13.馬車の中で
「無理を言ってすまなかった。」
放課後、本当にシュシュアの馬車に同乗してきたレヴィアスは開口一番謝罪の言葉を口にした。
朝は勢いで言質をとって浮かれていたものの、今になって無理強いをしてしまったと後悔の方が強くなってきたらしい。
「いえ、困った時はお互い様ですから。」
公爵家の馬車が壊れたなど方便でしかないと分かっていたが、それを指摘出来るわけもなく、シュシュアは当たり障りのない社交辞令で無難に返した。
狭い車内で向かい合って座る二人。規則的な車輪の音だけが響く。レヴィアスは真正面からシュシュアのことを見つめているが、彼女は気恥ずかしくて俯いたまま顔を上げられずにいた。
「ずっとシュシュに会いたかった。」
「……っ」
驚いて顔を上げると、透き通るような透明感のある菫色の瞳がこちらを見ていた。それはとてつもなく優しい色を宿していて、心臓を掴まれたかのようにぎゅっと胸が苦しくなる。
(私も…なんて言えたらどんなに良かったか…)
喉まで出かかった言葉を、シュシュアはすんでのところで飲み込んだ。ここで感情的になるわけにはいかないと、理性で心にブレーキを掛ける。
「本当は再会した瞬間に伝えたかった。でも、10年ぶりに会って戸惑わせるかと思って…いや、言い訳だな。俺は拒絶されるのが怖かったんだ。」
(レヴィアスが怖いなんてそんなことある……?)
「本当だよ。」
「……顔に出ていましたか?すみません。」
「ううん、俺がシュシュのことをよく見てるから気付くだけ。」
真顔でサラッと好意を告げられて、シュシュアの中に動揺が走る。勝手に浮き足立つ心を悟られないように窓の外に視線を向け、必死に涼しい表情を作った。
その行動自体が焦ってると言っているようなものだったが、レヴィアスは込み上げる笑みを噛み殺して微笑ましく彼女を見つめている。
「ねぇ、シュシュ。俺と一緒に学期末パーティー出てくれない?俺にエスコートさせて欲しい。」
「!!」
驚きのあまり声が出ず、シュシュアは極限まで目を見開いて石のように固まっている。
(私が誘われた…?レヴィアスに?なんで…?え?)
彼女の反応を目にしたレヴィアスは、肩を落としてワザとらしく大袈裟に落胆してみせた。
「うわ…避けられてるから覚悟してたんだけど、そんなに驚かれるとは…俺の気持ちは微塵も伝わってなかったかぁ…はぁ…」
「え、だって、幼馴染として再会を喜んでくれてたんじゃっ…ええ??」
レヴィアスのおどけた口調につられて、シュシュアもつい砕けた話し方になる。不敬に気付いて慌てて口を手で塞いだが、彼は機嫌良く口元をニヤつかせていた。
「うわ、焦ったシュシュ可愛い…じゃなくて、ええと、なんだっけ…あーアレだ」
また意識を飛ばし掛けたレヴィアスがわちゃわちゃと頭を掻いて、雑念を追い払うように左右に首を振っている。
乱れた前髪を手で整えて、座席に座り直し背筋を伸ばした。
彼はひとつ息を吐くと、これまで以上に熱のこもった瞳をシュシュアに向けてきた。
「俺はシュシュのことが好きだ。妖精みたいに可愛らしい見た目も、見かけによらず負けん気が強いところも、それなのに打たれ弱いところも、責任感が強いところも全部好き。久々に再会して目にした瞬間激情が全身を駆け巡ったんだ。あぁ好きだなって気持ちが溢れて止まらなかった。」
彼の口から紡がれた言葉が電撃のようにシュシュアの中に突き刺さっていく。
(信じられない…どうしようどうしよう…物凄く嬉しいと思ってしまう)
一生塞ぐことのないと思っていたぽっかりと空いた穴が、急速に満たされていく感覚が心地よい。それは夢のようであった。
視界が馴染みそうになるのを堪えて唇を噛み締めた。こうでもしなければ余計なことを口走ってしまいそうで怖かったから。
(大好きな人に好きと言ってもらえるって、こんなに嬉しいことなんだ)
嬉しくて嬉しくて、この瞬間の思い出だけで私は一生温かい気持ちで生きていける。あぁなんて素敵なんだろう。
レヴィアス、ありがとう
こんな私に好きだと言ってくれて
本当に本当に嬉しかったよ
初めて好きになった大切な人
「レヴィアス様、本当にありがとうございます。」
はにかんだシュシュアは心を込めて、丁寧に丁寧に御礼の言葉を口にした。
「シュシュ、それじゃあ…」
湧き上がる喜びのあまり立ち上がろうとしたレヴィアスに、シュシュアは緩やかな動作で首を横に振った。
「お受けできません。」
「どうして………?何がいけない?まさか他の奴と既に約束でも?」
途端に生気を失い顔面蒼白のレヴィアスの瞳が忙しなく左右に揺れる。今目の前で起きたことが信じられず、認めたくない気持ちでいっぱいになる。彼の瞳から光が消えた。
「いいえ。公爵家嫡男のレヴィアス様にはもっと相応しい方がいらっしゃるはずです。大事な将来の邪魔をしたくありませんから。」
シュシュアの声が僅かに震えた。当たり前のことだから毅然とした態度で言おうと思ったのに、現実はそう上手くいかない。
「相応しい他の奴って…はっ。何だよそれ」
目を伏せたレヴィアスが低い声で吐き捨てた。
「レヴィアス様は大事な公爵家の跡取りですから。私が側にいてはいけません。」
レヴィアスの反応が怖くてシュシュアは顔を上げられなかった。
罪悪感で胸が締め付けられ呼吸がしにくくなる。自分で自分の言葉に傷付き、その痛みに耐えるので精一杯だった。
「俺にはシュシュしかいないのに…シュシュだけがいいのに…」
押し殺した彼の声は、シュシュアが苦しくなるほど切実だった。
立ち上がったレヴィアスは御者に合図を出してその場に馬車を停め、何も言わずにドアを開けて外に出て行ってしまった。
シュシュアだけを乗せた馬車は、何事もなかったようにまた走り出した。