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第参章 決壊 幕章 諦めきれない。

今回は小休止です。

 宴会が終わり、酔い潰れた永久(とわ)を用意された寝室に寝かせた後、縁側に座り込み星が瞬く夜天(よぞら)を仰いで(おぼろ)はあからさまな溜息を吐いていた。


 ――やっぱり咲夜(さくや)は本当に素敵だな……。


 啓益(よします)の追求から守ってくれた親友の姿に感謝と同時、憧憬と嫉妬が舌を出す。


 自分よりも他者を思い遣り、何の(てら)いもなく手を差し伸べられる綺麗な心を持った憧れで自慢の親友……。


 そして、誰からどう見ても兄の花嫁にふさわしい女性……。


 自分など足元にも及ばない。


 ――私と兄様の恋が決して赦されることはない茨の道だってことはわかっていた。世間は愚か身内の理解を得ることさえ難しいことも……。


 いや、難しいどころの話じゃない。そもそもからして禁忌なのだ。可能性以前の問題と言えた。


 ――うっ……。改めて考えると落ち込んできた……。


 その点、咲夜はその器量や立ち居振る舞いはもちろん。立場や家柄にしても一切問題ないどころか最善の相手と言える。


 大樹(たいじゅ)家は鷹叢(たかむら)の長年の盟友……。その関係を強化する意味でも兄と咲夜の婚姻は両家や双方の領民にとっても歓迎されることだろう。


 まして、咲夜は母方から摂権(せっけん)家の血も汲んでいる。兄が天下を目指すに当たって都での強力な後ろ盾すら期待できるだろう。


 それは現在の四条院(しじょういん)芦藏(あしくら)の枢軸政権に抗する力にさえなるかも知れない。


 はっきり言って、良いことしかない。


 ――そして、私との仲は良いことなんてひとつもない。いいえ。一から十まで悪いことしかない。


 言うまでもなく兄妹同士の恋仲――近親相姦など古今東西共通の最も忌むべき大罪だ。庶民なら刑死とてありえる。それどころか私刑(リンチ)さえも……。


 ましてや、統治者たる武士階級の自分たちにとっては論外も甚だしい醜聞(スキャンダル)だ。


 その累は自分と兄は愚か、鷹叢家そのものにも容赦なく降りかかることだろう。


 父と母がこれまで築いてきた地盤、家臣たちや領民からの信頼、大樹との関係といったすべてを無残に崩落させてしまうことだろう……。


 ――それらすべてを承知でこの恋を選び貫き通すと決めたのは私たち。その代償がどれだけ重いものになるのかも理解していたつもり。けれど――


 ()()()()()()()()()()と、朧は今痛感していた。


 こうして咲夜と兄が結ばれることの利点を(あげつら)ったことで、改めて自分との恋がいかに兄にとって、鷹叢家にとって踵骨腱(しょうこつけん)以外の何物でもないと思い知らされる。


 兄の力になるどころか、兄の足枷になることしかできない。


 ――今日だって咲夜の助けがなかったら啓益の追求をかわせてたかわからない……。私との関係を続けていくかぎり兄様はこの先今日のような――いいえ。きっと今日以上の危機に幾度も見舞われる……!


 その時も今日のように乗り切れる保証など一切ない。いや、今度こそすべてが終わる可能性の方がよっぽど高い。


 この関係を続けるとはそういうことだ。


 元からの敵は愚か、これまで味方だったものすべてが瞬く間に棘と茨へと裏返る。


 父母も、叔父や叔母たち一族も、家臣郎党も、鷹叢の領民たちも、そして大樹家も。


 ――特に咲夜がこのことを知ったらどうなるか……想像するだけでも胸が痛くなる。


 どんよりとした面持ちで頬杖をついてしまう。


 もちろん、この想いを諦める気はないし、譲る気なんて更々ない。


 しかしだ。その想いのためならすべてを捨て踏み躙っていいと思えるほど自分も兄も割り切っているわけでも、ましてや無責任ではないつもりだ。


 自分たちは、この應州を――倭蜃を愛しているし、より良い国にしたいという志にも嘘偽りはない。それと同時に自身の気持ちも決して捨てないという選択肢を取ったに過ぎない。


 無論。余人から見れば屁理屈と断じられる論法でしかないとは自覚している。


 他ならぬ自分と兄が無茶であると承知なのだから……。


 ――けれど、私も兄様もそれ以外の選択肢なんて考えられない。欲張りで我が儘だなんて自分が一番良くわかっている……! それでもこの恋心(おもい)を捨てたら、もうそれは私たちじゃない。嘘を吐き続けながら生きるなんて……私たちの士道(いきかた)じゃない!


