第壱章 鬼神戴冠 二 蟒蛇と古武士
その頃、鷹叢の居城・宝瓶城本丸の城門では、いかにも"質実剛健"という風格を備えた厳めしい顔立ちの武士がこめかみに青筋を立てつつ腕組みをして、直立不動のまま当の兄妹の帰還を迎える用意をしていた。
武士の名を大岐啓益という。
長年に渡って鷹叢家に仕える家老の嫡男にして幼い頃から樰永の守役を務めている。
そんな彼に、酒入りの瓢箪を呷った女武者が鷹揚に声をかけた。
「よぉ! お勤めご苦労さん」
「永久殿……」
啓益はどこかげんなりした顔で、自分に声をかけてきた赤みがかった黒髪を後ろで結い上げ籠手を着けた女武者を一瞥した。
眉をひそめたのは女武者の風体故だ。
なにせ着物を片腕だけはだけさせて着崩した上、サラシだけを巻いた豊麗な胸部を恥ずかしげもなく晒すなんてありさまでは目のやり場に困る。
彼女の名は鷹叢永久。
現当主である悠永の実妹であり有能な部将でもある。ただし上記のように素行に加え性格に難あり……。
「おまえ……なんかさらに老けたな。ついでに髪も薄くなったか?」
永久の不躾であっけらかんな言葉を、啓益は仏頂面で反論する。
「某のこれはれっきとした月代にござる。武士としては当然の髪型……。そも貴女様こそ殿の妹御とも在ろうお方が、そのような出で立ちはいくら何でもはしたのうござろう。加えて軍務中や真っ昼間からの飲酒も控えられよ」
「かー! おまえは相も変わらずカチンコチンに固いな! そんなことだから、いまだに嫁のひとりもできねぇんだよ」
「……それはまるで関係ござらん。そもそもいまだに独り身であらせられる貴女に、とやかく言われることではないと存ずる」
すると、永久は眉間に青筋を立てて胸倉を掴み恫喝する。
「莫迦め。俺は嫁げんのではない。俺からフッてやってるんだ……! そこのところを間違えんじゃねぇよ禿頭が……!」
しかし啓益の返しも負けず劣らず辛辣だった。
「ですから禿ではなく月代だと何度言えば……! 第一、そのような世迷いごとを余人が信じるとでも?」
「相も変わらず口が減らねぇな」
「貴女様が明け透けなだけでござる」
辛辣な応酬に飽いた永久は啓益から手を放し、話題を早々に変えた。
「まあ、冗談はさておきだ。樰永の奴はこんな時でも遠乗りか?」
「左様……! 若殿にも困ったものです。鷹叢の次期当主としての自覚をお持ちいただかなければ」
「まあ、いいじゃねぇか。引きこもりよりか数百倍もマシってモンだろう」
永久はゲラゲラと笑うが、この古武士にとっては笑い事ではない。
「例えが極論すぎます! と、いうより大半は貴女様の影響でござろう! そもそも遠乗りの最中に芦藏が攻め寄せでもしたら何となされるおつもりなのか!!」
「確かにまるで有り得ん可能性とは言わんが、些か神経質に過ぎる例えだな。しかし今の芦藏は当面それどころじゃねぇだろう。なんせ当主の頼嵩が死んだ直後じゃなあ……」
「……それは、確かに道理ではありまするが、後を継いだ総領息子の芦藏嵩斎は父以上の戦上手ですぞ」
そう芦藏氏の総領、芦藏頼嵩は三日前に逝去していた。病もなく何の前触れもない急死であった。
しかし啓益が言うように、それで芦藏が弱体化するということでは決してない。
それどころか新たな当主となった嵩斎という男は、前当主の父に輪をかけた梟雄とも言うべき謀略家だ。
むしろ、より手強くなると考えねばならないだろう。永久も啓益の言い分を認めるようにうなずく。
「確かにな……。おまけに、あの坊や最近になって、あの刻鎧神威を手に入れたって話だしな」
