1 デメリット
頬を伝う汗を拭い、炎の刀を握り締める。
向かい合うは人食いの魔物。
狼に似た容姿に、それ以上の凶暴性を備えた害獣。
鋭い牙は剥き出しとなり、うねり声は凹凸の激しい岩肌に反射して反響する。
うだるような熱さの中、焦れた魔物が仕掛けてきた。
牙は喉笛を目指して跳び、こちらは炎の刀で一閃を描く。
牙を断ち、肉を斬り、体を寸断した。
二つに分かれた死体は血を噴くこともなく地面に落ちる。
どっと汗が噴き出した。
「あつっ」
ただ一刀、振るっただけだ。
ただそれだけでこの体は異常なほど熱を持つ。
酷い時は歩行すら叶わず、意識を失うほどに。
「脱ごうか迷うな」
『サービスショットやん』
『REC』
『エッッッッッッ』
「うちのリスナー、男女比九対一だぞ。誰が喜んでんだよ、それ」
コメントの読み上げ機能に気分を害されたので脱がないことにした。
どうせ戦闘服の一枚や二枚の違いで活動限界が伸びるわけでもないんだし。
「はぁ、今日はこの辺が限界か」
『いつもながら短い』
『活動限界RTA』
『配信時間脅威の四十五分』
『このキツいデメリットで冒険者は無理でしょ』
「はぁー? お前ら名前覚えたからな! ただでさえ人が少ないんだからな、この配信!」
現在の視聴者数112人。
コメントをしてくれるのはその十分の一。
誰がどんな発現をしたかはすぐわかる。
「自分で言ってて嫌になってきた。帰ろ」
『ごめんて』
『正直すまんかった』
『泣かないで』
「べつに泣いてねぇわ!」
リスナーとプロレスしつつ、今日のところは引き上げてダンジョンの外へ。
所変わって冒険者組合の受け付け前。
ここでは撮影ドローンの貸し出しと返却ができ、後日撮影内容に応じた報酬が口座に振り込まれる。俺の場合平均して約一万円前後。はっきり言って飲食店のバイトのほうが遙かに効率がよかったりする。
「はぁ……」
撮影ドローンを返却した後は冒険者専用の銭湯で汗を流すのが恒例行事。
特に発汗がキツい俺にはありがたい。
適当に体を洗い流してサウナに目もくれず水風呂に浸かる。
この瞬間が一番気持ちいい。
「えぇ、そんな奴がいるんですか?」
「あぁ欠陥魔法っつってな。そいつの場合は魔法を使うと体温が上がっちまうんだ」
「へぇ」
「なーんだって思ったろ? けど、お前サウナの中で何分も魔物と戦えるか?」
「え、いや、そりゃ……キツいですかね」
「キツいなんてもんじゃない。意識が朦朧とするし目眩、頭痛、吐き気、その他もろもろ。熱中症のまま戦ってるようなもんだ。自殺行為だよ、正直な」
「じゃあなんでそいつ、冒険者なんて続けてるんですか?」
「そりゃあお前――」
「教えてやろうか?」
振り返って、そう声を掛けると片方の男が気まずそうな顔をし、急いでかけ湯を済ませて去って行く。残されたほうはきょとんとしつつも状況を察し、同じようにかけ湯をして連れを追い掛けて行った。
「理由か」
瞳を閉じて瞼の裏に描くのは十年ほど前の記憶。
当時はまだ地上に魔物がいて俺は子供だった。
為す術がなかった。
安全だと信じて疑わなかった居住区に現れた魔物がみんなを奪って行ったんだ。
男も女も、老人も子供も、友達も家族も、みんないなくなった。
俺だけが生き残って、今もこうして生きている。
俺がみんなと一緒に行けなかったのはきっと何か意味があるはず。
だから俺は冒険者になると決めたんだ。
あの日を二度と繰り返さないために、魔物を永久にダンジョンの中に閉じ込めて置くために、ダンジョンの最奥にいるという魔物を生むクイーンを斃すために。
「ちょっと浸りすぎたな」
冷たくなった体を動かして水風呂から出た。
§
『今日はどのくらいダンジョン配信するの?』
「さぁ、魔物の機嫌次第だな。せめて一時間くらいは配信したいけど」
『そんなに持たないだろ』
相変わらず好き勝手言いやがって。
「今日こそ第一階層を突破してやる。見てろ」
このセリフも何度目だろう。
結局、いつも体温が上がりすぎて撤退を余儀なくされる。
けど、今日こそはと決意を固めてこのダンジョンの奥へと続く通路を進む。
『初見です』
『初見だ! 囲んでもてなせ!』
『魔物退治お疲れ様です。冒険者さんのお陰で安心して過ごせます』
「ありがとう。第一階層すら突破できないけどな」
『でも実際、助かる』
