第参章 鬼神相愛 七 告白
法力の放出による自爆は周囲の木々を吹き飛ばし、敷石を抉って湯を蒸発させるほどの爪痕を刻んでいた。
樰永が意識を取り戻したのは、蒸発したことですり鉢状と化した温泉の中だった。
自爆を察した樰永はとっさに朧を庇い、さらにアフリマンが守護結界を施したことで事無きを得たのだ。
「……っ! 朧! 無事か!? 朧っ!」
樰永は先の爆発で数瞬気を失っていたが、気がつくととっさに庇うべく抱きしめた妹を気にかける。
「っ……に、兄様?」
朧も同じく気を失っていたが、揺り起こされたことで閉じていた瞼をおもむろに開いた。
「良かった! どこにも怪我はないか!?」
樰永は、喜色と憂いがまじった声で訊ねるのだが……。
「は、はい。それは大丈夫なのですけれど……。その……」
愛妹は華のごとき美貌を一面朱に染めあげて、モジモジとした仕草で言い淀む。
それを樰永は不信に思い口を開こうとしたところで、今更のように気づいた。
そう当然ながら自分たちは裸だ。
それが今、自分が妹に覆い被さった体勢になっている。それも肌を完全に密着した形で……!
「っ……!!?」
結果、胸板が二つの豊かで弾力のある柔らかな凶器を押し潰している上に、下の方も完全に重なってしまっていたのだった。
樰永がまずいと思った時には、もう腰の中心のモノに血と熱が集まってせり上がり隆起していくのを、否応なしに感じた。
朧も当然ながらそれを感じて、いっそうに顔の朱を濃くした上、目尻に涙を浮かべて口をパクパクさせている。
「ににににに、兄様……!? その、あの……!!」
完全に頭が沸騰している様子だ。とは言え、それは樰永も同じだった。
否、それ以上に余裕がなかった。
なにしろ、長年夢にまで見た最愛の妹の柔肌が眼前にあるばかりか、今全身をもってそれを体感し堪能している。
その事実に、想像を超えた歓喜と興奮で今にも唯でさえか細い理性の糸が今にもはち切れそうなのだから……!!
――まずい。まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいっ!! いくらなんでも、これはまずすぎるにもほどがある!! 妹の裸体を押し倒して密着した挙句に欲情してるって、俺はどこの変態だ!? どこのクズだ!? どこのカスなんだっ!? こんなの明らかに終わっただろ!!
と、思考が盛大に空回っていた。
しかし、理性の一欠けらを懸命にかき集め、落ち着けと自らに根気よく命じた。
――ひとまず、朧から離れるんだ。うん、そうしよう! それがいい!!
と、すぐさま朧の身体から離れようとするのだが――
ヒシっ。
そんな音とともに、樰永は自分の背中が朧の細腕でしっかりと抱き締められたのを感じた。
「…………えっ――と、朧さん? なんの真似ですか、これは?」
樰永は想定外すぎる事態に、淡々とした声で、おまけに思わず意味不明な敬語口調になって妹に問い質す。
そして、朧の答えはというと……。
「……いいです。私、兄様にならいいです」
――何がっ!?
樰永は思わず心中で問い返した。
そして、どうにか平静を装った声で愛妹に言い聞かせる。
「お、朧、あんまり兄をおちょくるようなことを……! に、似合わねぇぞ……!」
「――おっちょくってなんかいません。兄様、どうか私の身体を全身で感じてください。私……もう子供なんかじゃありません。胸だって大きくなったし、自分で言うのもなんですが、体つきだって悪くないと思いますし……。こうして堪能してくださってる通り、触り心地だって申し分ないと思いますっ。だから、ちゃんともう……大人の女ですっ!!」
兄の言葉を遮るように一気に捲し立てる朧に、樰永はますます立つ瀬がなくなった。
なにしろ、それらは言われるまでもなく樰永自身が体感し実感していることなのだ。
何より、腰のものがすっかり滾って雄弁に愛妹の出張を肯定してしまっている。
だが、それでも樰永は一握りの理性を振り絞って朧に言い聞かせんと口を開く。
「いや、朧。だからな――」
「兄様はずるいですっ!!」
「ず、ずるい?」
思ってもいなかった糾弾に、樰永も目を丸くした。
「そうです。いつもいつもご自分だけ言いたいことを言って、私の言葉には耳も貸してくださらない。いつもいつも子供扱いしては、はぐらかしてばかり!」
「うっ……! そ、それは――」
突然、かなり手痛い点を指摘され言葉に窮した。
その機を逃さぬとばかり、朧はさらに畳みかける。
「だから、今度は兄様が私の言葉を聞く番です。兄様、私だって先日言った、あなたの傍にいたいというのは、家族だからとか兄だからとかではありません!」
「っ!」
その言葉に、樰永の心の臓が高鳴った。
「ずっと兄様の背を追っていました。兄様の視線を追っていました。追って追って追って、追いつきたかったのは、兄様の隣で同じ疾さで駆けたかったからです!」
だから、琴や笛に舞、華道といった女としての嗜みだけでなく、剣技や柔術に兵法、政まで必死に学んだ。
女だてらと謗られても一向に構わなかった。
だって私が欲しい物は唯ひとつだけ、このヒトだけだから……!!
