第参章 鬼神相愛 断章 商人の憂鬱
時は、樰永と朧が湯にて刺客に襲撃された刻限に遡る。
時を同じくして宴会に興じていた永久たちのところへも僧形の刺客が現れ、瞬く間に乱戦となっていた。
宿の主人に女中、他の客たちは既に散り散りに逃げており、阿鼻叫喚のごとき悲鳴が今も響いている。
敵の数は五十人前後で前衛が錫杖や鉄球を振るい、後衛が法力の雷やら炎やらを織り交ぜて雨霰と降りそそいでくる。
柱や梁に畳には刀傷やら焼け焦げた跡が装飾され、旅籠の中は完全な修羅場と化している。
この襲撃に酔っぱらっていたはずの永久は、途端に冷めた眼光を放ち得物の大太刀を抜刀するや、俊敏な足捌きで雷撃や炎撃をかわし、あるいは弾いて懐へ飛びこみ、刺客たちを袈裟斬りにして倒した。
許容を超えた酒精の摂取で潰れていたはずの啓益も殺気と敵意にすぐさま覚醒し、二刀の小太刀を手に、影を縫うような足捌きで間合いに潜るや、法力を使わせる暇すら与えず、刺客らの喉や目、得物を握る手を斬り飛ばして、堅実に仕留めていく。
ふむ。お二人とも実にお見事。
一方、残る商人はひとり悠々と西界の円卓と椅子に腰掛け、白磁の西界茶器で紅茶を優雅に愉しみながら、二人の状況への対応と武勇を感歎の目で鑑賞していた。
羽目を外して隙だらけと思いきや、戦況の変化に頭ではなく身体と本能で対応し適応されるとは……。実戦を幾度も戦い磨き抜かれた戦者のそれだ。倭妖の武士とは"常在戦場"を心掛ける戦闘民族だと聞き及んでいましたが、噂以上ですね。しかし――
と、そこで彼にしては珍しく些か眉をひそめて、今なお果敢に襲いくる刺客たちを睨んだ。
ようやく果実が実りそうだった時にとんだ無粋を働いてくれたものだ。まあ、元より実が熟すまでには時がかかる。これもまたそのために必要な過程ということですか……。
白磁の陶杯に口をつけて自分を納得させる。
一方、刺客相手に奮戦する永久は、他人事のごとく寛いでいる商人へ怒声を飛ばす。
「おい! てめえ! んな時に何ひとりでまったりしてやがる!? ちったあ手伝えッ!」
すると、耽美な商人は優雅な微笑を浮かべつつ、首を傾げ心底不思議だとばかりにのたまった。
「私を誰だと思ってます。商人ですよ? か弱い善良な一般庶民ですよ? こんな修羅場は専門外もいいところですって」
「だったら、とっととどっかに隠れてやがれ! んなところで茶を飲みながら見物されても邪魔くせぇし、そのいかにも人畜無害ぶってる面がうぜぇッ!!」
眉間に青筋を立て、刺客の顔面を蹴り飛ばしながら吼える。
「そうしたいのは山々ですが、このように入り乱れた状況で不用意に動くのは、かえって危ういと思いまして……」
そう言いながら流れ矢のごとく飛んできた雷撃を首を傾けてかわし、こう締め括る。
「それならいっそ、あなた方の傍にいる方が安全であろうと愚考いたしました次第です、はい」
いい笑顔でいけしゃあしゃあと言ってのける商人に、二人は本気の殺意を覚えた。
「おやおや剣呑、剣呑……。なに私ごときの力添えなどなくとも、貴女方ならば、このような者たちの始末なぞ造作もないことでしょう?」
平然と殺気を受け流し、さらに何でもないような物言いで煽り立てる。
「永久殿! かような足手まといに構ってる暇はござらん! 今は早急にこやつらを振り切り、若君のもとへ!」
啓益が小太刀を縦横に振るいながら吼えるのに対し、永久も大太刀で首を二、三個撥ねながら、いらだちまじりに怒鳴り返す。
「わかってら!! だが、こいつらもそう簡単に通しちゃくれねぇようだ! 斬っても、斬っても、死兵の勢いで湧いてきやがる!!」
その言葉通り刺客が倒れる度に、残る刺客たちが雪崩のように攻め立てる。そこには何があろうとも断じてここは通さぬという決死の執念が顕われていた。
それを見て、カルドゥーレは「ふむ」と思案顔でうなずく。
どうやら、この者たちはあくまでも我らをここで足止めする部隊のようですね。となれば、やはり本命は若君ですか。どうあっても、芦藏はここで樰永殿を始末する腹積もり――いいえ。これは明らかに遊んでいますね。せいぜいが敵情視察といったところですか。
そう冷静に分析しつつ、一際大きな嘆息をついた。
