ニッポン変な国
俺に差し出された毛皮の毛は、硬い。針みたいだ。豚か猪といったところか。
雑に縫い合わせて一応貫頭衣っぽく作ってある。色々文句はあるものの、裸のままでは嫌だから、頭からすっぽり被ってみる。
着心地は悪い。膝丈だ。動きによっては、中身が見える。
「うわあ、自分で服着たよ。意外と頭いいんだね、人間」
「たまたまだろ。穴に頭を突っ込むのは、他の動物だってよくやる」
どんだけ頭悪いのか、この世界の人間。
「さあ。お兄ちゃんは、こいつに鎖をつけたりしないといけないから、もうお前は母さんのところへ帰れ。家の仕事あるだろ」
「何であたしばっかり。普通、男が仕事するものでしょ。他のお家はみんな男が働いているのに、うちだけお母さんやあたしが働いているって、おかしいよ。お母さんはお兄ちゃん贔屓し過ぎ。種付けしか能のない男を遊ばせておく余裕なんかないのに」
「ぶふぉっ」
「きゃっ」
年頃の、パンダだけに外見からはわからないが、多分女の子から聞くには強烈な単語に、思わず噴いた。
あちらは威嚇と捉えたか、三度驚かれた。
「ほら、危ないから早く帰れ」
「わかったわよ」
桃白パンダは、渋々ながら、ようやく出口へ向かった。ゴンゴンも見送る体でついて行く。俺もその後を、そっとついて行った。
洞窟の入り口を塞ぐように、ゴンゴンが立っている。背中にファスナーでもついていないかと思ったが、見た感じでは、なさそうだった。
「うおっ」
しばらくして振り向いたゴンゴンが、俺の存在に驚く。少し一緒にいただけで、感覚が桃白パンダ並みになったようだ。
「妹さん?」
「ああ。さっきの話を聞いていたらわかるだろうけど、カモフラージュのために、首輪と鎖をつけさせてもらう」
売り飛ばす気はないらしい。しかし、あれをつけたら、まるきり奴隷ではないか。
「あれ重すぎる。もっと軽くしないと、首折れて死ぬ」
露骨に、がっかりした顔をされる。この短い間に、俺はパンダの表情読取スキルを上昇させた。
「ええ〜。折角この日のために、毎日磨いていたのに」
やはり、手入れしていたのか。
「他の物は?」
「ないよ。とっておきのお宝だもの」
改めてジャンク山を眺めても、鎖は目につかない。どこかにはあるのだろうが。
あれこれ聞きたいことが迫り上がってくる。だが、まずは目の前の課題だ。
「じゃあ、首輪は我慢するから、鎖の代わりに、ケーブルを使ったらどうかな。強度は十分だと思うよ」
鎖よりは軽いし、動く度にがちゃつかずに済む。持つ方は扱いにくいけどな。
「あ、これ? そうだね。わかった」
ゴンゴンは、俺が指し示した電線を嬉しそうに引っ張り出す。ジャンクの使い道ができたのを、喜んでいるようだ。
早速ペンチを使って首輪と鎖を分離し、ケーブルカッターで適当な長さにしたものを、器用に首輪と結びつけた。 持ってみたら、何とか耐えられそうな重さだ。でもできればつけたくない。当たり前の感覚だ。
「妹さん、今日はもう来ないかな。人目のない時は外しておきたい」
「来ないと思うよ。忙しいから」
「ゴンゴンは、手伝わなくていいのか?」
ゴンゴンはすっくと立ち上がった。
「僕はぁ〜、世界を変える男だっ。世俗に塗れている暇はないっ」
あ、厨二病ね。妹が軽蔑するのも無理はない。さて、次の優先課題は服か飯。
「針と糸と鋏はあるか」
「糸はない。針はあるかも」
鋏を出してくる。指を入れる輪の部分がない。パンダには人間ほど長い指がないからだ。ナイフを二本組み合わせただけの道具にも見える。
「毛皮はこれで全部なんだよな」
「うん。猪は、そんなに出ないからね。貴重なんだぞ」
ゴンゴンは山を漁っている。針もなさそうだ。あるなら道具の方に、と思いついて探すと、目打ちを発見する。
「それはありがとう。針はもういい。まずは履き物を作りたい。服も直したい。あと飯な。俺は笹も竹も食わんぞ」
「だよね〜。芋は食える?」
「火を通せば食える。生で食ったら腹壊して死ぬ」
俺は猪皮の服を検分しながら答える。紐状の物で縫い合わせてある。
皮に余裕があれば紐を作るのだが、むしろ足りない。最悪ケーブルをほぐすとして、考えただけで気が遠くなる作業だ。
