第参章 鬼神相愛 接続章 朧
私が、いつから兄様のことを男として好きだったのか、ですか?
そんなの知りません。
いつの間にか――いいえ。それこそ生まれた時にはもう、唯ひとりの殿方としてお慕いしていたとしか言いようがありません。
夢見がちだとか言わないでくださいね。本当にそうだとしか私にだって言いようがないんですから、しょうがないじゃないですか。
私と兄様はどこへ行くにも一緒でした。ともに秋羅の山野と平原を駆け回り、ともに黄泉の街や市を見て回り、時には兄様の悪戯に付き合わされもしました。
結果、いっしょに父様から雷を落とされたことも両手の指で数え切れないくらい……。
けれど、私にとってその日々は今なお、どんな宝石を並べても釣り合わぬというほどに掛け替えのない宝物です。
兄様が好き。
大好き。
愛している。
どんな言葉でもこの気持ちを表わすには不充分すぎるくらい。
それほどに唯一無二のヒト。
この気持ちに疑念を抱いたことなんてない。
それはあの嵐の海の中を突っ切って、迎えに来てくれた時から――ううん。きっと生まれた時から確信していること。
けれど、あの時から私の夢はより明確な形を得た。
そう。私の夢は、兄様の花嫁になって、兄様の子を産み、父様や母様のような素敵な夫婦になること。
そして、父様と母様が二人三脚で北應州を豊かにされたように、私も兄様とともに倭蜃国を豊かで幸福な国にしたい。
なんてありきたりな夢。
そして、我ながらなんて大言壮語でとりとめのない夢なんだろう。
そして何より、叶うはずなんかない夢……。
けれど、十にもならなかった当時の私は、この夢が必ず叶うと信じて疑っていなかった。
だからこそ、私はその夢を叶えるために努力をはじめた。
姫として行儀作法から芸事や料理を励み、果ては父様にねだって剣術に妖力の使い方から、政に兵法軍略までを幅広く学んだ。
すべては兄様の隣に立つにふさわしい妻になるため。
そうなれる日を信じ、夢見て、己を磨いた。
でも、すぐにそれが叶わぬ夢だと私は思い知ることになった。
ある日、私がいつものように芸事に励んでいるのを、女中たちから「精が出ますね」と褒められた際、嬉々として誇らしくこの夢を皆に語ったのだ。
『だって、わたしは兄さまの花嫁になるもの! これくらい当然だわ! そして、父さまと母さまのような素敵な夫婦になるの!!』
けれど案の定というべきか、皆はポカンと口を半開きにした後に微笑まし気に、あるいはおかしそうに笑った。
私はそれに首を傾げた。
なんで皆そんなふうに笑うの?
わたし、おかしなこと言った?
愚鈍な子供だった私は、まぬけにもそんな疑問が頭を占めた。
すると、女中たちはおかしさを含んだ笑みを浮かべたまま言い放った。
私の儚い夢を断つ一言を。
『姫様、ご兄妹は夫婦になどなれませんよ』
その一言に私は幼心に悲しくなり「どうして?」とつぶやくように訊ねた。
どうしてダメなの?
こんなに兄さまが大好きなのに。
こんなにがんばってるのに……!
そう訴えても、皆はただそういう決まりだからとしか言わない。
それが悲しくて、何より悔しくて、泣きながら母様のところへと駆けこんでいった。
そして、この気持ちをワンワンと泣きながらぶつけたのだ。
そしたら母様はそんな私の頭を優しく撫でて諭してきた。
『あのね、朧ちゃん。あなたと樰永くんは確かにお母さんたちのような夫婦にはなれないけれど、あなたたちは、お母さんたちの大事な子供……血を分けた家族なの。それはこの先何があっても切れることはない絆よ。結婚しなくても既にあなたたちは生まれた時から、互いに尊い縁で結ばれているのよ。お母さんはお父さん――悠兄様と恋に落ちて愛し合って、あなたたちが生まれた。そうして家族っていう縁は広がっていくものなの』
そして、母様は私の涙をすくいながら最後に笑顔でこう告げられた。
『大丈夫。いつかは朧ちゃんにもそういう相手がきっと現れるわ。もちろん樰永くんにもね。だって、お母さんとお父さんの自慢の娘と息子だもの。二人にも自分自身が見つけた愛するヒトと自分だけの家族を、尊い縁を広げてほしいの』
けれど、母様。私にとってその相手とは兄様以外に考えられないんです。
私にとって兄様こそがその最愛のヒトなんです。
私が家族と未来を――縁を紡ぎたいと思う唯ひとりのヒトは、兄様だけなんです……!
間違っている。
気持ち悪い。
穢れている。
そう余人に思われても、私にとってはそれが偽りのない一生懸命な真実の気持ちなんです……!
この気持ちがあるから私なんです。
たとえ、誰もが忌避し糾弾されるおぞましい気持ちだったとしても……私にとっては唯ひとつの宝石なんです……!
お願いだから……その宝石を私から奪わないで! 否定しないでッ!!
それが正しいことだって言うのはわかってる。
間違っているのは、私で、この気持ちだって……。
でも、この気持ちがなくなったら、それはもう私じゃない。
違う別の誰かよ。
それが正しいことだって言うなら、私はこれから死ぬまでずっとその違う誰かを演じ続けなければならないの?
自分も他人も騙し続けて、嘘だけを笑顔で吐き続けなければならないの?
真実の気持ちを押し殺して、心にも思っていないことを並べ立てて、生き続けなければいけないの? ずっと?
考えただけで息が苦しくなる。
想像もできない絶望で眩暈すらする……!
気が遠くなっていく。
私が沈んでいく。
私が殺されていく。
暗い。
暗い場所へと堕ちていく。
いっそ、このまま何も感じずに堕ちれば楽になれるの?
朧ッ!!
っ!?
不意に私がよく知る愛しい声が応えるように響いた。
兄様が私を呼んでいる。それに何だろう? なんだかすごく温かい。
突如として全身を包み込むような温もりに、真っ暗だった私の視界は光が降り注ぎ、そこには私が最も望むヒトの姿があった。
「っ……に、兄様?」




