第肆章 神座王集う 間章 お忍びの御曹司
一方、予想外すぎる邂逅に狼狽していたのは、樰永たちばかりではなかった。
「まさか、このようなところで神座王に会おうとは……」
先刻の少年は、人通りを抜けて狭い路地へ逃れて一息をついていた。その口調は先刻のような扶桑言葉ではなく東言葉になっている。
「もっともこの扶桑に近づいている気配は察していたが、よもやこのような場所で鉢合うとはな。むこうも想定外ではあったようだが……」
思案するように顎を撫で、先刻の神座王から感じた異質な気配に今更ながら慄いていた。
――それにしても何なのだ、あの神気は? これまで見た刻鎧神威の中でも桁外れに極上のものであることは間違いない。だが、この理屈では説明がつかぬ恐怖はどういうわけなのだ?
しかしその思考は、浮浪者の風体をした歳にしてはかなり大柄な老人が、いかにも酔ったような素振りで絡み、小声で話しかけてきたことで中断された。
「若……! 探しましたぞ」
「爺!? すまぬ。どうしても扶桑の都をこの眼で見定めたかったが故」
少年は申し訳なさをにじませた声で詫びるが、老人は呆れ半分怒り半分という声で主である少年に物申した。
「そのお言葉を聞くのもこれでいったい何度目になるのやら……! 市井をつぶさに見ようという心構えは結構。されども御身は、我らが主家の総領息子たる自覚が足りませぬ! ましてや、ここは魔都の悪名高き扶桑京にございまするぞ! 万一のことでもあれば、一族郎党はどうなります!? この爺の腹を切るだけではとても償いきれませぬ!!」
「すまぬ。申し開き様もない……」
矢継ぎ早に説教を繰り出す老人に少年は素直に再度詫びた。
「しかし、爺よ。声が少し大きい」
その指摘に老人もハッとなって慌てて口を噤んだ。
「も、申し訳ございませぬ……。されど若もどうかご自重くだされ。若にもしものことがあれば、御館様にも申し訳が立ちませぬ故」
「ああ。そうだな。今後は少し自重するよ。先刻も同じ神座王と鉢合わせするなんて羽目になったばかりだしな」
そう口を滑らせしまったと思った時には、もう手遅れだった。
「なんですとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ―――――ッッ!?」
「しっ! だから、声が大きいぞ爺!」
「ほら言わぬことではないではありませぬか! 五大摂権家が何やら企てている昨今! どのような魑魅魍魎どもが蠢いているか知れたものではない故、くれぐれも軽挙妄動はお控えあれと――――ッ!!」
「わかった! わかったから! 声が大きいッ!」
そうたしなめながらも自身も声が大きくなってることに気づき、咳払いしてから老臣をなだめた。
「爺。確かに迂闊にすぎたことは否定しない。だが、どうもむこうも俺と出くわしたのは完全に想定外であったらしい。それに俺の正体を悟らせるような下手は決して……」
「当然でございます!!」
その釈明を老臣は怒声でもって返す。
しかし、そんな彼を第三者の穏やかな声がなだめた。
『それくらいで赦しておあげなさい、ご老体。主も悪気があったわけではないし。そもそも今回のことは軽率というよりは間が悪すぎただけなのだから』
その声は少年の懐の中から発せられたものだ。だが、少年も老臣もそれを不思議には思わず、むしろ当たり前のように受け入れ応酬する。
「しかしですな! というより御身がついていながら……!!」
『私の気配は完全に絶っていた。それはあちらの刻鎧神威も同様であったのだろうが、如何せん。主同士があのように直接触れ合えば、気配を断つことに特化した刻鎧神威ならばいざ知らず、我ら程度の気配遮断では瞬く間に弾け飛んでしまう』
老臣の糾弾にも声は穏やかに釈明し受け流した。
「何はともあれ厄介極まりないことになり申した。この老骨としては、若君にはこのような魔都から早々に立ち去り、国にお帰りになっていただきたいというのが本音ではありまするが、生憎とそれすら儘なりませぬ」
苦々しく息を吐く老臣に、少年は怪訝な面持ちとなったが、すぐに察したとばかり嘆息した。
「また摂権殿下の無理難題か」
「左様にございまする。なんでも西界からの使者の案内をせよと――」
「案内? それも西界人を」
「はっ。大方は監視役ということでしょうが。是叡公め。大殿の名代で参内された若を何だと思っておられるのか。これでは小間使いも同然ではありませぬか……!」
「そう怒るな。我が国で異人が好き勝手に動き回られることを憂いておいでなのだろう。それもまた必要なお役目ぞ」
少年は苦笑しつつそうたしなめる。
「はてさて、あの狐にそのような殊勝な心掛けがあるかどうか、甚だ疑問ではありまするがな。しかし、若の申されることにも一理あるのは事実。いたし方ない仕儀ということですか……」
老臣も渋々という声音で認める。
「うむ。公家方の思惑はどうあれ異国の脅威から民草を守ることに繋がるならば、我ら武家の本分と矛盾することは何らない」
――とは言え、摂権殿下の真意は言うに及ばず、その西界からの使者の思惑が気に懸かるがな……。このような極東の国に何の目的で訪れたというのか。
少年は碧の瞳を怪訝に曇らせる。しかし次の瞬間には、表情をキッと引き締め老臣を促した。
「では行こうか爺」
「はっ!」
路地をさらに進む中で、少年は先刻の出来事の中で助けた少女に想いを馳せていた。
――あの女子……とても真っ直ぐで澄んだ眼をしていたな。それに何よりも――
美しかったと思いかけて、すぐに頭を振って雑念を振り払った。
――しっかりしろ! 今はそんなことを考えている時ではないだろう! 今は眼前の難事に取り組むべき時だ。それこそが殯束家の次期総領たる、この殯束尊昶の使命なのだから。




