第伍章 凶神咆哮 四 真の神座王の闘法
自分たちが手も足も出なかった邪神に手痛い一撃を与えたアイアコスへ樰永と朧は、驚愕と疑問まじりの視線を向ける。
そんな兄妹へ黒鉄の騎士は嘆息まじりに諭す。
「樰永卿。妹姫は言わずもがな、貴公もいまだにアフリマンの――否、刻鎧神威の力をまるで使いこなせていないようだな。ただ器である魔剣の切れ味に振り回されているだけで、神の力をまるで使いきれていない。雑兵相手ならそれで充分だろうが、それでは神の肉は切れても骨は断てん」
「むっ。ああ……。言い訳なんぞ見苦しいが、生憎とこいつを手に入れてからゴタゴタが続いて修業する間がなかったからな」
反論のしようもない指摘に、樰永は悔しさをにじませて言うと、アイアコスは隣を飛竜に騎乗して飛空していたシャリネに声をかける。
「シャリネ、すまないが、手本を見せてやってくれ。神座王の戦いというものをな」
「はい。兄さん」
兄弟子に促され、刻鎧神威をまとわせた飛竜の手綱を引いて邪神へと向かっていく。
「あの飛竜……」
樰永はその飛竜から濃くなった神気を感じて目を瞠る。
アイアコスは、それに答えるように変形させた己の得物を見せつけるように言う。
「そう。あれこそが刻鎧神威を扱う神座王の最終形態"刻神"の一端だ。それこそが神の権能を十全に扱える最善の形。とは言え本来は神座王本人がまとうものなのだが、このように武具や騎乗物や騎乗獣にまとわせることもできる」
その言葉を裏付けるように、アイアコスが持つ剣にも同様の神気を放っていた。
「なるほど。だからあの化物も今の一撃は堪えたわけだな……」
感心したような声を上げる樰永に、アイアコスは呆れたような声音で言う。
「他人事みたいに言っているが、おまえもコツさえ掴めば、この程度すぐにでもできるようになる。もっとも、妹姫は現時点では難しいと言わざるを得ないがな……」
「っ!」
朧は不本意と言う目で睨みつけるが、反論はしなかった。それは自分でも自覚していることだからだ。
「君の中の刻鎧神威は完全に目覚めたわけではない。端的に言ってしまえば、熟睡しながら寝言を漏らした挙句に悪い寝相を晒しているようなものだ。もはや制御がどうのという以前の問題だな」
的確な論拠に返す言葉もなくうつむきかける朧だったが、それでも視線を切ることなく言いきる。
「ならば叩き起こすまでです」
「兄妹揃って口が減らないな……。呆れを通り越して感動すら覚えるよ」
これに兄妹揃って「むっ」と顔をしかめるが、甲冑の騎士は「最後まで話を聞け」となだめ、邪神へと突撃したシャリネを視線で示す。
「まずは手本を見ろと言ったろう」
シャリネの飛竜は黄昏の光をまとって滑空し、邪神を翻弄している。
邪神は穿たれた胸部がいまだに煙を上げながらも、手当たり次第に腕を槍のように突き出して捕捉しようとし、さらに頭部を丸々おおっている黒雲から雷撃すら撃ち出して仕留めようとするが、何れも紙一重でかわされ、かすりもしなかった。
「確かに、でたらめな力ですけれど、使い方もでたらめすぎて話になりませんね」
手綱を握って際どい回避を行い、時には宙返りさえやりながらも、あくまで冷静な声音で断ずる女騎士は己の刻鎧神威に命じる。
「ウシャス、小手調べはこの程度でいいでしょう。時間も差し迫っている以上、こちらからも仕掛けます!」
『賛同するわ。時間をかければかけるほど、彼女に利を与えるだけだもの』
鎧飛竜は文字通り光となって邪神に肉薄すると、光焔と烈風が螺旋状に絡まった吐息を咢から解き放ち、その身体を切り裂き燃やしていく。
おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!
邪神は甲高い悲鳴を上げて仰け反り、苦しまぎれとばかり雷撃で撃ち落とそうとするが、シャリネと鎧飛竜の周囲に光焔の障壁がいくつも展開され難なく防がれる。
「俺たちが、あれだけ斬っても堪えなかったのに……!」
樰永は、驚嘆と悔しさが入りまじった顔で眼を瞠る。
「勘違いするな。少なくとも武人としての差ではない。あくまで相性と刻鎧神威の習熟度の問題だ。だいたい刻鎧神威としての格はおまえのアフリマンの方がよっぽど優っているだろう」
「じゃあ何で、あいつの刻鎧神威の力は効くのに、アフリマンの刃が効かない?」
樰永が漠然とした疑問を口にすると、アイアコスは淡々と語る。
「あの濃度の神気を持つ相手には、より濃い神気を宿した武具や力でなければ核には届かない。さっきも言ったが、おまえの場合は放出している神気が薄すぎるんだ。」
そして、アフロディーテを宿した大剣を邪神に向けながらこう続ける。
「ただ器である武具を振るうのではなく、刻鎧神威の神気を、魂魄を、己が身に通して受け入れ一体化し、神そのものと化す。それが――」
円形状と化した刀身から光が生じ、螺旋状に絡まって投槍のごとく一直線に邪神目掛けて放射され、そのまま細身には不釣り合いな膨張した腹部を抉り貫いた。
黒い血飛沫と腸を飛散させると、そのまま上へ――黒雲におおわれた頭部まで斬りあげて、上半身を一刀両断した。
誰がどう見ても致命傷に相当する傷を負った邪神は、はじめて膝を突いて沈黙する。
「真の神座王の在るべき闘法だ」
そう締め括りながら邪神を片手間のように屈服させたアイアコスを、兄妹は畏怖の眼差しで見る。
――これが、本物の神座王の力か!!
