第16話 好きな人がいるんだ
桐原さんが葵さんの頭をはたいた後のこと。
「ったく、蒼汰くんは女の子に優しくするってことを知らないんだから……」
「それには同意ですね」
少々髪型が崩れてしまった葵さんを私の部屋に招き入れた。
せっかくの体育祭のために整えてきた髪型でしたので、乱れたまま行くのはもったいないですからね。
桐原さんのお家じゃ、使いたい道具がないかもしれませんし。
「え、なに、すーちゃんも蒼汰くんにスリッパで叩かれたの?」
「まさか。そもそも、桐原さんがあんなに明確な暴力を振るうのも初めて見ましたし」
つついたり、はたいたり、チョップを入れられたり。桐原さんがする時はいつもお優しい。
照れ隠しでそういうことをするのは見てきましたが、焦りで叩くのは初めて見ました。
『こ、これって、あの……「昨日はお楽しみでしたね」って、やつ……ですか?』
…………っ!!
ポコッ
「え、うち今なんで叩かれたの?」
「……なんでもです」
「ええええっ! もう、かわいいなあ、すーちゃんは!! このこのー!」
葵さんの背中を押すようにポコポコ叩く。
……想像しただけで、顔が熱くなってしまうじゃないですか。
「うっわ、女子力高い……さすが……」
「なんかバカにしてますか……?」
洗面所にたどり着いた葵さんは引きつった声で言った。もちろん褒めてくれているのはニュアンスで分かりますが。
「いやいやそんな! なんていうか、白で統一してるのもすーちゃんらしくて可愛いなって。あ、かわいいね、すーちゃん」
「なんで言い直したんですか……ありがとうございます。私も普通の女の子ですよ」
「えへへ、それはすーちゃんが蒼汰くんと関わりだしてからよく知ってる」
「ば、バカにしてますよね」
「バカにはしてないよ? かわいいなって」
「バカにしてるって言うんですよ、もうっ」
鏡とにらめっこしながら髪をいじる葵さん。
自分の家にクラスメイトがいるという状況、中学の頃を考えると、やはり変な気持ちになりますね。
……いけません。
せっかくの体育祭です。今年は桐原さんのおかげで倉田さんや葵さんと、気を許せるお友達も作れたのです。
昔のことなんて、忘れて…………──
──でも、いつかは。
「ねぇ、すーちゃん?」
「どうしました?」
「ずっっっと聞きたかったことがあったんだけど、せっかくの二人きりだから聞いてもいい?」
「は、はい。なんでしょう」
「蒼汰くんのこと、好きなの?」
「んぐ……っ! こほっ!」
まるで空気のない咳が出て、喉が詰まった。
「な……な、な」
「も〜! 驚きすぎだよぉ。恋バナだよ、コ、イ、バ、ナっ! きゃー!」
にらめっこの相手を私に移し、セルフ観客を演出しながら聞いてきた。
急に聞いてくるものだから冷静を保てなくて、頰が熱くなるのを感じる。
「で! どーなの!!」
「ど、どう、と言われまして、も…………」
桐原さんとそういう関係はないと思っている。
そもそも異性とかいう以前に、あまり他人を信用できませんし。
好きとか、そういうのを感じる前の問題だと思います。
だから……どうと言われても。
でも、たしかに……。
何もしないと信用できるから、桐原さんのお家にも行けるわけで。
お優しい方だから、少しだけ自分のありのままの姿を出せるわけで。
触ってくれるのも……あんまり嫌じゃない。
それ以上でも、それ以下でもな──
────あれ。
私…………桐原さんといる時間は、まったく嫌じゃない……かもです。
そうじゃないとずっとお家にいることなんてなかった。それはお料理だけが原因じゃないと思う。
それほどに信用して信頼して、安心できて。
胸がきゅっと苦しくなった。
過去から忘れたくても結局逃げられなくて。
お節介と分かっていても関わってくれた桐原さんを安心して。
…………私から、桐原さんに接触するようになっていって。
「分かり、ません」
この感情が何なのか、私にはまだ分かりません。
でも、もし…………これが「好き」ということでも、私はこの気持ちに従えるような気がします。
それほどまでに、桐原さんが────
「あーっ! もうかわいいなぁすーちゃんはっ!」
「ふぇっ! ちょ、あ、葵さんっ! わぶっ」
私より何センチも高い葵さんに抱きしめられて、呼吸ができなくなる。
「こんなことしてる時間ないですよ!」
なんとかしゃがんで抜け出す。
「えー」
「えーじゃないです」
「嫌だった?」
「……また、今度ならいいですよ?」
「か、かわ……」
「そ、そういう葵さんはどうなんですか」
子供扱いされている気がしたので、私は無理やり話題を切り替えました。
私だけ一方的に悶々とするのも、不公平ですし。
「ん? 何が?」
「だから、その、好きな人とかいないのですか?」
改めて聞くと少し恥ずかしい。
こういう話をするのも初めてですから。
「──うちはね、いるよ」
「え」
「好きな人……ずっと、好きな人がいるんだ」
目を細め、淡い笑顔を浮かべながらまっすぐと伝えてくれる葵さん。
まさか、本当にいるとは思ってもなかったので、その……えっと。
……あれ、でも「ずっと」って……?
「もしかして……倉田さん、ですか」
恐る恐る聞くと、恥ずかしそうに前髪を触りながら、しかし丁寧にこくんと首を縦に振った。
「私は、ずっと柊くんが大好きなんだ。すーちゃんには知っててもらいたいなって!」
いつもの元気な調子で笑った葵さん。
その目は、私は倉田さんに近づかないでほしいというものではなく、『好きな人にずっと恋焦がれている女の子』の真っ直ぐなものだった。
「お、応援してます! あの、ほんとにお似合いだなって、思います……し」
「えー? すーちゃんに応援されちゃったら頑張るしかないなぁ!」
自分の気持ちに真っ直ぐで、ちゃんと正面から向き合って……かっこいいなぁ……。
表面だけの私なんかよりも。
「ん、満足。それじゃ戻ろっか」
「はい!」
もう一度軽く抱き合って、私の部屋を出た。
その途中。
「うちも、蒼汰くんとの道を応援してるからねっ」
「へっ!? あ、あの……そんなんじゃなくて!」
からかってる感じもなしに言われてしまい、風邪を引いたのかと間違うほど熱を帯びてしまった。
それは、桐原さんのお家に行っても収まらなかった。




