トラップ包囲
それから、ホコヤ中心街をほとんど横断したと思うほど、歩いた。
着いた先は、どうやらスルグ県職員御用達の宿らしかった。
「いらっしゃいませ。ピンピン様でございますね。ご予約承っております」
女将らしき桃白パンダに案内されたのは、露天風呂付きの広い部屋だった。ただし今回は全員一緒である。
「烏のカアクローは、来たか?」
「いえ。お連れ様はこちらで全て、とお聞きしております」
桃白雌パンダの言葉に、ピンピンの表情が険しくなった。既に夕刻、日は落ちている。
カアクローが宿へ泊まらないことはあるけれども、俺たちとの接触もないのはおかしい。
県庁前で降りてこなかったのも、既に行方不明だったからだろうか。
「では、こちらへの予約は誰が?」
「それは、カラスニ子さんですわ。普段から、ホコヤのこの辺りを担当しております」
また変な奴が出てきた。俺は自動小銃をぶっ放すカラスを思い浮かべたが、噴き出すまでには至らなかった。
「すまないが、呼び出してもらえないか。私は部屋にいるから、来たら呼び出してくれ」
「かしこまりました」
女将が下がっていく。ピンピンは、露天風呂の方へ行き、外の様子を窺った。カアクローがいないか確認しているのだ。どのみち夜である。カラスが何十羽いても、俺には見えない。
「エビフリャ食べたかったろうに」
ゴンゴンが誰にともなく言う。
「我々がホコヤ県庁前広場へ到着した時には既に、事態が動いていたと考えるべきだな」
戻ってきたピンピンが言った。皆、同じことを考えていた。
「ホコヤ勢? なんでカアクローだけ?」
「まず間違いない。カアクローは先触れみたいなものだろう。お前、ソウも攫われないよう気をつけろ」
「じゃ、お風呂一緒に入ろうか」
部屋にあった伊予柑ぽい大ぶりの果物が、ゴンゴンに当たった。
「痛っ。何で? 入浴中にソウが攫われるかもしれないじゃないか」
「すまん。私と入るのかと勘違いした」
ピンピンは手にした果物に齧り付いた。ゴンゴンは、自分に当たった方を拾って食べる。俺も手を伸ばし、皮を剥いて食べた。どうせ毛皮のままだし、雄雌二体が一緒に入浴しても問題ないと思う。
「襲撃を見込んでいたのだが、予想を外した」
残りの果実を瞬く間に平らげるピンピン。そこへ夕餉の膳が到着した。
「あんこがある〜」
ゴンゴンが掌を打ち合わせて喜ぶ。握り拳程度のあんこが皿に載っていた。各自一皿ずつある。俺も嬉しい。
俺が干し海老をちびちび食べていると、カラスニ子の来訪を告げる使いが来た。ピンピンはとうに食べ終えていた。
「行ってくる。戻りの時間が読めないから、先に休んでいてくれ。戸締りを忘れずに」
ゴンゴンとふたりきりになる。差し当たり申し合わせたように、夕食を平らげる。
空になった膳を部屋の外へ下げ、閂を掛けて部屋の奥へ移動する。
「久しぶりだね〜」
一応声を落としている。
「う、うん」
まともに喋っていないせいで、喉の筋肉が衰えたらしい。上手く声が出ない感じだ。話したいこと聞きたいことはたくさんあるはずなのに、まるで言葉が出てこない。
「とりあえず風呂入ろっか」
「そうする」
風呂場には、毛糸で粗く編んだ布状のものが置いてあった。県庁の窓からヒラついていた物と同じだろうか。ガーゼどころか、ほぼ投網だが、ともかく布の一種と数えてよかろう。文明の進歩もついにここまで来たか。
あと、石鹸が欲しいな。
「ふうっ。気持ちいい〜」
ゴンゴンが浴槽に体を沈める。俺は露天を警戒して、入浴中喋らなかった。
拭くものがあるから安心して頭まで洗う。お湯での洗髪は気持ちいい。旅の間、洗ったり洗わなかったりで、脂がなかなか落ちない。シャンプーが欲しい。
「何かさ、ずっと喋らないでいると、色々忘れて本当に野生の人間みたく馬鹿になりそうなんだよね。口も上手く動かないし」
風呂上がり、余った毛糸投網を頭に巻いたまま、ゴンゴンと向き合う。髪が大分伸びて、乾きにくい。髭も同じく。
「そうかあ。どうせ皆、ソウを湧いた人間って思っているし、喋っちゃう?」
「でも、それだとホコヤで足止め喰らうだろ。オサカにいる王のところまで行きたいんじゃないのか」
「う〜ん。そこなんだよねえ。ホコヤで発掘しまくるのも楽しそうだし‥‥」
戦略的ではなく、己の欲望に忠実な理由で方針を変えようとしている。俺は馬鹿馬鹿しくなって毛糸投網を外し、髪の毛を拭く。すかすかな割には水分を吸収してくれた。
「ソウの情報を引き渡しても、ホコヤで発掘させてくれるかどうか。跡地をカバのために水没させるんだものな〜。だから、ホァンホァン様の後ろ盾が欲しいんだよね。やっぱり、能力全開はなしで、確証を取られない程度に少しずつ小出しにやるかなあ」
ひとりで結論を出した。
「わかった。じゃ、今のうちに喋る練習でもしておくか」