「神々の魂と権能を有した究極の神器、でござったか……? 西界の国々が次々と手にしているという。そんなものがよりにもよって芦藏などに……!」
その神器【刻鎧神威】とは、啓益の言葉通り神の魂魄と権能が注がれた神器のことだ。
魔力や妖力とはまた異なる粒子たる【神気】を持ち、宿った神固有の能力をも有した事実上世界最強の武力と言える兵器なのだ。
殊に西界では、列強諸国のほとんどが保有しており、ひとつあるだけで軍事力もとい国力の均衡が崩れるとも言われている代物だ。
そんなものが敵国に渡ったとあれば、啓益が心穏やかになれぬのもわからないでもない。
「そいつを持ち出して、喪も明けねぇ内から攻め寄せてくる可能性も確かにありえなくはねぇだろう。だが、あの賺した坊やが、そんなあからさまな手でくるかねぇ……」
「というと?」
「ああいう手合いはな。自分で仕掛けるよりも、他人に仕掛けさせる性質ってことだ。さながらテメェで張った巣の中に獲物が自分からかかるのを待つ蜘蛛のごとくな……」
永久はうんざりそうな声音で吐き捨てるのに対し、啓益は顎に手を当てて得心がいったという顔になる。
「なるほど……。確かに、以前の芦藏との戦で見た嵩斎の戦術もそのように見受けられました。あちらからは決して仕掛けず、こちらを焦らして挑発し、あちらの間合いへとしたたかに誘い込む……!」
その時のことを思い出したのか、その声に強い憤怒が露わになる。
同時に、あの戦では多くの将兵がまんまと死地に誘い込まれ、左右の槍衾や妖術の砲撃で屍を晒す羽目になった。
悠永が、いち早く退却の法螺貝を鳴らさねば、自分とて冥途に渡っていたかも知れぬと、今なお冷や汗が止まらない。
「だろう? まあ、当面はこちらも連中の動きを留意しておく他あるまいよ。兄者も何の勝算や策もない内は、奴らと本格的に事を構える気はあるまい」
「今はそれが最善、か」
啓益は歯痒さを隠しきれぬ声で永久の意見にうなずく。と、そこで永久は話題を今現在、城を訪れた異邦の客人たちへと移した。
「それはさて置きだ。西界からの商団とは、これまた珍妙な客人が来たものだな」
「はっ。どうも殿に是非にもお売りしたい品があるとか……」
「ほう? さては西界秘蔵の銘酒か何かか!?」
「何でもかんでも酒と結びつけないでいただきたい!」
「冗談だ冗談。……まあ、半分くらいは」
「半分は本気だったと……!」
啓益の怒りと呆れがまじった声を無視して、永久は話を続けた。
「何れにせよ、厄介な案件になることはまず間違いあるまいよ。先刻その客人とやらを拝見したんだが、そいつも一筋縄じゃいかねぇ面してたぜ? 果たして兄者は何と答えるのかな……」
どこか弾んだ声で語る永久に、啓益は呆れたように眉をひそめる。
「永久殿、面白がっておられるでしょう……」
「カカカッ! バレたか? でも、いいだろう。なんせ我らが倭蜃国はとても笑えねぇご時世だ。笑える時には盛大に笑い、楽しめる時には全力で楽しむ。何より酒が呑める時に好き放題に呑む。それが俺の士道だ」
啓益の咎めに悪びれもせず、むしろ得意気に瓢箪の酒を呷りながら豪語する。しかし、当然ながら古武士は顔をこの上もなくしかめて反論する。
「某は賛同しかねまする。このような時世なればこそ、常日頃より、気を張り、気を配り、気をつけねば、この戦国乱世ではとても生き残れぬし、ましてやお家を存続させることなどできぬと存ずる」
「そんなもんかねぇ――」
