14.叱咤
「ひどい有様だな。」
死人のような顔で公爵邸に帰ってきたレヴィアスに、眉を顰めたレッカが怪訝な顔をしている。
今日はシュシュと帰るからと言われ、その後どうなったかとレヴィアスの私室を訪れていたのだ。予想に反して、彼の状態は目を瞑りたくなるほど悲惨なものであった。
焦点が合わない虚な瞳のレヴィアスはコートを脱ぐことすらせず、だらしなくソファーに横たわっている。勝手に居座っているレッカの存在も完全に無視しているようだ。
「その様子だとこっぴどく振られたか。」
「……うるせぇ」
人を殺しそうな目を向け、本気の怒気を孕んだ声でレッカを威圧する。だが彼は少しも気にせず、レヴィアスの向かい側の席に堂々と座り、勝手に自分の分の紅茶を淹れ始めた。
「はぁ……………ちゃんとこれからのことを話せたら振り向かせられるのに。」
腕を乗せて目元を隠し、内圧を下げるように深く息を吐いたレヴィアスが、顔を歪めて苦悩の表情で呻いた。
「は。そんなことはお前の欺瞞だろう?外堀を埋めるような真似をするな、最大限彼女の気持ちを尊重しろと母君から言われてるだろうに。」
「分かってる。だけど、唯一の不安を取り除いて上げるくらい別に…」
「そこが甘い。」
優雅な仕草でティーカップに口をつけるレッカだが、その眼光は鋭くレヴィアスのことを捉えている。圧倒的な強者のオーラを纏い、威厳すら感じられる声音で叱咤した。
「道理から外れようとする時、必ず強い意志が必要になる。それはお前だけでなく彼女自身もだ。彼女の中に強い想いが無ければ、手に入れたとてすぐ手放すことになるぞ。」
「彼女には俺がいる。辛い思いなんて絶対にさせない。どんなことからでも守り切ってみせる。」
「彼女自身からもか?」
真っ直ぐな瞳で射抜かれて核心をつかれた一言に、レヴィアスは苦しそうに顔を歪めた。
「彼女自身が自分で自分を欺いていては、守れるものも守れないだろう。弱っていく姿をその目で見たいのか?」
「…………絶対にそんなことはしたくない。」
「だからこそ、根気強く向き合って彼女の本音を引き出してそれを受け止めてやる必要があるのだろう。まぁ、今からでは遅いかもしれんがな。」
「本当にお前は…傷心している俺に対して身も蓋もないことを言うなよ。」
あまり他人に興味を示さない目の前の友人が、自分に気付かせようと言葉を重ねてくれた事実にレヴィアスの胸が熱くなる。業腹だが、もういじけてなどいられなかった。
「お前との契約だからな。あーあ…カッコ悪いけど最後まで悪あがきするか。」
「当たり前だ。こんな半端なところで投げ出したら葬るぞ。」
「お前が言うと洒落にならねーよ…」
どこまでもまじめ腐った顔で言うレッカに、冗談か本気か分からずレヴィアスは苦笑している。
普段から口の悪い友人だが、忖度のない物言いが今の彼には心地良かった。レッカのおかげで、濁っていたレヴィアスの視界は一気に見通しが良くなったのだった。
***
その頃、邸に戻っていたシュシュアは自分の執務室で沢山の書類と向き合っていた。
両親のいる領地から送られてきた領収書の明細を帳簿にまとめ、収入額と合わせて月別に収支金額を算出するのがシュシュアに与えられた仕事だ。
金の流れを知ることで領地経営の本質を理解させようと、学園に入ったタイミングで課せられるようになったのだ。
「今日は鬼気迫る勢いで仕事をなされてますね。」
普段学園のある日に仕事をすることはなく、どういった風の吹き回しかと、紅茶を淹れにきたエリクが大袈裟に驚いている。
「ちょっと…気を紛らわしたくてね。」
レヴィアスのことを思い出すと目に涙が溢れそうになり、シュシュアは慌てて紅茶に手を伸ばしてごまかした。
(傷付けた私に、泣く資格なんてない。)
唇をきつく結んで、羽ペンにインクを付け次の書類に目を向けた。
「あまりご無理はされませんように。」
「うん」
その後もシュシュアは休憩も取らずに事務仕事を捌き続けた。すると手元にあった書類はもうすべて無くなってしまっていた。
考えることが無くなった途端、嫌でもレヴィアスのことを考えてしまう。あっという間に脳内は彼のことで埋め尽くされた。
彼に酷いことをしてしまった…
こうなる前に出来ることがあったんじゃないか
あの時どうすれば傷付けずに済んだのか
もう考えても仕方ないことが頭の中で堂々巡りする。考えないようにしようと思えば思うほど、それは自分の影のように容赦なく後をついてきた。
傷付けて自分も傷付いて、
明日学園でどんな顔をして彼に会えばいい?
これまで通りに話せる?
もう一層のこと会わない方が…
「学園辞めようかな…」
「それはなりません。」
エリクにしては珍しく、冷たい声音でハッキリと否定の言葉を口にしてきた。その顔はどこまでも真剣で、いつもの微笑は浮かんでいなかった。
(もう一度話し合うべきす。今度こそ素直に)
エリクは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。洗いざらい話してしまいたい気持ちと共に。
「あと1年だけですし、ご学友達と自由に過ごせるのも今だけですよ。それに、旦那様もお嬢様のご卒業をお望みです。」
「そう…だよね」
付け足すように尤もらしい理由を並べたエリクに、シュシュアが頷く。自分で招いたことなのに甘えてはいけないと考えを改めた。楽な方に逃げたくなる己の心を叱咤して、明日も学園に行こうと固く決意した。
思いとどまってくれた様子に、エリクもほっとして安堵の息をついた。その後、今日はシュシュアの好物を用意してもらおうと、彼は厨房に足を運んだのだった。