と言ったものの、話題がない。
「ちょっと聞きたいんだけど、体がものすごく汚れちゃった時、特別に汚れが落ちる何か特別な品物って、あるのかな」
「え、何それ?」
「水と混ぜると、泡ができる。その泡で汚れを包んできれいにする。俺のいた世界では、石鹸とか、洗剤とか、シャンプーとかいう名前だった」
「んん〜わかんない」
ゴンゴンは記憶を掘り起こそうと考え始めた。待ちきれない俺は、勝手に石鹸について説明を始めた。
そこそこ夜更かししたつもりだったが、ピンピンが帰ってきたのは、俺が眠っている間、夜明けの方が近い時間だったらしい。
目が覚めると、丸まって眠る青白パンダが視界に入って驚いた。ゴンゴンが朝食の膳を運び入れている。
「あ、おはようソウ。彼女あんまり寝てないから、起こさないでね。僕たち先に朝食済ませちゃおう」
干魚や干果物をぼちぼち食べているうちに、ピンピンが身動きして起き上がった。
「おはようピンピン。先に朝食もらっているよ」
「構わん」
少々ふらつきながら移動し、据えられた膳の前にどかりと座り込んだ。黙々と食べ始める。俺は食べきれない干物を荷物へ仕舞い込んだ。
「で、手がかりは掴めた?」
ピンピンがあらかた食べ終えたところで、ゴンゴンが話しかけた。
「ない。夜間で、聞き込みが難しかった。お前の都合に差し障りがなければ、もう一日滞在して行方を探したい」
「いいよ。行ってみたいところがあるし」
「いや、ダメだ。悪いがここから出ないでくれ。安全を保証できない」
「え〜」
「昼食に、あんこを大盛りにしてやる」
「わかったよ〜。しょうがないなあ」
食後、膳を片付けると、そのままピンピンは出かけて行った。
「あんこの大盛り、ちゃんと頼んでおいてね」
「わかっている」
ごろりと横になるゴンゴン。
「あ〜あ。せっかくホコヤに滞在するんだったら、発掘現場を見に行きたかったのになあ」
「攫われたら、どうせ見に行けないじゃないか」
膳を片付けに来る従業員の耳を気にして、小声で応じた。
「出かけられないなら、昼まで暇だよ〜」
ごろごろごろごろ、と部屋の中を転がるゴンゴン。俺に激突しそうなので、避けた。転がったゴンゴンは、入り口の引き戸まで到達し、ぶつかって止まった。がらりと開く扉。
「何をしている」
ピンピンが戻ってきた。
「あれ、そのまま出かけるって言っていたよね。あんこ頼んでくれた?」
寝転がったまま尋ねるゴンゴン。
「予定変更だ。お前たちも一緒に来い。荷物は全部持て」
ゴンゴンが俺に顔を向ける。俺に聞かれたってわかる訳ない。
ともかく荷物を持ってピンピンの後に続く。昨夜入った玄関まで来た。桃白女将パンダが落ち着きなく右往左往している。
「ああ、お客様。先方は、外でお待ちです。お気をつけて」
「世話になった」
不穏だ。
建物の外へ出た。
馬車があった。既視感を覚える。馬が引くのは、頑丈な木箱型の乗り物だ。ただし、窓が小さい。観光客用というよりは、明らかに護送用だ。御者台と、箱の前に、それぞれ黒白パンダがいた。公務員の装いは県を跨いでも同じらしいから、警察か県職員かいずれにしてもホコヤの公的な筋ということだ。
「スルグ県庁のピンピン殿、それに同行者のゴンゴン殿と人間。馬車に乗って我々と一緒に来てもらいたい」
箱の前に立つパンダの一体が喋った。雄である。宿は繁華街から少し外れた住宅地にあったが、一応ホコヤ中心部でもあり、朝から通行パンダが目につく。その茶白や橙白や緑白、様々な色合いのパンダの、いちいちこちらに注目しながら通り過ぎていく視線が痛い。
「このくらいなら僕だけでもいけるよ」
ゴンゴンが言う。それはつまり、全員倒せるという意味だ。
「昨日から行方の知れぬ、スルグ県職員のカアクローを探している。連絡が取れ次第、そちらへ伺おう」
発言を無視してピンピンが黒白パンダに言う。黒白パンダの方も、ピンピンから視線を外さない。
「自称スルグ県職員のカラスなら、当方で身柄を預かっている。同行すれば、対面出来るだろう」
「ちなみに彼らはどこの誰なの?」
「ホコヤ県庁職員だ」
答えたのはピンピンである。訪問した時点で、身分を名乗っていたようだ。ゴンゴンから、すっと力が抜けた。倒すのを諦めたらしい。
「では、行こう」
ピンピンが黒白パンダに向かって頷くと、相手が馬車の扉を開けた。後ろへ回って、中から踏み台を下ろしてもらい、馬車へ乗り込む。中にも黒白パンダがいた。俺を見て毛を逆立てている。
「心配ないよ。おとなしいから」
ホコヤ側の怯えに気付いたゴンゴンが、声をかける。言われた方は、ああ、とか、うう、とか不明瞭な声を発した。
俺は箱の一番奥に座らされ、隣りにゴンゴン、向かいにピンピンが席を占めた。黒白パンダたちは出入り口を塞ぐ形だ。
そうして、馬車は出発した。