第壱章 鬼神戴冠 三 魔神超動
「兄様! 兄様、待ってください! 先刻の態度は、啓益に対しあんまりです。彼は彼なりに兄様を心配して……」
追い縋る妹の声に樰永はぶっきら棒に答える。
「……別に他意などありはしない。俺は一刻も早く西界の商人の顔とやらを拝見してみたいだけだ」
しかし、その答えに朧は樰永の前方に回り込んだ。
「嘘です。さっきは明らかに啓益を避けてました」
そうはっきりと断言され樰永は頭をかきながら苦笑を返すしかなかった。
「おまえには、ホントに敵わんなぁ……。ただ本当に意図して避けたわけじゃない。どうも昔からの条件反射というやつでな。アレにはガキの頃から散々雷を落とされたからな」
「でも、それは――」
「ああ、わかってる。あいつだってあいつなりに俺のことを気にかけてこそだってことくらい――」
――そうわかってるさ。それくらい――だからこそ俺の秘密にもおそらく薄々勘付いているだろうこともな……。
二歳上の守役である啓益とは、もう十年以上もの付き合いになる。それこそ己の何気ない癖まで看破されているくらいに……。
その上、彼自身も聡明で高い洞察力の持ち主だ。自分の朧に対する何気ない接し方だけで、そこに載せられている"想い"を察していたとしても決しておかしくはない。
――そしてそれを確信したとしたら、あいつの取る行動は、俺に自重と自戒を忠言した上で朧を俺からもっともらしい理由をつけて遠ざけることだろうな。まあ当然だ。臣下でなくても真っ当な人間ならば、俺が妹に抱いている想いは言語道断と謗られて然るべきものだからな……。
樰永は思わず自嘲めいた笑みを浮かべてしまう。
「兄様、どうかなさいましたか……?」
妹から怪訝な声をかけられ、我に返り瞬時に安心させるような笑みを取り繕う。
「なんでもない。確かにおまえがいうように、啓益の言い分ももっともだ。俺だっていつまでもフラフラしていられる御身分じゃないことは自覚しているさ。芦藏と雌雄を決する時もおそらく近いだろうしな……」
そういって朧の頭をポンポンと撫でるように叩いて先を急いだ。
――そうだ。俺には、この四五分裂した倭蜃を一枚岩にするという大望と使命がある。それを叶えるためには、こんな私情は余分なものだ。いい加減に忘れろ。
朧は兄に撫でられた頭に触れながら唇をキュッと結んでいた。
――やっぱり兄様は、いつもいつまでも私のことを子供扱いして、"妹"扱いする。それは、当然と言えば当然なのだけれど……けれど! 兄様、朧はもうそれほど子供じゃありません。
――背も兄様と釣り合うぐらいには伸びたし。む、胸だって、その……大きくなりました。ちゃんと、もう……大人の女です! そ、その気になれば赤ちゃんだって産めます――――ッ!!
と、生々しい想像をした途端に頭が一気に沸騰して爆発した。
――なななななな、なにをはしたないことを考えているの私……!?
朧は自分で明後日の方向へと思考を巡らせておきながら、その場で膝を崩して湯気が出るほど赤面した面を両手でおおった。
有り体に言えば、精神的に自滅した。
一方、突然座り込んだ妹を怪訝に思った樰永が声をかけてくる。
「おい。突然うずくまってどうした?」
「な、なんでもないでしゅ……!!」
思わず噛んだ。
その様子にますます首を傾げながらも「とりあえず急ぐぞ」と声をかけて、再び前へと進む兄の後ろ姿を、涙目で眺めながら聴きとれぬほどの声量でつぶやく。
「……………私って、やっぱり"変態"なのでしょうか……?」
大広間にて……。
上座に悠永が鎮座しており、その隣に月華が座る。
その周囲には警戒の色を宿した家臣衆が座して、下座に座る異邦人たちを睨んでいる。
「ふむ……その方らが西界からの商団か? 何処の国より参った?」
悠永は注意深く、下座の明らかに異国者とわかる服装を身に着け、紫がかった長い黒髪を後ろでまとめた耽美な顔立ちの青年を睥睨する。
それに対し、青年は柔らかな笑みで型通りの応対をする。
「はっ、『セフィロト王国』より参りましてございます。まあ、近年『セフィロト専制帝国』と国号を改めましたが。ともかくそれはさて置きまして、私は商団の代表を務めますゼファードル・カルドゥーレと申す者」
「……西界人にしてはずいぶんと我が国の言葉が達者だな」
悠永は鋭さの残る声で問うが、カルドゥーレは特に気にせず流暢な倭蜃語で、文字通り流れるようにさらりと本題へ入った。
「恐れ入ります。さて此度は、当国より持ち寄った品々を御国に献上仕りに参りましたわけでございますが、中でも目玉となる品はこれにございます……」
カルドゥーレはそう言って部下に布に包んだ長物を取りださせる。
「それは……?」
悠永が怪訝な声で問いただす。
「刻鎧神威……にございます」
カルドゥーレがそう言って布を取り払うと、金の拵えにわずかに曲がった白銀に輝く細身の片刃刀がおびただしい鎖でがんじがらめにされた上、数え切れない札が貼られた状態で顕れた。
「……っ!?」
――な、何だこれは……!?