 あらゆる宿命(しょうがい)束縛(くさり)を引き千切らんと頬杖をついていた手で拳を作る。


 この戦国末世を平定し天下を一統することは元より大前提だ。その上で自分と兄との関係を天下万民に認めさせる。


 ――それこそが、私と兄様がともに目指す天下(せかい)。ともに命の限りに走り抜くことを決めた(みち)。無理無謀と言って諦めるくらい誰にでもできるわ。最も難いのは夢を(うつつ)へと届けることよ!


 それに元から恋敵の出現なぞ覚悟の範疇のことだったではないか。まして、その筆頭に兄を恋い慕っている親友が躍り出ることなど百も千も承知のことであったはず!


「そうよ。この程度で挫けていたらお話にならないわ! 何より当の私たち自身が夢見た未来を信じられなくてどうするの!」


 ただ座して現実になど圧し潰されはしない。この命の限りに抗ってみせる!


 しかし、そんな決意に水を差すように――


「にしては、あのハゲ野郎にひとつも言い返せなかったではないですか~~~~」


 後ろから気の抜けた間延びした声が間隙につけ込むがごとく刺す。


「っ! アフリマ……って! なによ、その恰好ぉっ!?」


 反射的に振り返ると、浴衣の前をはだけて羽織り白肌が露わとなった悪神(アフリマン)がふんぞり返っており、貌を真っ赤にして悲鳴染みた絶叫を上げる


 それに対し当の女神はどこ吹く風とばかりに手にした団扇を扇いで、億劫そうに溜息をつく。


「だってぇ……湯上りで火照ってしかたないんですもん~~」


「夏ならまだしも、今は如月(きさらぎ)よ! 見え透いた嘘はやめなさい!」


 矢継ぎ早に怒鳴って叱り飛ばすが、無論この悪神は一向にブレない。


「失敬な。わたしは神なのですよ? あなたたち下等極まる人間とは肉体の機能美(スペック)そのものが天と地ほども違うのです。同列視されるなど甚だ迷惑で無礼千万なのです」


 ふんすと鼻息を荒くして得意気に露わになった双丘を張る神に、朧は肩を怒らせてはだけた浴衣を直す。


「そういう問題じゃないでしょう! 女性が人前でそんな風に肌を晒すだなんてはしたない!」


 浴衣を整えながら叱り飛ばす朧に、アフリマンは心底蔑んだ目を向けるや鼻で笑った。


「何をのたまうかと思えば……過日、素っ裸で我が主に子作りを迫ったハレンチ姫とは思えない殊勝さなのです~~♪」


「なっ! あ、あれは……状況的に不可抗力と言うか……っ!」


 赤面して反論するが、アフリマンは容赦なく口元をにやけさせた不快な面を至近距離(アップ)にして愉快気に舌を回す。


「ほお? 処女を差し上げますなどとと口走ったのは、その場の勢いであったと?」


「あ・な・た・ねぇ~~~~ッ!!」


 麗しい美貌に青筋をいくつも作る朧に対して、悪神は呆れたと言わんばかりに腰に両手をついて、あからさまな嘆息をついてみせる。


「まったく、少しはおぼこ娘から卒業したと思いきや、恋敵(ライバル)のひとりや二人が現れた程度でこの体たらくなのですか? おまけに窮地をも救われる羽目になるとは……恥を知りなさいなのです」


「なっ!? あ、あなたね――」


 突然の罵倒に朧も激昂気味に食ってかかるが、それより前に冷然とした声が機先を制した。


「言ったはずです。ユキナガにはこれから嫁候補があまた現れると。むしろこの程度はさざ波程度。にも拘わらず、我が王の正妃を目指そうという者がこれしきのことで出遅れてどうするのです」