「私だって同じです。私にとっても兄様は、何物にも代えることなんてできない唯ひとりの最愛なのです!!」
「朧っ、おまえ……!」
樰永は、どこか呆然とした面持ちで泣き腫らしながら思いの丈を叫ぶ妹を至近の距離で見る。
――ごめんなさい、母様。やっぱり私の気持ちはあの時から何ひとつ変わりません。
「ずっと、子供の頃から夢見てきたんです。兄様の唯ひとりになれる日を……! けれど、そんな時が来るわけがないとずっと諦めていました。だって、それは絶対に赦されないことだから……! でも、でも!!」
――もう、気づかない振りなんてできない。
そう叫ぶや、細腕を兄の首に回して自分により引き寄せて、その唇を己のそれで奪った。
「……っ!!」
唇を離した後、朧は紅潮した美貌を泣き腫らしたままさらに叫んだ。
「諦められるはずがありません!! だって、ずっと、ずっと、ずっと! 兄様の花嫁になることが夢だったんだから――!!」
「――――」
もう、それで限界だった。
樰永は、今度は自分が泣きじゃくる妹の身体を強く抱きしめ、その唇を今度は自分から奪った。
「―――ッ!? ―――ん」
息を呑む朧。だが拒みはしない。それどころか舌すら入れて受け入れた。
対する樰永も舌を挿入したことで、互いに貪り尽くすように啄み合う。
「ぷは……! 兄様……」
朧は、赤みが差したうっとりとした顔で兄を見つめる。
「諦められるはずがない……? それは俺こそだ。俺が、今まで何度おまえのことを振り切ろうとしたと思う? 片手どころか両手でだって数えきれない! その度に心が軋んで引き裂かれそうになったんだ!!」
最初こそ朧は兄が何を言ってるのかわからず呆然としたが、痺れた脳にその意味が浸透し始めると、口元を手で覆い、喜びの涙を溢れ出させる。
「おまえが成人の儀に着た打掛だって、本当はかわいくて綺麗でたまらなかった。でもそれ以上に、その姿が俺以外の男の物になることが、とてもたまらなく嫌だったんだ! 義正に頼んで遊郭に行ったのだって、おまえを振り切るためだった……。でも駄目だった。結局はおまえじゃなきゃ何の意味もないって、思い知らされただけだったんだ。だから――」
樰永は朧を抱き締める力を強くした。もう絶対に離さないとばかりに。
「取り繕うことはもうやめにする。こんな真似をしておいて今更なんだが、いやだからこそ言うぞ。朧、俺は"男"としておまえのことが好きだ。"女"として愛している。おまえの眼、唇、身体、指の先、髪の一筋、心の臓、流れている血の一滴、魂魄に至るまで、どこの誰にも渡さぬ。すべて俺のものだ! 天に叛くことになっても、この想いにだけは叛けない……!!」
今まで"兄"という枷でせき止めてきた、狂おしいまでの情念を決壊させる。
それは朧も同じだった。朱に染まった美貌を雫で濡らしながら再び兄と唇を合わせる。
「っ……んんッは……! 兄様……! 私、もですっ。私も兄様を殿方としてお慕い申しあげています。私も兄様のすべてを誰にも渡したくありません! その強い瞳も、唇も、身体も、強く抱き寄せてくれる腕や、優しい指まで、兄様の全部が、欲しいです……!!」
ひたむきに、真摯に、思いの丈をぶつけてくれる愛妹に、樰永はこみ上げてくるものを必死に耐えた。男として涙を見せるなど性に合わないし何より矜持と沽券に係わる。
「兄様も同じだったなんて……こんな幸せなことがあっていいのでしょうか……っ」
泣き腫らしながら歓喜の吐息を漏らす妹に、樰永は揺るがない声で即答した。
「いいも悪いもない。これは俺が望んだことだ。そしておまえが望んだことでもある。ただそれだけで充分だ。というかそれ以外に何がいるんだよ?」
「何もあるはずがないです……! 天に叛いてでも、私が欲しいものは貴方だけだから!」
「朧……!」
そのかわいらしすぎる答えに、樰永は朧を頬ずりして抱き締める力をさらに強めた。