まあ、いいでしょう。よいところでいらぬ茶々を入れたくれたことは、非常に腹立たしいですが、待つことも、焦らされることももう慣れた。既に数え切れぬ時を待ち続けたのです。せいぜい気長に実りを待たせていただきますよ。
そうして再び紅茶を啜る。
その瞬間――地を震わせる轟音が轟いた。
旅籠全体も揺れ、敵味方問わず動きを止めた。
「っ! この音は……!?」
永久は思わず、縁側から見える外を見やると、ちょうど温泉のある方角から昇る派手な煙を視認した。
「あそこには若君たちが!?」
同じく視認した啓益が青褪めて呻く。
「ちぃッ! 急ぐぞ!!」
焦燥に駆られながらも永久は同じく虚を衝かれた刺客たちを斬り払い、地を駆けた。
「承知!」
啓益もまた追随する。我に返った刺客たちもその後を追った。
そして、残された商人はというと……。
おやおや、当代の芦藏当主も初代に負けず劣らず、ずいぶんと派手好きなようだ。粋と言うやつですねぇ。
などと場違いな感想を抱いて相も変わらず紅茶を堪能している。
だが、当然そんな商人を刺客たちが放置するはずもなく、その場に残った二十数名ほどが瞬く間に包囲した。
だが、カルドゥーレはなんら動じなかった。それどころか心底呆れたとばかりの仕草で、相も変わらず紅茶を味わう。
「やれやれ、私のような小物にまでわざわざ兵を割きますか。用心深いといいますか、神経質といいますか……」
あからさまに挑発めいた物言いをする商人へ、刺客たちは問答無用とばかりいっせいに飛び掛かった。
だが――
「おやめなさい」
そのたった一言で刺客たちの動きが止まった。まるで時が停止したように。
特段魔術や妖術を使われたわけではない。
ただ単に刺客たちの鍛え抜かれた直感と危機察知能力が、己の肉体を強制停止させたのだ。
この何気ない、されども、この上もなく無機質な殺気が込められた一言だけで彼らは悟った。
眼前の男は、自分たちの手に負えるような相手ではないと……!
そんな刺客たちの心情を知ってか知らずか、商人は普段のアルカイックスマイルを張りつけて宣告した。
「帰って、あなた方の主にお伝えなさい。そう焦ることはないと。"悪業大災"の王は来る。必ずや都にたどり着き、御身の前に現れるであろうと。せいぜい首を洗ってお待ちなさいとね。此度のようにあまりおいたが過ぎるようなら――」
無機質な殺気が突如として膨れ上がり、溶岩のような怒気へと変質し噴出する。
「殺すぞ?」
途端に刺客たちは大量の冷や汗を禁じ得なかった。この時になって自分たちはまさしく龍の逆鱗に触れていたのだと、今更になって悟ったのだ。
そんな彼らに、カルドゥーレはさらに一切の容赦もなく釘を刺す。
「あの二人は、私の獲物だ。供物だ。贄だ。糧だ。薪だ。餌だ。幾千の時を経てようやく掴んだ、すべてを取り戻し得るか細い救済の希望だ。それを断ち切り、摘み取らんとする者は何人も赦さない」
平淡ながらおぞましいまでの獣性すら滾る言葉に、刺客たちはいずれも頭を縦に何度も振らざるを得ず、瞬く間に影が退くように立ち去った。
再び、ひとりとなった商人はこれまた大きな嘆息をついて自嘲した。
「まったく、我ながら情けないものだ。種を蒔いたばかりでもう焦燥に駆られているとは……」
自分の悪い癖だ。私事となると肝心なところで性急に結果を求めたがる。我ながらまったく成長しちゃいない。
「そうとも。焦ることはない。何より、あの兄妹がこの程度で終わるはずもない。愉しみはこれからなのだから……」
そう己を言い聞かせ椅子から腰を上げた。
「さて、そろそろ私もお二人を迎えにいくとしますか……ん?」
と、そこで懐に仕舞っていた懐中時計の上蓋の鏡を見て目を細めた。
それは使い魔を介した遠見の魔術具であり、彼は刺客に襲撃される寸前までその鏡を通して兄妹の様子を見ていたのだ。
だが、再び目を通した結果、商人は口角を優雅にあるいは獰猛に上げた。
「これはなかなかどうして……。いらぬ茶々と思いましたが、芦藏の悪戯もずいぶんな起爆剤となってくれたようだ」
人知れず微笑む商人をよそに、兄妹たちの運命は静かに廻りだそうとしていた。
永久たちの方が兵数が多いのは足止めのためであり、樰永たちに差し向けられた16名は少数精鋭の刺客です。
では続きは本日15時からです! よろしくお願いいたします!