なにかのしらせ あるいは ぎょうこう
本日居なくなられた方の作品を読んで
あとからそのことを知って
『何かの知らせ 或いは 僥倖』
なぜだろう?よくあることか
おそらくはたまたまのこと
それでもありがたいこと
縁がまだあったということ
あの方の去られる前のことを
ふと通りかかるように気づき
作品を読んだこと
普段はあの人と縁遠くなっていたと
想っていたり感じていたりなのに
とても不思議な気持ちになる
嫌いになるわけではなく
星の軌跡が遠ざかるように
距離の離れる時が
横たわるよう在っただけ
それでも本人の挨拶や
人づての言葉が伝わることがある
それはきっと僥倖のように
いつかの出会いのように
何かの知らせが届いたということ
何かの縁がまだ続いているということ
気持ちが以前より薄らいだとしても
花の蕾の咲くときにふと出逢うよう
気持ちと距離が近づくことに気づかされる
人の縁とはふしぎなものだ
目に見えるような
感じられるような
そうしたものとは
べつのなにか
目に見えず感じられないもの
けれどもなにかで結ばれている
縁のつながりのようなもの
不思議なもので結ばれているのかも
そう想うことがある
意識せずとも
おとずれる気づきで
季節の移り変わりに気づくように
愛に気づくときの
何かの知らせのように
ありがとう
またね
一抹の寂しさと感謝と
また何かの縁と
知らせへと気づくこと
その訪れを期待する心を胸に
僥倖のように
人との繋がりと
縁の不思議さを知る
自分は生来鈍感だった気がします。
いつだったか、そうした去り際の場面を見かけることが多くなったと感じることが増えました。←時を経て、自身の去るときが近づいているからだと思ったりもしますが(笑)
たとえ僅かでも微かでも縁が在ったと知ること。
たぶんそれは僥倖のようなものですね。
ふとそんなことを思いました。