「そも、真顔でもっともらしいことを仰っておられるおつもりでござろうが、某には"士道"にかこつけて己の道楽を正当化しておられるようにしか聞こえませぬ。だいたい、貴女はいつ何時であられようと、それこそ戦場であろうとも好きなだけ酒を呑んでおられましょうが」
啓益は容赦なく辛辣に突っ込む。
「はっ、これだから老け顔小姑は……。そうやって頭から爪先まで細かいだけの男はモテんぞ」
「余計なお世話でござる……!!」
小馬鹿にしたように吐き捨てる呑兵衛の女武者に、古武士は青筋を立ててバッサリと切り捨てた。
「お! こっちがじゃれている間に聞かん坊が帰って来たようだぞ」
永久の声に、啓益は上空から翔ける赤い鬣の天馬に乗る主とその妹姫の姿を認めた。
「若君!」
「大義だ啓益。今帰った。叔母上もご機嫌麗しゅう……」
「唯今戻りました、叔母様。啓益もご苦労様です」
地上に着陸した赤羅から朧をともなって降りた樰永に、啓益はさっそく食ってかかる。
「若君! かような時に遠乗りなどと……!」
しかし、守役の諫言を樰永は意にも介さない。
「苦情は後で聞く。それよりも西界からの商人が来ているんだろう?」
「左様です……。とにかく早々に礼服にお着替えを」
「面倒だ。このまま行く」
「若君!」
「兄様……! 啓益、ごめんなさい」
城内へとそうそうに入ってしまう兄を追いながら朧が詫びる。
そうして二人が去った後、啓益はこの上もなく疲弊し切った顔で嘆息をついた。
「おまえも苦労するな……」
「他人事みたいに言わないでいただきたい………」
永久の労りに古武士は苦々しい顔で一蹴する。
「別に他人事のつもりはないがな。ただ辛気臭い貌ばかりしていたら武運に逃げられるぞ。アレの自由闊達さは今にはじまったことではあるまい?」
「……そればかりではござらん」
「ほう? というと……」
「近頃……若君と姫君の距離がその近すぎる、とお思いになりませぬか?」
啓益の言葉に永久は首を傾げて、何の気もない声で返した。
「別に変に思うことでもあるまい。兄妹なのだからな。俺も、あいつらの時分にはよく兄者にくっついてたものだぞ」
だが、それで啓益は引き下がらない。
「そういう次元の問題ではござらん。変だとはお思いになられぬのか? 普通は、あの年頃の兄妹は互いに距離を置くことが常のはず……。しかし、お二方にかぎっては距離を取るどころか常にともにあり、どこへ行くにもほとんど一緒でござる」
一方で、永久も小刻み程も揺らがない。
「だが、最近はどちらかと言えば朧が樰永の奴を追っかけて結果、樰永の莫迦が折れるって塩梅だぞ」
しかし、啓益はその言葉にこそ喰いついた。
「そこでござる。姫君は若君のことに事あるごとに干渉しておられるきらいがござる。先日も、若君が扶桑に上京なされた際、遊郭で過ごされたとお知りになった途端に平手を打たれる始末……! 若君も若君でそれをお咎めにもなられなかった。それに、お互いの触り方が時折生々しいほどに気安い。アレは兄妹どころか――っ!」
しかし啓益の言はそこで止まった。何故なら、いつの間にやら咽喉元に永久が抜身の小太刀を深く当てていたからだ。
「もう、それくらいにしとけよ。それ以上の妄言は、俺のかわいい甥と姪に唾を吐いたも同然と見なす」
その声音は至って平淡で簡素なものだった。だが、その芯には先刻のふざけた態度の面影もない凍るような冷たい怒気と殺気があった。
啓益はゴクリと生唾を呑み込むと同時、己の失言をようやく悟る。
「ご、ご無礼仕りました。な、何卒ご容赦を……っ」
「うん、赦す。ま、次はねぇがな」
古武士の謝罪に、永久は元の気安い声音に戻って小太刀を引っ込めながらしっかりと釘を刺すや、そのまま踵を返した。