カフェ乱闘
「ええ、オスです」
ワイヤを壁から外しながら答えるゴンゴン。人間の女に衝撃を受けている。彼も本物を見たのは、これが初めての筈だ。
「あ、ちょうど良かった。うち、メスなんですよ。人間ってレアでしょう。子供産ませたいと思っていて。種付けしませんか。ここで、ちょちょっとすれば、済みますから」
嫌だ。いくら何でも昼日中から衆パンダ環視の往来で童貞喪失なんて、悲惨過ぎる。そうだよ、俺は童貞だ。
ううっ。元の世界に戻れなかったら、もう一生そのまんまじゃないか。
「だめです。期待に応えられなくてごめんなさい。失礼します」
ゴンゴンは言い捨てて、さっさと店先を離れた。俺の悲壮感に気付いたのだったら、ちょっと嬉しい。
後ろから、ええ〜っそんなあ、と声が追ってきたが、パンダも女も本当には来なかった。
助かった。礼を言いたくとも、今は喋れない。
「びっくりしたなあ。普通の人間って、あんな感じなんだ。毛、伸ばした方がいいなあ」
大分離れてから、独り言っぽく呟くゴンゴン。やっぱり俺と同じく、普通の人間は初見だったのだ。
返事はできないが、俺も同感だった。多少の時間はかかるものの、髭剃りもないし床屋へ行くこともなければ、そのうち顔面だけは毛だらけになる。
しばらく歩くと、パンダに慣れたか、他の動物も目につくようになった。
首輪と紐付きなのは、ペットの印と見ていい。豚、羊、鶏、ニホンザルっぽい猿が、この世界の標準らしい。
「あそこかな」
皿に盛った料理の絵と共に、食事処と書いてある。そこは通りの外れで、建物から塀が続いていた。
「いらっしゃいませ。あ」
緑白パンダが俺を見て固まる。
店内は、窓を大きくとった石造りで、おしゃれなカフェ風に見えた。パンダの巨体に合わせ、ゆったりとした間取りに、色とりどりのパンダが人間よろしく椅子に腰掛け、テーブル上から果物や野菜を食べている。シュールだ。
「何ぼーっとしてるのよ。あ、いらっしゃいませ。ペット連れ一名様ですね。外のテラス席でよろしければ、ご案内いたします」
奥からゴンゴンと同じ赤白パンダが素早く出てきた。雌だ。ゴンゴンより一回り小さい以外、外見は同じだ。
パンダ同士なら見分けても、俺は声で判断するしかない。
「はい。テラス席をお願いします」
ゴンゴンはワイヤを短めに持ち直し頷いた。雌パンダは案内に立った。
「ではこちらへどうぞ‥‥ペットにビビってんじゃないわよ。だからオスは使えないのよ」
俺たちにではなく、緑白パンダに言い捨てたのは、わかった。横目で見ると、悔しそうな顔つきに見えなくもない。
テラス席は、低いテーブルが多い。そして、犬や猫が、それぞれに食卓を囲んでいた。
「あれはいい商売だったわあ」
「お陰様で、儲けさせてもらいました」
「新しい飯屋が気になって」
「そういえば、あそこの界隈に」
犬も猫も、パンダと同じ言語で普通に会話している。彼らの前には、魚や肉らしき料理があった。
ところで、何肉なのだろう?
首輪とリードは、ペットの印だ。豚と山羊、それに牛がそれぞれパンダに連れられ、一緒に食事している。鎖で繋ぐのは人間だけらしい。
「え〜と。何にしようかな」
店員が置いていった竹簡を眺めながら、ゴンゴンが呟く。文字を読めるのか、と一安心。
林檎、梨、甘夏、胡瓜、西瓜、白菜、鯵、鯖、鯛、蛇、蛙、蜥蜴‥‥なるほど。
ゴンゴンは金の入った小袋とメニューをしきりに見比べる。俺は周囲を見回した。席と席の間は離れており、最初こそ視線を浴びたものの、今は各々食事や会話に没頭しているようだ。
「金足りない?」
耳元に口を寄せ、唇を動かさないようにして囁く。赤い耳がびくりと動いた。
ゴンゴンはメニューを衝立にして、内側に袋から出した金を並べた。金銀銅色の貨幣だ。
並べられたって、俺はここの貨幣制度を知らないのだ。まさか通貨単位、円じゃないよな。
「ご飯も大事だけど、泊まる宿も考えないとなあ。ペット一緒に泊まれるところ、後で店員さんに聞いてみようっと」
独り言を続けるゴンゴン。金貨には百パーン、銀貨に十パーン、銅貨に一パーンと刻まれている。
メニューの値段を見る。野菜や果物は一律一パーンだった。
他の客のテーブルを見るに、一個単位でなく、一品注文すれば一食分に足りるのだろう。一食五百円から千円ぐらいとして、何を売ったか知らんが結構金持っているな、このパンダ。