『ダンジョンの魔物が減ればそれでいい』
『お陰で地上に魔物が出て来ない』
『誇りを持て』
「リスナー……そんな優しい言葉も知ってるんだな」
『どういう意味だ』
『俺たちをなんだと思ってるんだ』
「日頃の行いだろ! でもまぁ、ありがとな」
『ツンデレ』
「今日日聞かないけどな、ツンデレ」
冒険者と配信を初めてもう半年が経つ。
この星を鏤めた夜空のような天井も、ここにしか咲かない綺麗な花も、見飽きるくらいに繰り返し、このダンジョンの第一階層を練り歩いた。
最初はこの通路を歩くだけでも心躍り、あちらこちらに目を奪われていたのに、今ではなにも感じないほど見飽きてしまった。
次の景色を見てみたい。
その思いは日に日に強くなっていくけれど、いつも現実が立ちはだかる。
一歩も前に進めない。
なにかこの停滞した現状を打破できるなにかがないものか。
そんな都合のいいものを探し求めて、俺は今日もダンジョンに潜っているのかも知れない。
「ん?」
『お?』
『なに?』
「いや、音がしたような」
『聞こえん』
『音量MAXにするわ』
よくよく耳を澄ませると、それは通路の奥のほうから響いてくる。
微かに耳が拾うその音をたぐるようにして前進。
なるべく足音を殺して進むと音が止む。
一瞬か、それとも数秒かかったのか、静寂の中、通路の奥の暗がりで大きな目が開く。
瞬間、思わず耳を覆いたくなるような咆哮が轟いた。
『怖ぇええええ!』
『デケェェエエエ!』
『ひえぇえええええ!』
『耳ないなった』
「こいつは」
幾つもの棘を速し、あらゆる魔物を串刺しにする魔物スピーナ。
第一階層なら一番強いまものだ。
強靱な前脚を折り曲げて屈み、長い尾で天井を叩く。
臨戦態勢を取った瞬間、棘の塊が突っ込んでくる。
「回避!」
弾丸のように馳せたスピーナの突進を紙一重で躱し、地面を転がって即座に体勢を立て直す。
スピーナは棘の一部を地面に突き刺すことで急旋回。
再びこちらを睨み付けていた。
『戦う? 逃げる?』
「とりあえず今は逃げ! 場所が悪い!」
魔法を発動。
靴底に炎を爆破し、その反動で大きく後退。
スピーナの咆哮を肌で感じながら空中で身を捻り、片足着地。
再び同じことを繰り返し、爆風に乗って更に加速。
体温は一気に上昇したがしようがない。
通路の終わりまで一っ飛びに突き抜け、その先にある拾い空間へ。
第一階層の地形は知り尽くしている。
この空間には目立った障害物もなく戦いやすいはず。
けれど、いざ辿り着くと不測の事態が起こった。
「なんっだ? 氷?」
飛び込んだ空間に見慣れない氷が大量に発生している。
そしてその最中に、戦闘服を身に纏い、白い息を吐く一人の少女を見付けた。
「先客か」
突然の登場に驚いた表情を浮かべる彼女の前に着地。
そのまま雪のように白い手を取った。
「魔物が来る! すぐに――」
すぐに異変に気がついた。
「体温が……」
スピーナから距離を取るために魔法を二度使用したことで体温はかなり上がっていた。
にも関わらず、いま急速に平熱へと近づいている。
まるで掴んだ手から冷気が流れ込んできているみたいに。
今まで経験したことのない現象を前にして思考が固まる中、獲物を追い掛けてきたスピーナが再びその姿を見せる。
牙を剥き、棘を振るわせ、跳ねたスピーナ。
隣りの彼女を連れての回避は無理だと思った。
残された道は迎撃のみ。
手を解く手間も惜しんで左手をスピーナへと伸ばす。
手の平から放つのは指向性を持つ火炎放射。
空気と魔力を喰らい燃え盛る炎が牙を剥き、スピーナへと食らい付く。
同時に揃えるように突き出した彼女の手から冷気の渦が放たれていた。
炎とは真逆の氷の魔法。
火炎と冷気に飲まれたスピーナは半身を焼失し、半身が凍結する。
命尽きた半身が倒れ伏し、危機が去る。
俺たちの胸中は安堵よりも、驚愕が勝っていた。
「体温が上がらなかった」
「体温が下がらなかった」
同時に呟いた言葉は似て非なるもの。
「キミも?」
「あなたも?」
真逆であり、同じデメリットを持つ者通し。
すべてを理解した瞬間だった。
「パーティーを組もう! 二人ならダンジョンのクイーンだって斃せる!」
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