第3話
「え……」
驚きの声を上げようとした瑠衣の唇を、伸びてきた右手の人差し指が、優しくふさぐ。左手は瑠衣の右手を抑えていて、それが、彼女の心臓に包丁が突き刺さるのを防いでいた。
「うふふ」
彼女――ベッドで眠っていたはずの茉莉――は、妖しく微笑む。暗がりの中でまっすぐに手を伸ばしてきたところを見ると、さっきまでのは寝たふりだったのだろう。薄目を開けたりして、彼女も部屋の暗さに目をならしていたのだ。
「え、えと……」
状況が分からず、キョトンとしてしばらく動きを止めてしまう瑠衣。そのスキを突くように、茉莉は瑠衣の手を握っていた自分の左手を、強く引いた。
「わっ⁉」
体ごと、茉莉の方に引き寄せられる。
ベッドの上の茉莉に覆いかぶさるような形になったが、凶器を持った手を拘束されている分、瑠衣の方が不利な状況だ。
ああ、そうか……。
瑠衣は気づく。
自分が殺されるかもしれないと思えば、どんな恐ろしい決断だって下せる。それは、さっきまでの自分の行動が証明している。彼女は……闇藤茉莉さんは、『悪霊』の私が自分を殺しにやってきたことに気付いて、それを返り討ちにしようとしているんだ。
自分で自分を殺そうとしていた瑠衣は、もはやそれに抵抗したりしない。相変わらずベッドに横になったままの茉莉に、されるがままに任せる。
やがて彼女は瑠衣の包丁を奪い取り、その刃を瑠衣の心臓に突き刺……したりはせず。
なぜか、ベッドの上で抱き合うような態勢のまま、瑠衣の首筋や腰、胸や太もも、さらには、両脚の付け根にまで……。瑠衣の全身をなめまわすように、体中に手を這わせてきたのだった。
「あ、あの……ちょ、ちょっと……?」
さすがに意味が分からず、声を上げようとする瑠衣。
それに対して茉莉は自分の顔を瑠衣の耳元に近づけて、愛の言葉をささやくように色っぽい声音で「動かないで……。もう少しだけ……このままで……」と言った。
?⁉?⁉
なに⁉
ど、どゆこと⁉
私、この人に殺されるんじゃないのっ⁉
こ、この人、女の人なのに、なんで私を……。
って、い、いやいやいや! 今の状況は、男とか女とか関係ないし!
瑠衣の頭の中を、無数の疑問符と疑問詞と疑問文が、バラバラの状態になって飛び回る。完全に混乱状態になった彼女が、高まる興奮にまかせて叫び声をあげずにいられたのは、茉莉がずっと自分の首筋に手を添えて、飼い猫をなでるようにやさしく動かしてくれていたからだ。
彼女のその行為は、他人とのコミュニケーションが苦手で、今まで恋人なんて一人もいたことがなくてボディタッチ耐性皆無の瑠衣にとっては、弱点攻撃にも等しい。頭の中の疑問がすべてどうでもよく思えてしまえるほどの快感に包まれ、瑠衣は茉莉の言われるがまま、触られるがままの状態だった。
そして、その状況はそれから数分くらい続いた。
……は?
お、おかしくない……?
さすがに正気を取り戻したのか、瑠衣の頭に再び疑問が浮かぶ。しかしそれは、さっきまでの疑問とは毛色が異なるものだ。
より緊急性があり、文字通り致命的な命題に対する疑問だ。
数分経った?
ってことは、もうとっくに十二時まわってるよね?
なのに……どうして私、まだ生きてるの?
その疑問のやり場をどこに持っていけばいいか分からず、特に根拠もなかったが、目の前で自分を抱きしめている茉莉を見る。
「うふふ……」
茉莉は、その視線に込めた疑問をはぐらかすように、また妖しく微笑む。
そして、その解答代わりとでもいうように、こんなことを言った。
「……ようやく、来たみたいね」
「え?」
次の瞬間、茉莉は素早くベッドから起き上がる。
そして、天井から垂れていたロープのようなものを強く下に引っ張った。
「ぐえっ!」
するとすぐ近くから、瑠衣とも茉莉とも違う誰かの、そんなうめき声が聞こえてきた。
その声のした方――部屋の入り口――に目を向ける。
するとそこには……さっき茉莉が引っ張ったロープによって両腕ごと胴体を絞めつけられ、天井に引き上げられている第三者がいた。
入り口の扉はわずかに開いている。茉莉はベッドで瑠衣と抱き合いながら、その扉が開いてちょうど誰かが中をのぞきこんだタイミングで、扉のフチに沿って張り巡らせていたロープを引いたのだろう。天井を這っている空調用の配管を「井戸から水をくみ上げるときの滑車」のようにして、瑠衣の次にやってきた侵入者を、野獣をとらえるような罠にかけたのだ。
茉莉はロープの端を持ったまま、自分のかけた罠にかかった獲物に近づいていく。
「ふふ……個室の中は、薄暗いからね。ベッドの上で凶器を挟んで抱き合ったりして、監視カメラだけじゃあ私たちのうちのどちらが死んだのか分からないような状況を作れば、様子を見るためにあなたが姿を現すと思っていたわ」
そういって茉莉は、体を絞められて苦しそうにしているその人物の頬に、自分の手を添える。そして、相手を小馬鹿にするような嘲笑を浮かべながら、こう宣言した。
「デスゲームが人間の作ったゲームである限り、そこには必ず抜け穴がある。私はそのバグを攻略して、ゲームを破壊する専門家なの。さあ、こんな下らないお遊びは、もうお開きにしましょうか…………デスゲーム運営さん?」