俺は銅貨二枚をより分け、メニューのりんごと甘夏を指した。カエルや爬虫類の肉はともかく、魚を食べたくてたまらない。だが生で供されても困る。ここは我慢だ。
「これ頼めばいい?」
急に小声になるゴンゴン。まさか、字を読めないとか。むくむくと湧き上がる疑惑。
「お前りんご、俺甘夏みかん。一番安い。金しまえ」
手短に囁くと、ゴンゴンは安心したように銅貨二枚を残し金をしまった。貨幣を使った計算が苦手、ということもあり得る。
彼は店員を呼んだ。今度は緑白パンダが来て、俺にびくつきながらも一応きちんとオーダーを取って行った。
注文した品は、すぐに出てきた。調理する手間がないから当然だ。
それぞれ皿に山盛り。俺は甘夏の皮を剥いて、ゴンゴンに渡し、中身を食べた。
柑橘類の新鮮な香りが、気分を上げる。記憶と違わぬ甘酸っぱさに頬が緩む。声が出そうなのを堪える。
すると、ゴンゴンがりんごを一つ差し出し、皮を剥いた甘夏をじっと見た。俺は中身一つとりんごを交換した。俺だって、りんごも食べたかったのだ。
「よう、見かけねえ顔だな。店長の愛人か?」
りんごから顔を上げると、黄白パンダがテーブルの前に陣取っていた。両サイドに黄緑白パンダと薄茶白パンダが控えている。
「え? 違いますよ」
「みっともねえ猿なんか連れこみやがって、迷惑なんだよ」
ゴンゴンが否定する間もなく、畳み掛けてくる。両サイドのパンダが揃って頷く。
俺はりんごと甘夏が被害に遭わないよう、囲い込みたくなった。だが、すぐに隠せる場所がない。
「猿じゃなくて、人間です」
律儀に訂正するゴンゴン。黄白パンダの毛が逆立った。ああ、果物の危機。
「にんげん〜?」
わざとらしく大声を上げた。さっきからチラ見していた犬猫たちが、ガン見に切り替える。
俺は耐えた。今、ちょっとでも動いたら、敵パンダに口実を与える。
「ほれ、拾えよ」
言うと同時に、甘夏の皮を払い落とされた。食えってことだよな。やっぱり、パンダは皮を食うんだ。俺は食えないから除けたのに。
俺にとってはゴミでも、散らかしたままは気になる。黄白パンダの足元に落ちた皮を、拾いに身をかがめた。
黄色い脚が蹴りに来た。予想通りだった。
避けた。皮はしっかり拾う。パンダは勢い余って尻餅をついた。
「親分!」
江戸時代か、ここは。両サイドパンダは綺麗にハモった。揃って親分パンダを助け起こす。ここも息ぴったり。
「てめえ、やりやがったな」
「避けただけですよ。あなたが蹴ろうとして、勝手に転んだんです」
反論したのは、ゴンゴンである。さりげなく、りんごを袋へ押し込んでいる。
おうおう、気が利くじゃねえか。俺の内心も時代劇調になる。
「ふざけんなっ」
案の定、煽られた黄白パンダは、石製のテーブルに手をかけた。
想定外に重かったのか、一瞬の溜めがあった後、ちゃぶ台返し的にひっくり返した。空の皿が草地に落ちる。食べ物は避難済み。
「きゃあ」
「にゃあ〜」
「わんわん」
「もぉ〜」
「めぇ〜」
あちこちから同時に悲鳴が上がる。赤白の雌パンダが走ってきた。
「どうされましたか。あっ、テーブルが」
「この人間が悪いんだ」
「違います。テーブルを倒したのは、彼です」
真っ向から食い違う言い分。雌パンダは、黄白パンダとゴンゴンと俺を順番に見た。俺はなるべく無害そうな顔と態度を取るように努めた。
「警察を呼びます。そこから動かないで」
八丁堀の旦那とか、警邏とか、自警団とかではなくて、少し安心した。
やってきたのは、黒白パンダの集団だった。カラフルパンダに慣れた目には、懐かしさより威圧感が勝る。
「署まで来てもらおう」
声の感じから、雌と知れた。
暴れた黄白パンダ一味だけでなく、俺とゴンゴンも連行されることになった。
「あの〜食事代払いたいです」
ゴンゴンの発言に驚く警察の一団。まさか、俺たちも黄白の仲間と思われているとか。
「えっ? おい、店主! こいつ会計するって」
「は、はい! ええと、二パーンです」
店主と呼ばれたのは赤白の雌パンダだった。ゴンゴンが、先ほど俺が選り分けた銅貨を渡す。見守る警察。
「じゃあ、こいつら無銭飲食するために暴れたんじゃないのか?」
「違うみたいですね」
おそらく通報者であろう店主の他人事風な返答に、動きが止まる一同。
「おい、お前ら。残って店主と客に話聞いとけ」
「はいっ」
それでも結局、俺たちは警察へ行くことになった。