第伍章 凶神咆哮 八 一所懸命
アイアコスは大剣を両手で握り天へと翳す。すると、刀身の切っ先を中心に魔法陣が展開される。
『確かに、私の魔道は空間を操る術……このように空間を渡って不意打ちも可能だ。姑息卑怯と謗られれば、それまでかも知れん。だが、それが神髄だと思うのは甚だ勘違いだ。見るがいい禍神よ。神髄とはこういうことを言うのだ!』
さらに魔法陣が幾重にも分裂する。それを視認した邪神は、全身の産毛が逆立つほどの悪寒を本能的に感じた。
だが、すべてはもう遅い。既に爪痕はつけた。詰めは揺るがない。
アイアコスは剣と姿勢を真っ直ぐに構える。西界における八相の構えに相当するフォム・ダッハだ。
『神速の爪痕にて割断する――セルヴァス流剣術・奥義初伝【神疾風の爪痕】改伝』
再生をはじめていたはずの邪神の傷痕から不規則な風の流れが巻き起こり、周囲の空間が揺らぎズレはじめる。
そう認識した時には、既にアイアコスは背後に立っており剣を地に立てていた。
『【神疾風の断裂】――』
瞬間――邪神の身体ごと空間が割れた。ひっつきかけた四散した身体が再び割断された挙句、再生がまるではじまらない。
先刻と変わらず神気を取りこみ続けているにも拘わらずだ。
その理由を邪神はすぐに悟った。
――我を空間ごと引き裂いた!? 再生しようにも四散した部位が、割断され分かたれた空間に閉じ込められて……! 裂かれた部位を引き寄せられぬ!
それを眷属を狩りながら見ていた、リュカが得意気に笑む。
――神疾風の爪痕……速さに特化した我らがセルヴァス流剣術の中でも連撃の極致ともいえる奥義。
――本来は速すぎる剣戟によって生まれる真空の刃でズタズタにする技なわけだが、カイはそれに己の空間断裂を掛け合わせ、負わせた傷を割断し分けた空間に封じこめることで、いかなる回復術も受けつけぬ不死殺しの刃へと昇華させた。
リュカは笑みを深くして我が事のごとく誇らし気に断言する。
――神と言えど逃れ得る術などあるものか。やはり、カイ。おまえこそがセルヴァス史上……否! セフィロト史上最強の騎士だ!!
とは言え――
しかし、そこで不意に不機嫌な面になって、後ろに迫り来ていた大蛇の首を、赤紫の刀身を持つ大太刀で一刀両断しながら。
「よりにもよって、ズボラ姉とクソ兄貴の名前を掛け合わせて付けてるのは気に入らんがな……!」
と、吐き捨て愛刀の柄頭を指で軽く叩く。すると、首を断たれた大蛇の血が爆ぜて屍が塵ひとつ残さず四散した。
「小賢しい羽虫が……! これとて無駄な足掻きだと何故わからぬかッ。貴様が割断した空間もやがては星の修正力で元に戻る。さすれば、我はまたこの身を十全へと戻すだけのことよ」
邪神は歯軋りしながらも、冷静な思考能力と判断力でそう結論し豪語する。
だが、それに竜の騎士が返したのは呆れまじりの冷笑だった。
『そちらこそ随分と悠長な算段だな。それを私たちが黙って見ているとでも? それに、誰が私が止め役などと言った?』
その言葉に邪神は首を傾げたが、すぐに自らに啖呵を切った小僧とその妹の存在を思い出した。
しょせんは、刻鎧神威の力をまるで扱いきれていない雑魚どもと認識していたし、何より眼前にこうして完全な刻神で向かって来る羽虫がいた故、完全に視界の外に置いていた。
そう言えば今更ながら、あの兄妹はどこへ消えた? 己やこの男の戦いに怖気づき、とっとと尻尾を巻いて逃げ出したのだろうか?
そんな考えは、全身に突如として奔った怖気と異変に吹っ飛ばされた。
――な、なんだ、これは!?