「兄様……私、私の全部を、ここで上げてもいいです」
そんなことを平然と言い出す妹を前に、樰永は下腹部が一層に張り詰め、痛みすら発するのを感じた。
「お、朧、それはどういう……?」
思わず、既にわかりきった問い掛けを発する兄に、妹は赤面した美貌をむくれさせて言う。
「も――! そんな恥ずかしいことを、わざわざ言わせなきゃ気がすまないんですか!? 察してください!」
「いや……! もしまた勘違いや先走りだったらと……」
「だったら、いつまでもこのような格好で押し倒されてなんかいません! 第一、この姿で想いを伝えた以上私も覚悟はできています!」
「それはつまり?」
樰永は、照れ半分意地悪半分でさらに問い質す。
「~~~~~~っ!! も――! わかりました! はっきりと言います! わ、わわ、私の処女を! 兄様に差しあげますということですっ!!」
朧は身体中を真っ赤にして恥も外聞も捨てて宣言した。
そして、その宣言が引き金であったかのように、樰永はどこまでもいじらしい愛妹に接吻し、その手に自分の手を重ね合わせて、一層に身体を密着させる。
既に腰のモノは、はち切れんばかりに硬直している。
「ぁ……! 兄様―――」
朧もそれを感じとり、艶めいた吐息を漏らす。
樰永もそれに意を決したようにうなずく。
「朧……! 俺は―――」
「まことに残念で忌々しいいお知らせなのですが、もうお時間なのですぅ~~~~」
いざ! と覚悟を決めた瞬間、二人が良く知る間延びした声が横からかかった。
途端に、ギクッとなって視線を横にぎこちなくを向けると、体育座りで両拳を頬に当てて感情の見えぬ能面で、生まれたままの自分たちを凝視する悪神の姿があった。
「きゃっ! あなた……ッ!?」
「アフリマン、おまえ……!!」
瞬時に二人は離れて、アフリマンを親の仇でも見るように睨む。
しかし、アフリマンも両頬を膨らませて、いかにも不本意そうに息を吐いた。
「わたしとて断腸の思いなのです……! とうとうヘタレな主と意気地なしのオボロが正式に相思相愛となったのみならず、名実ともに身も心も結ばれる寸前であったというのに……」
「だったら……!」
なんで邪魔をするのだと、怒りをもって問い質そうとした樰永を遮るように、アフリマンは重大かつ致命的な報せを淡々と伝えた。
「はい。わたしとしましても、むしろどうぞ続けて、と申しあげたいところなのですが……忌々しいことにお時間なのです。端的に言いますと、ツルハゲ野郎と酒乱がここへむかってきやがります。ついでにキザ商人も」
「「っ!?」」
一気に血の気が引く二人に、アフリマンはいつの間にやら確保した彼らの着物を取り出した。
「ひとまずは着る物を着た方が無難かと――」
その言葉を聞き終えるより早く、二人は着物をひったくるように受け取り、それぞれ身に着けた。
そして、着替えが終わったちょうどその時に、啓益の甲高い声が早くも轟く。
「若君――! ご無事でござるか!?」
「おー! おー! こりゃ派手に吹っ飛んだなあ。これぞ"絶景かな"って奴か?」
「確かに、ずいぶんと剣呑な景観へと様変わりしましたなぁ」
次に、永久の剽軽な声とカルドゥーレの相も変わらず空気を読まぬ声が響いてきた。
「やれやれ……間一髪かよ」
樰永はげんなりした面持ちで独りごちるが、朧はしばらく自分の口唇に指を当てて面差しに朱を差したままだった。
その後は、啓益から永久やカルドゥーレと揃ってしこたま説教を喰らう羽目となり、旅費の金子は啓益が完全に握るより他なくなった(むしろ、樰永と朧は安堵した。永久は最後まで文句たらたらだったが……)。
そして、翌日より一週間かけて淦狗国などの桓東を強行軍で駆け抜け、一同はいよいよ千年の神都と呼ばれる扶桑京が位置する天畿へと至ったのだった。
しかし、この秘密裏の入京を早期に勘付いた者たちがいたことまでは、さすがの樰永たちも想像だにしていなかった。