「っ!」


 返す言葉もなかった。


 さらにアフリマンは首を左右に振り拳までも振り上げて、淡々と重々しい事実を羅列する。


「ましてや、サクヤという女はオボロよりも数段以上も有利な立ち位置(アドバンテージ)を誇っているという自覚を持ちなさいです。ユキナガと両想いということに甘えていては一歩も前に進まぬばかりか、周りの有象無象によって勝手に話を進められ固められて、トンビに油揚げなんてことにもなりかねません」


 ありえない話じゃない……というより大いにありえる。


 この国難を機に同盟をより強固なものとするために両家の家臣たちが、兄と咲夜の婚姻を後押しするというのは十二分に考えられる。要するに今回持ち上がった自分と尊昶(たかあきら)の縁談の場合と同じなのだ。


 そうなればどう足掻いても覆しようがない。当主たる父にしても拒絶する理由がないのだから……。


 その思考を読んだようにアフリマンは再度指を突き付けてきた。


「なればこそ、より確固たる既成事実を作っておしまいなのです! あの女がどう足掻いても入り込む余地が一切ない絆を今こそ結ぶので――すぅっ!?」


 どこまでも口がさない魔神の両頬を引っ張る。


 よりにもよって大樹の膝元で何をのたまってくれるのか……!


「あ・な・た・ねぇ……! 本当に私と兄様の関係が禁忌で秘密だって自覚があるの?」


 色を失くした双眸とドスの利いた声音で詰め寄り改めて誓う。


 ――やっぱり、この奔放すぎる魔神はしっかりと手綱を握らなきゃ駄目だわ! 放置してたら、所かまわずどれほど際どいことを口走られるかわかったものじゃないわ……! だけど――


 アフリマンの頬から手を放すと決然とした光を宿した瞳で尻餅をついて「ふぎゃっ」と呻く悪神を見据える。


「礼を言うわ。確かに……今の幸せに甘えて悠長に事を構えすぎたのかも知れない。そういう油断があったことは認める。けれど――」


 豊かな胸に右手を添えて、地にしっかりと足を踏みしめる。


「あなたに言われるまでもなく、私は、どこの誰とも知れない"天"なんてものにはもう絶対に屈しない! 誰を愛するかは、他ならぬ私が決める!!」


 鬼神の姫の宣誓に悪業の魔神はいつもの冷淡な面の口角をニヤリと上げてみせる。


「その言葉が聞きたかったのです。我が王の条件は、断固として譲れぬ絶対的な"自我(エゴ)"を内包する者――その伴侶とて然りなのです」


 満足気に露わとなってる胸を張り再度鼻から荒い息を得意気に吐き出す魔神。


「それはそうと浴衣はちゃんと着なさい……」


 朧もまた再度はだけたままの襟を直してやる。


「む~~! 子供扱いしすぎなのですよ。わたしは“神”なのですよ?」


「だったらもっと神様らしくしたら?」


 呆れた視線を向ける。それに悪神は心外だとばかりに目を吊り上げる。


「わたしの振る舞いこそが神の振る舞いなのです。無礼ですよ。ふんだ。もういいです。わたしは人間どもの供物をいただいてくるのですよ」


 好き放題に言うとその姿を消した。


 おそらく、また台所へ食と酒を無心に行ったのだろう。


「まったく、あの娘ったら……! 神と言いながらやってることがまるっきり子供じゃない……」


 後で菊乃(きくの)に詫びねばならないだろう。



 その時だ。



「えっえええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっッ!?」


 


「っ! この声……咲夜?」


 突然に響いた親友の叫喚にびっくりしながらも首を傾げる。


 咲夜は大人しく凛とした佇まいの姫君だ。それがこんなあからさまに大声を上げるなんて無作法をするなんて……?


 そう思って縁側から(たち)の中へと入ると、右の回廊に咲夜とその母・菊乃の姿があった。


 ――菊乃様? あのようなところで何を――


 少し気にかかり、無作法も無作法と承知ながら気配を消し聞き耳を立てずにはおれなかった。

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