなかった。


イノがいた場所に、生きていられるはずがない。


だが――


「っ……」


男がぴたりと止まった。


微かな、息を呑む音。


男が振り返った!


イノは体を丸め、顔が真っ青になっていた。

左手を必死に抱え、こめかみに冷汗が滲んでいる。


左手の薬指は血肉まみれで、血が絶えず滴り落ちていた。


それでも息をし、震え、苦しんでいた……


「……生きてるのか?!」


男は目を見開いた。

その声には、信じられないという響きがあった。


——————


イノの瞳の中で、緑の液体が洪水のように迫ってきた。


まだ地面に伏したまま、逃げる間もなかった。

考える暇もない。


残ったのは、ただ一つの本能だけ――


左手を勢いよく顔の前に掲げた!


空気が急に歪んだ。


緑の液体が触れる前に、目の前に渦が現れ――

液体が歪んだ空間に飲み込まれた!


同時に、イノの左手の指輪が火花を散らした!


「っ――!!!」


激痛が骨の芯まで突き刺さった!


次の瞬間、緑の液体は完全に消えた。

だがイノの指は、すでに血肉まみれになっていた!


激しい痛みがイノの意識を押しつぶし、彼はどっと地面に崩れ落ちた。


「あっ、ああ――!」


——————


男は横刀を鞘に収め、地面に転がった頭骨へと歩み寄った。


黒布を取り出し、頭骨を包んで背中に投げ、イノの方へと歩いていく。


男の視線がイノの周囲に落ちた。


地面は清潔だった。緑の液体の跡すら残っていない。


だが彼には分かっていた。あの液体が一滴でも地面に触れていたなら、焦げた腐食の跡が残っているはずだと。


「何をした」


「な……何が?」


イノはまだ左手を抱え、痛みで震えていた。


「どうやって生き延びた」


「分からない……ただ……防いだだけだ」


男の視線がイノの左手の薬指に落ちた。

血に汚れた指輪が、月光の下でかすかに輝いていた。


魔導器まどうきか」


「何?」


男は眉をわずかに寄せた。


「学院を抜け出してきたのか」


イノはその視線に気づき、苛立ちが込み上げてきた。


「何を言ってるのか分からない!」


イノは声を振り絞った。

顔は真っ青だった。


「……あんなの、見たことない」


男は数秒黙ってから、刀柄から手を離した。


食頭魔クラニウム・デーモン


「……化け物じゃなくて?」


「悪魔だ」


イノの喉が引きつった。


「悪魔……」


イノは地面を見た。


自分の手。


血。


指輪。


目の前の男をちゃんと見た。


すらりとした体格、乱れた黒髪、青白い顔色。

目の下には濃い隈。


「……お前は何なんだよ」


言川ゲンセン。」


イノは荒い息のまま、その名を頭の中で転がした。


「外国人?」


「ああ……禹煥ユーアン人。」


「禹煥?……どこだ、それは」


言川は刀鞘を軽く持ち上げた。


「……知ってたのか。

あんなのが、ここにいるって」


言川は答えなかった。


「かもしれなかった」


イノの眉が歪んだ。


「なんで放っておくんだよ」


「……通りがかっただけだ」


言川は刀鞘に付いた埃を払った。

視線が再びイノの指輪へと流れた。


「……それ、どこで手に入れた」


「あ?」


言川はふと首を傾けた。


「惚けるな」


「……何の話だよ」


言川は少し間を置いた。


「普通の人間が持てるものじゃない」


「どうすれば信じてもらえる?」


数秒、言川は黙った。

それから低く吐き捨てた。


「……本当に何も知らないのか」


言川が数歩近づいた。


「生きているだけで、知りすぎだ」


そう言いながら、言川は令牌れいはいを指で転がした。


「……忘れた方がいい」


しばらくして、言川はゆっくりと令牌を持ち上げ、イノの目の前に掲げた。


呪文が言川の口から低く溢れ出した。


「カチ」


令牌がかすかに光り、イノは糸の切れた人形のようにゆっくりと倒れた。


「……生きていろ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