15.彼の真意
翌朝、シュシュアはいつもより早く起きて念入りに身支度を整えた。
普段は最低限しかしない化粧も、スキンケアからアイメイクまで丁寧に仕上げていく。全ては自分自身に喝を入れるためだ。
徐に机の引き出しを開けてその奥にしまっていた菫色の宝石がついた髪飾りを手に取ると、手のひらに乗せてしばらくの間逡巡した。
(……いつまでも気にしてちゃ駄目だよね)
シュシュアは覚悟した顔立ちで姿見の前に立ち、丁寧な手つきで頭に髪飾りを付けた。
これまではレヴィアスのことを変に意識してしまって気軽に身につけられなかったが、自分の気持ちと決別するため今日は商業目的だと割り切って付けることにしたのだ。
(それに、彼のためにもなるかもしれないし)
ミュイが手掛けているこの髪飾りの売り出しが上手く行った暁には、レヴィアスにもなんらかの利益があるかもしれない…
シュシュアは、ほんの少しでも彼の役に立とうと前向きな気持ちで髪飾りを付けたのだ。
いつもより早い時間帯の通学路は静かだった。
行き交う馬車の数は少なく、まだ外を歩く人の姿もない。シュシュアはほんの少しだけ窓を開け、きんと冷える外の空気に当たって気を引き締めた。
教室に着くと誰もおらず、一番乗りだった。静かなのに、勉強をしようと思っても集中出来なかった。何をしていても気付くと昨日のことを考えてしまい、何一つとして頭に入って来ない。
(あの時自分も好きだと言っていたら、今頃何か変わっていたのかな…)
ついありもしないことを考えてしまう。シュシュアはブンブンと思い切り首を横に振って身勝手は考えを打ち消した。
(ううん、私には跡を継いでくれる相手と結婚して領民を守る責任があるんだから)
そのためにも今は勉強だと、シュシュアは雑念を頭の隅に追いやりながら、取り出した教科書を必死に読み込んでいた。
「あら、今日は早いのね。」
「うん、ちょっとね。」
一人二人と人数が増えてきた頃、やって来たミュイが自席で自習をしていたシュシュアを見つけて驚いている。だがその次に、彼女の反応に違和感を抱いた。
「話ならいつでも聞くわよ。」
勘の良い友人は、たったの一言で彼女の異変を見抜いた。
顔は笑っているのにシュシュアの表情はどこか暗く、視線が合わない。何より、今まで頑なに付けて来なかった髪飾りを今日に限って付けていることで確信した。
「今日の帰り、付き合ってくれる?」
「もちろんよ。新しい取引で利益が出たから、今流行りの三段重ねのパンケーキを奢ってあげるわ。」
余計なことは何も聞かず気を利かせてくれる友人に、シュシュアは心の奥底が暖かくなった。泣きそうになりながら御礼を伝えた。
その後、チラチラとレヴィアスの席を気にしていたシュシュアだったが、彼は本鈴が鳴っても教室に姿を現さなかった。
担任の先生が教室に入ってきてホームルームが始まった。
「本日レヴィアス君がお休みです。レッカ君は今日からしばらくの間休むとのことです。二人の担当があれば、次の人が代わるようにしてください。」
担任が告げた言葉に教室内が少しざわついたが、すぐ元通りになった。
(なんだ休みなのか…頑張って気合い入れて来たんだけどなぁ)
シュシュアの中で、顔を合わせなくて良かったとホッとする気持ちと先延ばしにしたくなかったという気持ちが混在していた。でもまた明日もこの気持ちを抱えたままかと思うと、やはり気が重かった。
昼休みの終わり、シュシュアはもう一つの気が重いことと向き合っていた。それはメルケンからの誘いを断ることだ。
あの時は咄嗟のことですぐに返事を返せなかったが、元よりエスコートの誘いを受ける気はなかった。レヴィアスとのこともあり、その気持ちはより強固なものとなっていた。
(今年もパートナー無しで参加するからってちゃんと伝えよう)
自席で次の授業の準備をしていたメルケンを目立たないように呼び出し、人がいない階段下まで連れて行った。
「返事を聞かせてくれるのかな?」
重苦しい空気の中向かい合う二人。
そんな中、先に口火を切ったのはメルケンだった。柔和な笑みを携えたまま、いつものように優しくシュシュアに問い掛ける。
「ごめんなさい」
「…それは何に対する謝罪?」
シュシュアが勢いよく下げた頭に降ってきた声は、氷の如く冷え切っていた。
「その髪飾りが君の答えってこと?」
「いやこれは別にそういうのじゃなーー」
「見かけによらず、当て付けとかするタイプだったんだ。まぁ別に良いけど。ただ勘違いしないでよね。」
「…………っ」
彼の言葉にシュシュアは絶句した。
(今ここにいる人は誰……本当にあのメルケンなの?)
全く想定していなかった展開に理解が追いつかない。確実に彼の声なのに、到底彼の言葉とは思えないほど敵意のある内容だった。これまでの姿との乖離に、驚愕を通り越して恐怖が込み上げてくる。身体中に戦慄が走った。
目元が笑ってない笑みで口の両端を上げ、歪な表情で怨嗟のこもった目を向けてくる。そこに彼女が知る彼の姿はかけらも見当たらなかった。
「僕は伯爵位が欲しかっただけだから。調子に乗るなよ。」
彼の口から出た本音が容赦なくシュシュアの心を斬りつけてきた。
(なんでなんでなんでなんでっ……)
頭が真っ白になって視界が眩み、足元がふらつく。ふらふらとした足取りで壁際に寄り、肩をつけて寄りかかった。そうでもしないと今にも膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
メルケンは侮蔑の視線を向けながらこのことは口外するなよと釘を刺し、そのまま一人で戻って行った。
「そうだよね…」
しばらく放心状態だったシュシュアが、何かを心得たかのように一人呟く。
「結婚したら爵位を継げるって魅力的な条件だもんね。」
思ったことを言葉にしたら、抱えきれないほどの深い悲しみが込み上げてきた。それは彼女の心を真っ黒に塗りつぶしていく。
(例えほんの一瞬でも、恋愛結婚なんて都合の良いことを考えた自分が馬鹿だった)
それはあまりに悲痛な想いで、涙すら出て来なかった。