18.いつも通りの朝
シュシュアが遅くなってしまったことに負い目を感じながら玄関のドアを開けると、とても良い笑顔のエリクが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。………薔薇の花束ですか。」
「ただいま。……ってねぇ、薔薇の本数を目で数えるのやめてくれる?」
「9本ですね。その意味は『いつもあなたを…」
「エリク!紅茶を淹れて。はやく。」
「ふふふ、畏まりました。」
仕事を与えられたエリクは、ニヤけた顔のまま先にシュシュアの自室へと向かって行った。
すると、彼女が部屋に着く頃にはもうティーセットが用意されていた。
シュシュアが使用人に着替えを手伝ってもらった後、入れ違いでやって来たエリクが準備していた紅茶をティーカップに注ぐ。
(良い香り…)
シュシュアはそれを一口啜ると心が和らいだ。相変わらず完璧な温度と香りだった。
「レヴィアス様は見かけによらず情熱的なお方だったのですね。お二人が仲を深めているようで何よりでございます。」
「……別にそういうのじゃないから。」
「ほう…まだ意地を張りますか。お嬢様は存外頑固なのですね。素直に認めたらいいものを。」
呆れたエリクが憐れんだ目を向けてくるが、シュシュアは無視して紅茶を飲み続けた。そうでもしないと、ふわふわとした気持ちを思い出して余計なことを口走ってしまいそうだった。
「旦那様からお手紙が届いてましたよ。」
シュシュアが紅茶を飲み終える頃、エリクが銀のトレーに乗せた1通の封書を持って来た。
「珍しい」
仕事の書類を送るついでにメモ書きが同封されていることなら多々あるが、手紙らしい手紙が届くことはほとんどない。
ペーパーナイフで封を切って渡された手紙に目を通した。
「なにか急ぎの案件でしたか?」
エリクがやや強張った声音で尋ねるが、シュシュアはゆっくりと首を横に振った。
「案件というか…自慢話?みたいな。今領地に来ている実習生がとても優秀で感動したってそんな話。あと、追伸で結婚相手のことは心配するなと…こんなの余計に心配になるんだけど。」
「なるほど…全て順調のようで何よりでございますね。さすがの手腕です。」
「え?結婚の話は順調に思えないんだけど?」
「いえいえ、こちらの話ですので。」
誤魔化したエリクが返事はどうするかと尋ねたが、シュシュアは疲れたから明日にすると言い、今夜は早めに床についたのだった。
翌日、朝目覚めたシュシュアはもう気が重くは無かった。
いつも通りに身支度を整えて学園に向かう準備をしていると、昨日机の上に置きっぱなしにしていた髪飾りが視界に入った。
(これは付けて行くべきか、やめておくべきか…)
エリクが呼びに来るまで悩み続けたが、結局最後は付けることを選んだ。それはもう誰かのためではなく、自分が気に入っているからという単純な理由であった。
悩んでいたせいで家を出る時間が遅くなってしまい、シュシュアが教室に着く頃にはもうほとんどの生徒が登校していた。
「シュシュ、おはよう。」
彼女が教室に一歩足を踏み入れた瞬間嬉しそうな顔で駆け寄ってきたのは、レヴィアスだった。
(いつも通りでよかった…)
「おはようございます。レヴィアス様。」
ホッとしたシュシュアは両手で鞄を持ち、微笑みながら丁寧に挨拶を返した。
(ええとこれ、昨日の御礼をすべき…?でも人前で言ったら迷惑だよね?また変な噂になったら困るだろうし…)
細かいことで悩んでいたシュシュアだったが、次の瞬間、彼の発言に度肝を抜かれてそれどころじゃなくなっていた。
「昨日のドレス姿本当に素敵だった。もっとちゃんと褒めればよかったって家に帰ってからも後悔し続けたんだ。だから次…んっ」
(いきなり何を言い出してっ…………)
突然の暴露にパニックに陥ったシュシュアは気の利いた返しを思い付けず、実力行使に出た。両手で彼の口を塞いだのだ。
「あの…目立つのは困ります…から」
顔を近づけ、声を顰めて訴えるシュシュア。
レヴィアスは優しく彼女の手を引き離すと、にっこりと微笑んだ。
「シュシュのしたことの方が目立ってると思うけど?」
「…………………………え゛」
ふと周囲を見渡すと、ほとんどのクラスメイトがシュシュア達のことをガン見していた。
至近距離で向かい合って異性の顔に触れるなど、婚約者同士でも人前では中々やらない。こんなことをすれば、周囲に対する熱愛アピールになってしまう。
(止めるのに必死で軽率だった…うわ…やらかした)
スキンシップの意味合いは無かったのに、そう見られていると気付いた途端羞恥心で顔から火が出そうになる。
「ま、俺は役得だから大歓迎だけどね。」
「!!」
レヴィアスは余裕の表情だ。
恥ずかしくて俯いているシュシュアの頭をポンポンと撫でてきた。彼は励ますつもりだったのかもしれないが、免疫のない彼女にはただの追い討ちでしかなかった。
「まったく、朝から何イチャついているのよ。」
固まって動けなくなっているシュシュアを、遠目で見ていたミュイが呆れながらやって来て回収していったのだった。