空間ごと四散した身体が透けるほどに薄まり、輪郭すらもぼやけはじめたことに、さすがの邪神も混乱する。
そして、ハッとなって己の存在を地上に繋ぎ止め支えている、足下の黄泉比良坂の穴に視線をやると、歯牙にもかけていなかった兄妹が、神威を宿したそれぞれの得物を穴に突き刺している姿が眼に映った。
二色の焔によって穴は徐々に塞がれはじめている。
「っ!? 貴様らぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァッ!!」
今までにない赫怒の咆哮を上げる邪神に、樰永は今日一番の不敵な笑みを広げる。
「文字通り足下がお留守だぜ、神様!!」
「この千載一遇の好機! 決して逃しません!!」
朧も不退転の覚悟を双眸に宿し、天魔の蒼焔を宿した愛刀を握る手を一切緩めまいと歯を食いしばり、今にも崩れ落ちそうな足に力を入れ踏ん張る。
『ユキナガ! オボロ! 今この時こそが大一番! ぶっちゃけた話が正念場なのですよ! もはや邪神は自らを守る術すらないのです! 仮面野郎が作り上げたこの好機、一気に畳みかけるのです―――!!』
アフリマンもここぞとばかりに主たちを叱咤激励し、自らも濡れ羽色の焔で穴を喰らわんと、これまで以上の神気を樰永へと注ぐ。
「言われるまでもねぇ!」
「ええ! ここで私たちのすべてを!」
だが、当然ながらこのまま黙っている邪神ではなかった。
「守る術すらないだと? ――舐めるな下郎」
心底侮蔑しきった声で吐き捨てるのと同時に、四散した邪神の身体から、これまで以上に禍々しい神気が、巨大な女性のような確かな輪郭を象って放出される。
これに真っ先に仰天したのは、アフリマンだ。
『なっ!? 正気でいやがりますか! この世界で、神が剥き出しの魂魄で現出するなど自殺行為なのですよ!!』
それに、邪神は忌々し気に吐き捨てる。
『で、あろうよ……! 今この時ですら警告という名の拒絶反応が、この魂魄を否応なく苛んでおるわ。されど、それ以上に貴様ら風情に、我が抜き身の御魂を晒す羽目になろうなどと……! いまだかつて、かような屈辱と凌辱は、あの二人……磐余零犰那王と鬼無驅王からも受けておらぬ!!』
突如、邪神が怒声とともに発した名前に、樰永は首を傾げた。
――磐余零犰那王? 倭蜃国と王家を興した初代国王じゃねぇか。それがかつてこいつと戦ったのか? だが、鬼無驅王とは誰だ? 歴代国王の中に、そんな名前の王はいないはずだ。
だが、事態はそれ以上の思案を許しはしなかった。
『しかし、このままではどの道我は再びこの穴蔵に戻らざるを得ぬ。まことに口惜しや! で、あれば――』
魂魄として現出した邪神の神気がさらに濃度を上げ一点へと集束していき、異常な熱量を増幅させていく。
「ま、まさか、これはさっきの!?」
樰永の怖気が奔った声に、邪神は嗤う。
『そうよ。このまま貴様ら風情に引導を渡されるくらいならば、我が魂魄と神気総てを注ぎ込んだ【黄泉礼讃】をもって、この地上の一切合切……黄泉比良坂へ道連れとしてくれようぞぉ!!』
もはや狂気しか感じぬ声に呼応するがごとく、際限なく増幅する神気が臨界点を迎える。
『いけない! こんな濃度の神気が暴発すれば、地上の九分九厘を呑み込んでしまうのです! 扶桑や釈迦の結界でも持ち堪えられません!!』
アフリマンが、普段の太々しさからは似付かわしくないほどの悲鳴に近い声をあげる。
――冗談じゃねぇ! ここまで来てすべてが終わるだと!? 天下の夢も、朧との未来までも……! ふざけるな!! そんなことで――
「諦められるはずがありません!!」
「っ!?」
そんな焦燥を吹っ飛ばすかのように隣の愛妹が叫んだ。
「こんなものために、私と兄様の夢が……未来が! 私たちの愛するものすべてが死に絶えてしまうなんてこと……絶対に認められない!!」
「っ!!」
――そうだ。俺たちの夢は、ここが終着点なんかじゃない! 始まりなんだ!!
「ああ、そうだ朧。俺たちが目指す未来はここから先にある。お終いになどさせない! 今この時こそが、俺たちの一所懸命だ!!」
「はい!!」
一所懸命――任された一か所を命を賭して守り抜く覚悟。それこそが武士の本分。
自分たちは多くの者にこの時を託された。
ならば、応えずして何のための武士かッ!!
その断固たる決意に応えるがごとく、兄妹の双眸に宿る十字架の聖印が一層に輝きを増した。




