第伍章 凶神咆哮 終 災禍の後に
黄泉津大神の断末魔を見届けた途端、樰永と朧は大の字になって倒れた。
「……どうにかなったな」
「ええ……」
兄妹は、息も絶え絶えで見るからに疲労困憊の体だった。
「朧、身体は大丈夫か?」
「はい。邪神が消えたせいなのか、私の中の天魔も落ち着いている感じです」
胸に手を当てながら答える愛妹に、樰永は深く安堵しようやく息をついた。
だが、そんな余韻を裂くようにアフリマンが言った。
『二人とも、一息ついているところ申し訳ないのですが……あまり喜んではいられぬのです』
「それどういう意味だよ?」
何の気もなく問い返すと、あまりにも衝撃的な一言がぶん投げられた。
『……黄泉比良坂の穴はまだ完全に閉じてはいないのです』
瞬間――寝転がっていた兄妹は勢いよく起き上がり、同じく地上に降りていたリュカやシャリネたちも物凄い形相で身を乗り出し、異口同音に叫ぶ。
『はっ!?』
「そ、それはどういうことだ!? 俺たちは奴はもちろん、穴だって完全に燃やし尽くしたはずだ!」
樰永の疑問に答えたのは、アイアコスだった。
「どうやら事はそれで終わりとはいかなかったということだろう。見てみろ」
そう言って、ちょうど大極殿が建っていた大きな窪地まで歩んでいき、ほぼ中心地にある宙を指差した。
最初こそ皆は何のことだとばかりに首を傾げていたが、やがて樰永と朧は人並外れた視覚でそれを認識した瞬間、息を呑むのを禁じ得なかった。
アイアコスが指摘したソコには、指先ほどのそれこそ極小の針ほどの歪みが確かに存在していたのである。
「そんな……! 私たちは仕損じてしまったのですか!」
朧が悲鳴に近い声で呻くと、アフリマンは否と答える。
『いいえ。ただそれ以上に現世に空いてしまった傷があまりにも深かったということでしょう。元より、現世と冥府を隔てる穴は一朝一夕では完全には塞がりません。今できる手立てとしては、術者の者たちにここを厳重に封印してもらう他術がありませんが……』
「まったく儘ならんな、つくづく……」
樰永も顔を深い憂慮に染め嘆息をつく他なかった。
「若ー! ご無事でござるか!?」
「おーい! 生きてるかガキども!」
「お師匠さまー!」
「伯爵……!」
啓益が勢いよく駆けて来る。その後ろで永久は酒入り瓢箪を担いで悠々と歩んでくる。ユリアは元気よくころころと師の元へ走り寄り、レイヴンはそれに並走している。
「叔母上、啓益! そっちも無事だったか……」
「二人ともお怪我はありませんか?」
叔母と近習の姿を視認した二人は顔をほころばせる。だが、駆け寄ってきた啓益の顔は血の気が引いて切羽詰まったものだったことから眉をひそめた。
「それどころではござらん! 若、芦藏が!」
突如発せられた宿敵の名に、樰永と朧も顔を自然と強張らせる。
「芦藏? 今更芦藏がどうしたんだ」
「今更どうしたも何も――お出ましだよ」
甥の疑問に、永久はどこか自棄を含んだ嘆息をついた。
一方、アイアコスたちも……。
ユリアが師の胸元に飛び込んで無事を喜んだ。
「お師匠さま、ご無事で何よりです!」
「ああ、おまえたちもな。ご苦労だったレイヴン。それで市街地の被害はどうなっている?」
アイアコスもそんな愛弟子を優しく抱き締め返しながら、レイヴンに状況確認を求めるのだが、腹心の家臣の口から出た言葉は予想外に過ぎるものだった。
「はい。幸い避難誘導が無事にすみ、市街地の町自体にも大きな被害はありませんでした。ですが先刻、何者かの軍勢が上洛致しました。その数四万――」
『っ!?』
二陣営からいっせいに凍るような声が漏れる。
ようやく邪神を討伐したと思った矢先にもたらされた凶報とも言える報せに、樰永は冷静な面持ちで啓益に訊ねる。
「確かか?」
「はっ! 遠目にも、篝火の火で照らされた貴奴らの黒い曼珠沙華の家門が刻まれた旗が確と視認でき申した!」
樰永は、内心で舌打ちしながら頭がいくつもの疑問に埋め尽くされた。
――よりにもよって、この時機でだと! しかも、こんな深夜に進軍とは!? それも四万なんて軍勢で!! そもそも目的は何だ!?
しかし、その内心で燻ぶらせた疑問の数々に答えるように、
「心配あらへん。奴らは俺が呼んだ」
その声に皆が目を向けると、またもいっせいに度肝を抜く声が木魂する。
その数々の視線の先には、黒衣の束帯に烏帽子という公卿の出で立ち。なにより顔前面をおおい隠した梵字が編まれた特徴的な長い白布の男が立っていた。
「四条院忠遠……!?」
いつにない呻き声でその名を口にする樰永に対し、異相の公卿は白布の下で高慢に鼻を鳴らした。
「"公"を下に付けんかい。俺は俺で是叡のことを調べとった。それで内密に芦藏にいつでも兵を動かせるよう話を付けてたんや」
「そ、そのような密約が……!?」
啓益が信じられない面持ちで驚愕の声を出すのに対し、忠遠は有無を言わさぬ声で宣言した。
「邪神の討伐はご苦労やった。けどここから先は、この五大摂権家、四条院家当主にして従二位内大臣たる四条院忠遠がすべてを取り仕切る。ええな」
樰永は歯軋りを禁じ得なかった。
自分たちの眼前で、威丈高かつ傲岸に宣言する内府は、間違いなく布の下で口角を勝ち誇るがごとく上げているだろうことを確信していた。




