10.恋心とは
秋から冬へと季節が変わり、あっという間に学期末パーティーの時期が近づいてきた。
パーティーは1学年と2学年の合同で行われ、パートナーの同伴は任意だ。婚約者のいる者は連れてくることがほとんどだが、まだな者は相手探しの場としてもこの場を活用している。
会場は学園敷地内にある格式高いホールで、正装姿の男女で踊ったり、食事を楽しんだり、人脈作りをしたり、夜会のような煌びやかな夜を過ごすのだ。
この時期になると学内はパートナーな話で持ち切りとなる。
「シュシュアは今年も一人で参加するの?」
「うん、そうなるかな。」
学食でランチを取っていたシュシュアとミュイの二人も、周囲から聞こえてきた話題につられて、パーティーの話をしている。
「ミュイは婚約者の方呼ばないの?」
「まだ婚約者候補よ。婚約は卒業後だから今はいいかなと思っていたけれど、パーティーで流行らせたい品がいくつかあって、相手がいた方がやりやすいのよね…面倒なんだけど。迷うわ。」
「迷う所そこなんだ。」
ミュイらしいねとシュシュアが笑っている。
「シュシュアは今年は誘われるんじゃない?それでも断るの?」
「誰にも誘われないと思うしそれに、在学中は異性とは距離を置くようにって親から強く言われているから。」
「かたいわねぇ…今しかない自由な学生生活なんだから、いいなと思う相手とパーティーくらい行ったってバチなんて当たらないわよ。気にせず楽しみなさいって。」
(いいなと思う相手…)
シュシュアの脳裏に菫色の瞳が思い浮かんだ。それはいつだって優しくて、包み込むような温かな眼差しを向けてくれる。
(……いやいや、違うから。そういうのじゃないんだって。あれは単なる昔の思い出だから)
心の中で否定して言い訳をして、思い浮かんだ姿を脳裏から消し去った。
「シュシュア?」
「ごめん、何でもない。ミュイの婚約者さん紹介してよね。」
「うちの商品買ってくれるならいつでも。」
「またそんなこと言って」
ふふふと楽しそうに笑い合った二人は、穏やかなランチタイムを過ごした。
放課後、今日は商会に寄って行くからと足早に教室を出て行ったミュイを見送った後、シュシュアはのんびりとした足取りで停車場に向かっていた。
(さむ…)
春の訪れはまだ遥か先、時折り頬を撫ぜる風は冷え切っている。シュシュアは学園指定のコートの前をぎゅっと合わせて背中を丸め、歩を速めた。
「シュシュア!」
後ろから元気な声が聞こえて振り向くと、メルケンの姿があった。
彼も学園指定のコートを羽織り、首元には煉瓦色のマフラーをしている。品の良い見た目で、アッシュグレーの髪によく似合っていた。
「メルケン?そんなに慌ててどうしたの?」
自分に向かって駆けてくるメルケンを目にして、緊急の要件かとシュシュアが身構える。真剣な表情で迎えた彼女に、メルケンがプっと吹き出した。
「ちょっとシュシュアこそ、そんなに怖い顔してどうしたの?」
「どうしたのって…メルケンが慌ててやって来たから何かあったんじゃないかって、心配してるんだよ。」
「ごめんごめん、シュシュアの後ろ姿を見つけたらつい嬉しくなって走ってきちゃったんだ。」
「もう」
シュシュアが頬を膨らませると、メルケンはごめんってばと顔の前で手を合わせて再度謝ってきた。
「ちゃんと用があって追いかけて来たんだよ。ねぇシュシュア、今年の学期末パーティー僕と一緒に出てくれないかな?ぜひエスコートさせて欲しい。」
先程までの冗談めいた空気は霧散し、メルケンはいつになく真剣な眼差しで見つめてきた。普段にこにことしている彼には珍しく、怖いほど本気の表情だ。
「ごめん、私は」
「こういう言い方は狡いかもしれないけど、僕は子爵家の次男だから条件は満たしているよ。」
メルケンは自嘲気味に微笑んだ。
「もちろん君の心次第だけど、なんの障害もなく互いに好き合って恋愛結婚することも出来るんだ。そして僕の心は既に決まっている。君がいいんだ。」
「それは…」
シュシュアが言い淀む。
彼女が逃げに使っていた理由はメルケンが先に潰してしまった。こうなると、自分の気持ち以外に断る理由がない。
「今すぐじゃなくて良いから。」
頭の上から降って来た言葉は、想像以上に優しかった。
「考えてみて。そして少しでも僕のことを意識してくれたら嬉しい。じゃあまた休み明けの学園で。」
それだけ言うとメルケンはまた走って行ってしまった。
白昼夢かと思ってしまうくらい一瞬の出来事に、唖然として立ちすくむシュシュア。
(恋愛結婚なんて考えたことも無かった…)
やっぱり好き合って結婚した方が幸せになれるのかな?でもそれはもちろん、私も相手のことが好きってことだよね。
私はメルケンのことが好き?
嫌いとは思わないけれど…
正直、よく分からない。
そもそも「好き」ってなんだっけ?
初めて胸に宿した淡い恋心に蓋をしたあの日から、誰に対しても好意を抱かなかったシュシュア。「好き」という気持ちを見失っていた。