第10話 有馬アルバス
雑居ビルの地下、特務課セーフハウス。
無機質なテーブルの上に、カラン、と乾いた音が響いた。
「……ほらよ。やる」
アルバスが放り投げたのは、先ほど赤城から回収したスキル――『強欲の正解』が入った指輪だ。
「……は?」
真夜は目を見開き、転がる指輪とアルバスの顔を交互に見た。
「正気? これ、ユニークスキル入りの指輪よ? 市場に出せば国家予算規模の値がつくわ。国宝級と言ってもいい」
「俺には不要だ」
アルバスはソファに深々と座り込み、ゲーム機を弄りながら答える。
「他人の手垢がついた装備なんて気持ち悪いし、そもそも俺のビルドには合わない。だが、お前のところには必要だろ?」
特務課は『掃き溜め』と呼ばれ、予算も装備も不足している。
この指輪があれば、装備の充実はおろか、組織内での発言力も劇的に向上するはずだ。
もちろん、『上が強引にこの指輪を奪わなければ』と言う前提付きだが。
「それをやる代わりに、今回の件から俺の名前を消せ。そして、今後俺が何をやっても、特務課は見て見ぬ振りをしろ」
「……口止め料にしては高すぎるわよ」
「俺にとってはゴミ同然だ。……俺の防波堤くらいにはなってくれよ」
真夜は少しの間沈黙し、それから意を決したように指輪を握りしめた。
「……分かったわ。最大限の便宜を図る」
真夜としては、『自分が関わる場合に限る』とは思っている。
そもそも、アルバスの強さや倫理観の欠如に関して、正確に把握しているとは言い切れないが、それでも『少なくとも敵に回すべきではない』ことを理解しているのは真夜だけだ。
言い換えると、『他の人は調子に乗るかもしれない』とは思っている。
そんな真夜の表情を見て、アルバスは内心、ため息をつきつつ……。
「商談成立だな。で、頼んでいたモノは?」
真夜は、用意していた封筒を差し出した。
中に入っていたのは、真新しい戸籍謄本と、IDカード。
名前の欄には『有馬アルバス』と記されている。
「有馬……?」
「偽名よ。あなたの『アルバス』という響きに合わせて適当につけたわ。……文句ある?」
「いや」
アルバスは震える手でカードを受け取った。
その瞳が、感動に潤んでいる。
「これで……これで、通販サイトの『置き配』が指定できる……!」
「……そこ?」
「あの利便性を知らんのか? マジで何も届かないんだぞ。地獄だ」
真夜は呆れたようにため息をついた。
この男の行動原理は、崇高な魔術の探求などではなく、徹頭徹尾「快適な引きこもりライフ」にあるらしい。
……なお、三年間、地下牢で暮らしていたはずのアルバスが『通販サイトの利便性』に並々ならぬ思いがあるのは、それ以前は使い込んでいたのだろうか。
「それと、赤城を確保した後、ダンジョン内であなたが暴れて手に入れた魔石。換金しておいたわ。しめて3500万円。あなたの新しい口座に振り込んでおいたから」
「仕事が早いな。よし、これで衣食住と金、身分は揃った」
アルバスはスマホの画面を真夜に向けた。
「この物件を買う」
画面に表示されていたのは、海沿いにある古びた倉庫だった。
『旧・湾岸サーバー管理センター』。
窓は少なく、コンクリート打ちっぱなしの無骨な建物。おまけに備考欄には『心霊現象あり』の文字。
「……ここ、元サーバー施設よ? 住居としての機能は最低限だし、立地も悪いわ。なんでこんな事故物件を?」
「ここじゃなきゃダメなんだ」
アルバスは真剣な眼差しで力説する。
「ここには、以前の企業が使っていた『業務用光回線』がそのまま残っている。サーバーの冷却システムもあるからな」
「……あなたが使うの、携帯ゲーム機一台でしょう? そんな太い回線、必要あるの?」
真夜の疑問はもっともだ。
だが、アルバスはおもむろにパンドラ4の画面を彼女に見せた。
そこには、こんなポップアップが表示されている。
『警告:ローカルリソース不足』
『テクスチャ品質を向上させるには、広帯域ネットワークへの接続が必要です』
『推奨環境:10Gbps以上の専用回線』
「見ろ。ゲーム側が『回線が弱いから画質落とすわ』って言ってるんだ」
「はあ……」
「俺は、最高画質でプレイしたい。そのためには、この『推奨環境』を満たす必要がある。ホテルの共用回線じゃ、ロード時間だけで日が暮れる」
アルバスの理屈はシンプルだ。
「ゲームがそう言ってるから」。それ以上でも以下でもない。
アルバスは自分のハードウェア(有機チップ)の異常性に気づいていない。
単に「最近のゲームは要求スペックが高いな」と思っているだけだ。
しかし、その無自覚な要求は、結果として「世界中の情報を喰らって成長するシステム」の構築を意味していた。
「……すごく納得できてないけど、まぁいいわ。その物件、確保しましょう」
真夜はまだ、流石に、アルバスと言う存在が『ゲームのアバターである』とは気が付いていない。
アルバスの方も教える気はない。というか必要性を感じていない。
理解に齟齬があるのは当然だろう。
真夜は深く頷いた。
とりあえず、魔王が更なる力を得るための拠点を求めている。
人類にとって吉か凶かは分からないが、少なくとも彼を管理下に置くためには、要望を通しておくべきだ。
「よし。じゃあ早速入札だ。三千万あれば余裕だろ」
アルバスは意気揚々と競売サイトを開いた。
だが。
「……待って」
真夜が画面を覗き込み、表情を硬くした。
「入札予定者のリスト……『御剣不動産』の名前がある」
「あ? なんだそれ」
「大手財閥系の不動産会社よ。……そして、名家『火ノ崎家』とも繋がりが深い」
アルバスの指がピクリと止まった。
火ノ崎家。
かつて自分を「無能」と断じ、地下牢に幽閉した実家。
そこまで言われて思い出した。
灼也の妹、天姫の婚約相手が、御剣家の次男だったはず。
(……そこが絡んでるとはなぁ)
真夜は、アルバスがその家の追放者だとは知らない。
だが、アルバスの表情から、彼がその名前に良い感情を持っていないことだけは察した。
「彼らと資金力で勝負したら、三千万じゃ到底勝てない」
「……実家の手先か。御剣がねぇ。一体どうして、こんな物件を抑えようとしてるんだか」
アルバスは忌々しげに舌打ちをした。
物理的な戦闘なら負ける気はしない。
だが、これはオークションだ。札束の殴り合いでは、個人の財布など財閥の前には塵に等しい。
「……仕方ない」
アルバスは、ゲーム機を弄り出した。
「搦め手を使うぞ。正面から殴り合って勝てないなら、相手の足を折るのが攻略の基本だ」
「何をする気?」
「新しい『相棒』を呼ぶ。……タナトスは戦闘特化だが、今度のは『情報戦』のエキスパートだ」
画面の中で、ノイズのような砂嵐が渦を巻き始めた。
物理的な破壊ではなく、社会的な死を与えるための、新たな召喚獣。
「出ろ、グリッチ。……仕事の時間だ」
ネット回線という新たな武器を手に入れるため、アルバスはかつての実家……の関連企業に対し、容赦のない「嫌がらせ」を開始しようとしていた。




