第伍章 凶神咆哮 幕章 渇望
その頃、お惚け商人はというと……!
一条宮邸の奥座敷……。今や狂騒の渦に包まれ、至るところから悲鳴と叫喚が轟く中でここだけは雅な琵琶の音曲が場違いに奏でられている。
奏者は言うまでもなく鳴季だ。かくいうこの邸も家人たちの慌ただしい悲鳴とけたたましい足音が響いているが、この傾奇者は一切意にも介さず、撥で軽快に弦を鳴らす。
否。彼だけではない。その傍で向かい合って対面している二人も周囲の喧騒など聞こえぬかのように話し込んでいる。
「兵を貸せ、ときたか。藪から棒にずいぶんと厚かましい物言いだな、カルドゥーレ?」
元趙は、いかにも不機嫌そうに眉をひそめる。だが、その実瞳には愉しそうな色がありありとにじんでいることが、付き合いの長いカルドゥーレにはわかっていた。
「何分にも危急の事態でして。正直に申し上げて、アイアコス卿が連れて来られた兵数だけでは、民の避難誘導の手が足りぬのです」
故に、一切の遠慮もなく用件を単刀直入かつ可及的速やかに述べる。
恥気もなく厚かましい要求を突きつける商人に、元趙は皮肉気に口角を上げ「相も変わらず、食えぬ奴め……」と吐き捨てる。
「故に私の兵にもそれを手伝えと? 貸しは高くつくぞ」
嘆息とともに了承する。
「ありがとうございます」
微笑とともにお辞儀をする商人へ宦官は鼻を鳴らして笑声を漏らす。
「ふん。そなたにしてはずいぶん入れ込むものだ……。確かに、おもしろい小僧ではあった。劉家の小僧と同じ眼をしておる。気長に水をやれば、さぞ愉しい華を咲かそう。だが、らしくないな」
すると、商人の微笑に冷たいものがまじった。宦官はそれを知ってか知らずか、さらに煽るように舌を振るう。
「そなたはどこか常に他人と一線を引いた立ち位置にいる。それがどうして今回それほどにまで肩入れする? それも故国を捨て去ってまで……とはな。いったい全体どういう風の吹き回しだ?」
「…………取り戻したいものがあるのです」
「取り戻したいもの?」
首を傾げオウム返しに聞き返す宦官に、カルドゥーレはいつになく巌のごとく揺るがぬ決然とした面持ちと双眸でうなずく。
「ええ。そのために国を捨て、道を捨て、ひとを捨て、友をも捨てた。私はそのような恥知らずの男です。ですが、だからこそ……立ち止まるわけにはいかない。恥知らずを承知で生き永らえながら、それを諦めてしまえば、私は何のためにすべてを裏切らねばならなかったと言うのか……!」
その声には怨嗟と悔恨、なにより狂おしいまでの渇望が綯い交ぜとなってにじんでいた。付き合いの長い宦官も、この男のそんな声を聞くのは初めてのことだった。
商人は感情的になったことを自覚すると、すぐさま猛りを鎮め、いつもの落ち着いた声に戻し、先の問いに答える形で本題へと返った。
「あの兄妹はそれを取り戻すためのか細い希望なのです。今このようなところで断ち切られては困るのですよ。それ故に――」
「露払いを頼むと? ふん。改めて不遜なことだ。まあ、よかろう。一度吐いた言葉に二言はない。好きに使え」
すると、先程から琵琶を奏でていた鳴季が挙手をした。
「ほな、俺もあんたについて行ってえぇか、カルドゥーレはん」
「これまた……怠け者のおまえまでどういう風の吹き回しだ?」
友人の唐突な気まぐれに元趙が呆れた声音で詰問するが、鳴季は飄々とのたまう。
「どうゆう風の吹き回しも何も……言うたやろう? 俺はおもろいことが大好きなんや。なんせ、俺は生粋の遊び人やさかい。その俺の第六感がこの兄さんについてった方がおもろいことになるって叫んでんねん。それになにより――」
そこで傾奇者はデレデレした面持ちに転じる。
「あの娘、朧ちゃん言うたか? めっちゃ、かわぇぇなぁ~~! あの気が強いところといい、凛としたおっきな瞳といい、なによりあの着物越しでもわかる、たゆんたゆんな巨乳といい、めっちゃくさ好みやわ~~~! くぅ~~! こないに胸がキュンキュンするんは初めてのことやでぇ~~~!!」
先刻、カルドゥーレの使い魔を通して見た校書殿でのやり取りですっかり朧にゾッコンとなった不良公卿は、まさしく恋する乙女さながら全身をくねらせ身悶えして、無駄に長い前置きをのたまった後に結論を結ぶ。
「せやさかい。朧ちゃんが心置きなく戦えるよう俺自ら露払いをやったるわ。それに偶にゃ働かんと兄さんにどやされるさかいなぁ」
親指を立てて嬉々として協力を申し出る鳴季に、カルドゥーレも鷹揚にお辞儀をする。
「お力添え感謝いたします。ただ先のお言葉の数々は、まかり間違っても若君の前ではお口になされませぬように……。まず間違いなく首と胴が泣き別れとなりますので」
「ははは! おっかない兄ちゃん持ったなぁ、朧ちゃんも!」
釘を刺されたにも拘わらず、傾奇者はカラカラと笑うだけだった。
「いえ……。本当にシャレにならないのですがねぇ……」
さすがの商人もこの図太さには苦笑を返さざるを得なかった。
「やめておけ。こ奴には馬耳東風だ。この病は死して地の獄に落ちようとも治らぬ」
元趙も呆れ声でたしなめる。
「だって大事なことやろう?」
然も当然のようにいう鳴季。これにはカルドゥーレも諦観の溜息をつき、改めて協力を要請する。
「では、よろしくお願いいたします。鳴季卿。それでは元趙殿。ありがたく御身の兵を使わせていただきます」
そういうや踵を返して奥座敷を後にし鳴季もそれに続いた。
喧騒の最中にある邸の中でひとり残された宦官は、微笑を浮かべつつ独り言ちる。
「よもや、あ奴のあのような顔を見る日が来るとはな。どこもかしこもすこぶるつまらんと飽いていたが、なかなかどうして……足は伸ばしてみるものだな。さて、これからが見物……となってくれるかな?」
鈴を鳴らすような笑声が地獄と化した都で静かに歌う。
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