ソレを見た瞬間、悠永は心の臓が凍りつくような心地となった。
それほどに"コレ"は『異質』だった……!
隣の月華もまた、普段は柔和な顔を緊張と畏怖で強張らせている。
「いかがでしょうか?」
しかしカルドゥーレは、そんな様子なぞ知らぬとばかりに涼やかな笑みを浮かべるばかりだ。
その笑みに何か不気味なものを感じた悠永はさらに問い質した。
「……カルドゥーレよ。これはいったい何だ?」
「何と申されましても『刻鎧神威』と申し上げました。名は『アフリマン』……」
だが、悠永はその営業用の笑顔に騙されることはなかった。
無論、悠永とて『刻鎧神威』の存在は知っている。神の魂魄と権能を宿せし無窮の神器。
しかし、コレから溢れかえるほどの神気以上の禍々しさは――!
「恍けるな。この鎖に札は封印のためのものであろう? 即ち封じねばならぬほど手に負えぬ何かだということだ」
「ふむ。流石は、倭蜃国でも名を馳せた武将であられますな。卓越した審美眼をお持ちになる」
嘯くカルドゥーレに対し、悠永は毅然と答える。
「はぐらかしても無駄だ。確かにお主が持ってきたコレは数ある刻鎧神威の中でも強大に過ぎる力は持っているのだろう。だがそれだけではない何かがコレにはある。否、ありすぎる……!」
「ほぉ……」
――いやはやまったく、この御仁、本当に勘がよすぎる……。これはもう商談不成立ですかね。
カルドゥーレはそう思案しながらも商談を続けるべく喰らいつく。
「しかし御家もそれほど余裕はあらせられないのでは? 既に長年の宿敵たる芦藏家が刻鎧神威を得ている現状では、一刻も早く対抗できる力を得ることこそが必須かつ急務なはず……」
「っ!」
――こ奴……! 西界人ながら、我が国でいったいどれほどの情報網を……!!
異国人離れした情報力に舌を巻きながらも、悠永は首を縦には降らない。
「過ぎたる力は禍を為す。そもそも刻鎧神威とは比喩ではなく真実、自らの意思で扱う主を選ぶという……。仮にわしが買い取ったところで必ず使えるというわけではあるまい」
悠永の指摘に、カルドゥーレもあっさりと認めた。
「まあ、それは確かに。加えて申せば、このアフリマンは数ある刻鎧神威の中でも一度も主を選ばなかったばかりか、その力を望み選定に挑戦した者達を、ひとり残らず身も魂すらも喰い尽くしてしまったという獰猛な悪食でございまして……」
その言葉に、家臣衆たちは何れも騒然となり、中には敵意を向ける者も現れはじめる。
「ちょっ! カルドゥーレ卿!?」
部下達も主のあけっぴろげな言動に顔面蒼白となるが、カルドゥーレはそれら一切を無視して、大仰な身振り手振りで宣伝するがごとく口上を続ける。
「しかし、コレにはそれだけの危険を払うだけの価値がございます! 確かに選定に弾かれれば死をも超えた存在の消失……。されど選定に克てば、長年の敵にも抗し得る力を――否! 天下を掌握せしめる強大な力を手にできる!! 皆様の切羽詰まった情勢を鑑みれば、お安い買い物でしょう?」
「見解の相違だな商人。ひとの命は貨幣とは違う。まして賭博に軽々しく扱う命など存在せぬ」
悠永は静かな怒気を込めた声を浴びせるが、カルドゥーレは涼しい顔で受け流し首を傾げる。
「おや? 武家のご当主とも思えぬお言葉ですな。元より戦場では、命など散財するだけの産物ですよ」
「否。我ら武士は命を安売りしているわけではない。常に明日へと生き繋ぐために命を懸けるのだ」
「ふむ。物は言いようですな」
「ともかく……我らはこれを買い取るつもりはない。下げてもら――」
「父上、お呼びですか」
悠永の言葉は途中で止まった。悩みの種である愚息が迎えに行った朧をともなって入ってきたのだ。
「遅いぞ樰永! それに朧、大義であった。そこに――」
悠永が咎める言葉は最後まで続かなかった。
何故なら、樰永と朧が大広間に入った瞬間に鎖に絡めとられた刻鎧神威が独りでに動きはじめたのだ。
それを見てカルドゥーレも目を見張る。
「なんと……!」
一方、入ってきた樰永もそれを見たが異様な気持ちを抱いていた……。
――なんだ、この刀は……!? まるで体中に刃を突き立てられているような圧迫感を感じる……!!
そして刀の刃は白銀から禍々しいまでの漆黒へ変わったと思うと、そこからおびただしい触手が現れ封印の鎖と札をいとも容易く破壊してしまった!
「っ!? 封印を自ら……!」
そして永らくの封印から解放された刻鎧神威――『アフリマン』はその触手を樰永へと走らせる!
「兄様!?」
「手を出すな朧!」
朧は兄の前に出ようとするが、樰永は怒声に近い声で制止し伸びてきた触手をそのまま受け入れる。
「樰永くん!」
「待て月華!」
月華が息子の元へ飛び出そうとするのを、悠永がすかさず制する。
その一方で、樰永は――
「っぅ!!?」
瞬く間に触手によって絡めとられ意識が暗転した――