樰永は、アフリマンを握る手に力を込めつつ彼らとの大きな差を痛感しつつも、どこか昂揚にも似た興奮を抱く。
――上等だ。そうでなくては倭蜃を一統する力なぞ望めるはずもない!
朧もまた二人の戦いを眼に焼きつけながら己を叱咤する。
――これが兄様が征こうとしている戦場……! そこへ行くには、まだ全然足りないんだ。けれど、それならなおさら止まるわけにはいかない! この力を必ず私のものにしてみせる!!
落ち込むどころか奮起に燃える兄妹を、アイアコスはしばし無言で見つめると再び口を開いた。
「二人とも士気は萎えてはいないようだな。結構。なにせまだ何も終わっていないからな」
その言葉に怪訝そうに眉をひそめる二人だったが、その理由はすぐにわかった。
膝を突いたはずの邪神が、両断された上半身を徐々に繋ぎ合わせ、おもむろに立ち上がりはじめたからだ。
「どうして!?」
朧が息を呑むのに対し、アイアコスは何でもないことのように答える。
「どうしても何もない。アレは冥府の穴から無尽蔵に神気を充電しているも同然な状態だ。多少傷を負わせたとて、時さえあれば、あっという間に塞がる」
「アフリマンから聞いちゃいたが、シャレにならん化物だな……。やはり、その冥府の穴を塞がん限りは焼け石に水か」
「その通りだ。そして、今ここにある刻鎧神威でそれに最も適しているのは、おまえのアフリマンだろう。ただし今のような使い方では話にならん。故に――」
アイアコスはひとさし指を樰永の右腕の血管へと刺し込んだ。
「な、なにをする!?」
「騒ぐな。おまえとアフリマンを繋いでいる経絡を直接干渉して広げる。あくまで一時的な措置に過ぎんが、これならば奴の骨にも届く」
その言葉通り、樰永は己の身体の深奥にあるアフリマンと繋がっている線が急激に広がり濃くなるのを理屈ではなく本能で理解した。
それを裏付けるように、アフリマンから溢れ出る神気の量と濃度が桁外れに倍増する。
一方でアフリマン自身もまた警戒の色を強めた声音で、珍しく絶句していた。
『わたしとユキナガを繋げているパスにこうも容易く干渉するとは……! この仮面野郎、刻鎧神威に対する造詣が半端ないのです。油断なりませんね……!』
そんな悪神の懸念に対し、アイアコスは淡々と言い返す。
「杞憂は無用だ、悪神の王よ。今この時、おまえたちの契約をどうこうしようなどとは思わん。第一、神座王と刻鎧神威の契約を切るなんて芸当が私ごときにできるものか。それよりもどうだ?」
アイアコスの問いに、樰永は満足そうな笑みを浮かべる。
「ああ、今までよりも近く深く濃くアフリマンの波動が手に取りようにわかる……! 産毛のひとつひとつまでもが目に浮かぶようだ……!!」
そう言いつつアフリマンの器であるシャムシールが、先刻以上に溢れ出す神気に主の赤い妖力が絡まってその形状すらも大きく変容させた。
「こ、これは……!?」
思わず朧が、目を瞠った。
兄の手に握られていた湾曲刀は、金糸の柄と金の鍔、刀身は赤玉のような光沢を放って紅く輝き、アフリマンの濡れ羽色の刺青が焔のごとく這った、大太刀の倭蜃刀へとその形状を変えていたのだ。
それを見て、呆れと感嘆が入りまじった息を吐いたのはアイアコスだった。
「清々しいまでに呆れ果てた才気だな……。切っ掛けを与えた途端に、ここまでの芸当をいきなりこなしてしまうとはな」
しかし、これに首を横へと振ったのは樰永自身だった。
「いや、おまえが切っ掛けを与えてくれたからこそだ。礼を言うぞ。次は己ひとりの力でこれを為さねば、それこそ話にならぬだろう。だが今は、この与えられた好機をありがたく使わせてもらうぞ。アフリマン、行けるか?」
『それは無用な問いです主よ。今までにないくらい力が漲っているのです。今ならば万物すら喰らえる勢いなのです! ぶっちゃけた話が準備万端なのですよ!!』
「いい返事だ。では――参る!!」
怒号とともに、紅蓮の妖力を放出して再生をはじめた邪神へと突貫する。
邪神は腕を突き出して振り払おうとするが、樰永は妖力の放出を巧みに反射させることで方向転換しかわすと、アフリマンの混沌の波動によって濡れ羽色に染まった焔の斬撃を放ち、邪神の胴を袈裟斬りにする。斜めに裂かれた傷口を濡れ羽色の焔が焼き―――否、喰い尽し邪神に苦悶の声を上げさせる。
「よし! 手応えあり!!」
喜声を上げながらも気は一切抜かず、そのまま邪神の足下へと駆ける。
しかし、邪神も然る者だった。焔に食まれながら腕を伸ばして払い落そうとする。
しかし、それはどこからともなく伸びた蔓に拘束されたことで阻止される。否、腕ばかりではない。いつの間にやら邪神の巨躯全体を鋭い棘が生い茂る蔓が絡めとり、完全に動きを阻害していた。
「要らぬ世話だったか?」
アイアコスが発光するアフロディーテの大剣を邪神に向けながら言うと、樰永は刀を邪神の足下に空いた円状の黒い闇に刺し込みながら否と叫んだ。
「いや! 礼を言うぞ!!」
濡れ羽色の焔が冥府の穴を焼き喰いはじめる。
「このまま全部喰い千切れえぇぇぇぇぇ――――ッ!!」
樰永の決死の咆哮に呼応するがごとく、アフリマンの焔が穴そのものを喰らい尽さんと、ますます燃え盛った。