「うへえ。面倒臭いな人間。早く売った方が良さそうだなあ」
パンダはまた不穏な発言をする。ひょっとしたら、金持ちの家に売られた方が、お互い幸せになりそう。
「売る前に餓死したら、金にならんだろう」
「いや。死体でも服とか荷物とかの証明になるから」
平然と恐ろしいことを言う。思わず鋏を取って、脱いだ皮服を解体し始める。手を機械的に動かしながら考える。まだ死にたくない。
「果物なら生で食える。人参とか、胡瓜とか、トマトも」
ゴンゴンの表情が、ぱあっと明るくなった。俺は心底ほっとした。
「人参なら畑にある。ちょっと盗ってくる」
洞窟を飛び出して行った。盗んでくるって言ってたな。捕まらないといいが。俺の安心は一瞬で終わった。
ゴンゴンは人参を抱えて無事戻ってきた。よかった。
「陽が落ちて暗いから、ちょうどよかった」
ああ外は暗いのか。お腹が空く訳だ。俺は今居る部屋を見上げた。
ちゃんと灯りはあった。土でできた皿に油を入れて、灯芯に火を付けるタイプだ。
「ここには、長居できないな」
酸素がなくなる。
「あっちへ行って、人参食べよう」
もう口に一本入れているゴンゴンである。俺の分はあるのか。灯りと服も一緒に移動する。
水道がないから、土まみれの人参を猪の毛ではらって齧る。
飲み水も欲しいし、火が欲しい。ないない尽くしだ。
「質問。この国の名前は?」
俺が一本食べる間に、残りを食い尽くしそうな勢いで食べるゴンゴン。俺は非常食としてもう一本頂戴した。
「カラパンって、王が言ってる」
カラーパンダの略だったりして。日本語が通じているようだが、異世界あるあるで、自動翻訳されているのかもしれない。由来については、聞いても無駄な感じである。
「隣の部屋にある山は、何だ?」
「地下に埋まっているお宝。皆はゴミって言うけど。でも、普通に掘っても出ないよ。崖が崩れたりして、たまに出てくる。お金持ちはお宝を上手に使って、いい暮らしをしているんだって」
「日本とかニッポンとか、ジャパンとか聞いたことない?」
ぼりぼりぼり。人参を貪りながらゴンゴンが考える。
「ない、かなあ。何それ?」
「俺がいた国の名前」
「同じ場所に名前が三つもあるの。変な国」
『にほん』と『ニッポン』が併存する理由は、俺も知らなかったから、スルーした。
「ここがカラパンになる前は、何だったんだ?」
昔、日本だったんじゃないか、とか、どういう経緯でパンダの国になったのか、とか、この国の政治体制や歴史を教えて欲しい、とか。聞きたいことは、山ほどある。
「さあ。僕が生まれた時には、もうカラパンだったんじゃないかな」
ざっくりと答えるゴンゴン。俺は、人参だけの食事を終えて靴作りに入る。服の余分な箇所を切って、足を包む形に縫い合わせるのだ。糸の代わりにワイヤーを見つけた。靴底の補強にも使える。
「お前、何歳だ」
「二十五」
「七歳も上なのか」
「へえ〜。年下には見えないね」
それは、パンダと人間だもの。
パンダの寿命は二十年ぐらいで、人間と比較するには三倍する、と聞いたことがある。
するとゴンゴンは、寿命を終えつつある老人‥‥ないな。この世界のパンダは、俺のいた世界のパンダと見た目も中身も別物だ。
ゴンゴンが二十五というなら、二十五歳と考えていい。中身はともかく。この世界も暦年使っているのだな。一年が百日ぐらいだったりして。
「一年は何日ある?」
「三百六十五日」
並行世界を考え出すとややこしいから脇に置いといて、今のところ同じ地球上であると仮定しても矛盾しない。
『猿の惑星』という昔の有名な映画を思い出した。さしずめ『パンダの惑星』だ。笑える。
「王の名前は? どこに行けば会える?」
「王は王だよ。ふわああ。お腹いっぱいになったら、眠くなっちゃった。おやすみ」
ゴンゴンは人参を食べ終えて横になった。テコでも動かない感じだ。
信用されているというよりむしろ、油断しすぎ。
こいつについて行って大丈夫なのか。不安が増す。だが他に知り合いはいない。桃白パンダに乗り換えたところで、状況は変わらない。
俺は慣れない道具で裁縫を続けた。