第参章 鬼神相愛 間章 毒蜘蛛たちの戯れ
樰永たちへの襲撃後、さる場所では……。
「やれやれ、噂に聞く以上にとんだ奔馬だね。鷹叢の若様は……」
嵩斎は切れた糸を指で弄びながら他人事のようにつぶやく。
『ええんか? 人形越しとはいえこんな早期に動くなんぞ、あんたの関与を鷹叢に疑われることにもなりかねへんぞ』
通信用の呪術鏡からの声に、嵩斎は事もなげに答える。
「どちらにせよ既に遅いか早いかの問題だよ。というより悠永公はとっくに疑ってるだろうね……」
『口の割に楽しそうやな、あんたは……』
すると、嵩斎はあっさりと弾んだ声音で肯定した。
「わかる? 我ながら今までにないってほどにワクワクするよ。何より、あの若様はいったいどんな悲鳴を奏でて僕を潤してくれるのかと思うと、今から愉しみで愉しみで眠れなくなるほどさ」
途端に、呆れきった声が釘を刺してきた。
『……あんたの趣味にケチを付ける気なんぞさらさらあらへんが、主目的を忘れてもろうたら困るで。こっちは道楽であんたと組んだわけやない』
「もちろん。これは理性ある大人の対等な取引だよ」
『はっ、あんたが言うと嘘くさいにもほどがあるわ』
嵩斎としては真摯に答えたつもりだろうが、相手は忌々しげに辛辣な答えを返した。
「泰政といい君といい、揃いも揃って酷いなぁ。まあ否定はしないしできないけれど……」
しれとのたまう嵩斎に、鏡の向こうにいる相手は少しいらだった声で有無を言わさず本題に入る。
『それはそうと例の物の場所は見当がついた。後は術式の完成を待つのみやが、抜かりはないんやろうな?』
「ああ、そっちの朝臣の目を通して校書殿に納められていた古今の呪術の書物は一通り把握したからね。ただ、それを鑑みても降誕場所はやはり治天の玉座が最適だろうさ」
それに相手は苦虫を嚙み潰したように吐き捨てる。
『チッ! 結局はそうなるんか……。面倒なことになりそうやで。今は折も悪く朝廷はゴタゴタしとるからな。蟻の子一匹招き入れる隙間すらあらへん』
しかし、嵩斎は頭を振って否定する。
「逆だよ。ゴタゴタしている……。それこそが、まさに天祐じゃないか。むしろ、静かすぎたらかえってやり難くなるところだった。どうやら摂権殿と左大臣殿や楠原の老公も上手くやってくれているようだね」
嵩斎が上々吉とばかりにほくそ笑むのに対し、鏡の声はいかにも不本意だとばかりいらだたしげに声を荒げる。
『こっちはうるそうて敵わんわ……。お歯黒と腰巾着も爺も、毎日飽きもせずキャンキャン吼えよってからに。それを傍で聞き続ける俺の身にもなってみろゆうんや』
「それはそれは、ご愁傷様……」
『やかましい……!』
まるで心がこもらぬ労りに、噛みつくような声が返ってくる。
『それはそうと今更わかりきったことを聞くんやが、鷹叢の総領息子は、今ので殺れたんか?』
「まさか」
嵩斎は肩をすくめる。
「並みの遣い手ならまだしも、あの若様は僕と同じ神々の寵愛と加護を持つ神座王だ。あの程度の法力じゃ、万が一の確率でかすり傷ひとつでもついてくれれば、御の字ってところかな」
その予想通りすぎる答えに、諦観まじりの嘆息が返ってくる。
『あんたの口ぶりからして、そんなことやと思たわ……。で、そのガキが今後の計画の支障にならんと言いきれるんかいな?』
「言いきれないどころか、大いに障害になるだろうね」
あっさりとのたまう嵩斎に、鏡の声は怒気を含んだ唸り声をあげる。
「そんなに怒らないでよ。今回にかぎって言えば、鷹叢の若様には扶桑で一騒動起こしてもらわなきゃ、むしろ困るんだからさ」
艶やかな微笑を浮かべて諭すように言う嵩斎だが、鏡の声は忌々し気に吐き捨てる。
『……っ! それは俺かて承知しとる。ただ、あんたのお遊びに巻き込まれて火の粉がこっちにまで降りかかるんは、ごめんや言うてるんや』
「つれないなぁ君と言い、鷹叢の若様と言い……」
『これは理性ある大人の対等な取り引きや言うたのはあんたやろ。なら取り引き相手の不利益になるような行動は御法度もえぇところやろうが』
「もちろん弁えているさ。それはそれ、これはこれ、でしょ?」
ワザとらしく娼妓のように艶めかしい仕草で答える彼に、鏡の声はいらだちを押し殺すように努めた。
『わかっとるんならえぇ……。今日のところはこれで失礼するわ。これ以上は感づかれそうやさかい』
「うん。そちらも幸運を祈るよ……」
それ切り鏡は光を失い、居室を静寂が包む。その中で嵩斎は独りごちる。
「さて、鷹叢の若様。君がこれから飛び込むのは、何の比喩もなく正真正銘、四方八方敵だらけの巣だ。せいぜい痛快に四苦八苦した末踊り狂っておくれよ……」
本日12時に宴会に興じていた永久たち側の話を描いた断章を、そして、15時に本章を更新いたします!