第参章 鬼神相愛 六 麗しき夜叉たち
朧は身体を横にして蒼龍を右上段に構える。"霞の構え"と呼ばれる咽喉や眼といった急所を取ることに優れた構え。
対する樰永はシャムシールを立てて右手側に寄せ、左足を前に出す。一対多数や乱戦を得意とする八相の構えだ。
刀以外は何ひとつまとっていない二人を前にして、僧形の刺客たちはなお、足踏みを続けていた。
対する自分たちは多数な上に装備も整っている。にも拘らず踏み込むことができない!
彼らは熟練の手練れ故に理解していたのだ。
二人の間合いは、まさに獣の咢の中なのだと。踏み入れたが最後、食い殺されるが必定であるのだと……!
だが、自分たちは任務のためだけに生きている。ここで退くことは任務の放棄――死を意味する。それだけは断固として受け入れるわけにはいかない。
先に口火を切ったのは、二人の正面を押さえた大柄な僧兵二人だ。寸分狂わぬ速度で同時に法力で強化された錫杖による刺突をしかける。それに追随するがごとく小柄な僧兵たちが暗器を手に跳躍する。
「ッ―――っ!?」
数瞬の後、いっせいに息を呑む声が木魂する。僧形の刺客たちのものだ。
朧は、大柄な僧兵の放つ棍棒のごとき錫杖を突きで止めるのみならず、真っ二つに裂けさせた。
刃に水の波動を一点集中で伝えたのだ。そのまま咽喉を一撃で貫き首を斬り飛ばし、返す刃で跳躍してきた小柄な僧兵二人を流れるような動作で袈裟斬りにする。
樰永は、正面の錫杖を刃で斜めに逸らしていなし、がら空きとなった大柄な体躯を斜めに両断する。
さらに投擲された暗器を柄頭で弾き、小柄な僧兵二人の内ひとりの頭に弾き返して仕留め、わずかに動揺した残るひとりを袈裟斬りにして討ち果たした。
瞬く間に六人が屍を晒し、その中心で一糸まとわぬ美しくも苛烈な夜叉たちが冷たい眼で見ている。
「こんなものか?」
「お話になりません」
余裕――そんな言葉すら生温く思えるほどの隔絶した差を、刺客たちは心底思い知らされていた。中には後退りをはじめる者も現れる。
だが、その声音とは裏腹に樰永は、刻鎧神威の器たるシャムシールの想像を超えてゾッとするほどの斬れ味に心底絶句していた。
――腐っても神の器たる刻鎧神威だ。少なくとも鈍ではありえないと信用こそしてはいたが、これほどとはな……っ!! 豆腐を斬るようなどころの話じゃない。力加減を見誤った日には、敵どころか城、それこそ大地そのものを斬ってしまいそうだ! たく――つくづくとんだじゃじゃ馬だな、こいつは!!
『言っておきますが、我が力はまだまだこんなものではありません。今からこの程度で尻込みしているようでは先が思いやられるのです……』
――ああ、だろうさ!
脳内でしれとのたまう相棒に、樰永も心中で毒づきながら油断なく刺客たちと対峙する。
「悪いが逃がしてやる気なんぞないぞ。こちとらやっと腹を括ったのを、無粋な邪魔をされて気が立っているんだよ……! まあ、投降するというなら話は別だが、生粋の刺客である貴様らにしてみれば論外だろう。ならばひとりを残して駆逐させてもらう」
その声は至って平静だったが、その芯には灼炎する溶岩のごとき怒気が備わっていた。
一方で兄の言葉に対し妹の涼やかな声が反論した。
「兄様。そのような気遣いはこの下郎どもには分不相応です。かような不躾をする輩に何を遠慮することがありましょう。断固として即刻殲滅するが最善と存じます」
涼やかで微笑すら浮かべているのだが、その芯には凍てつくような氷のごとき怒気が、静かに、されども苛烈に吹雪いていた。
「まあ、待て。この一件の首謀者を知るためにも、情報を吐かせる奴をひとりくらい残さなければな。この連中の頭は――おまえか?」
樰永はシャムシールを、一団の中の中肉中背の僧兵に向けて問う。
その途端に僧兵は少し震えたように痙攣した。問い掛けにこそ答えなかったが、その仕草で"何故?"と狼狽しているのは明白だった。
「匂いだ。それに他の連中が無意識におまえひとりを守るような所作がわずかにあった」
樰永は事もなげに答える。
「さて、ならば決まりだ。おまえだけは生かす。そして、すべてを吐いてもらう」
その言葉を"ほざけ"と吼えるがごとく僧形の刺客らは錫杖や暗器を手に駆けた。
四人が包囲する形で錫杖から法力の雷撃を放ち、すかさず後方の五人が法力の火を宿した暗器を投擲するが、それを大人しく待つ二人であるはずもない。
樰永と朧は二手に分かれ、錫杖の雷撃を切り裂き、すれ違いざまに胴を両断し、飛んでくる暗器を刃で、あるいは柄で弾き、後方の五人に肉薄する。
当然、彼ら錫杖に仕込んだ刃を抜いて応戦の構えをとるが、その時には、ある者は咽喉を、ある者は目を穿たれ、ある者は刃ごと身体を一刀両断されていた。
数瞬という時すら経たずして、頭の僧兵ひとりを残して刺客の集団は物言わぬ屍と化して、転がっていた。その血が敷石や湯に流れ落ちている。
「――っ!」
この惨状に、頭の僧兵は絶句するより術がなく脚が自然と後ろへわずかに下がる。それでも得物である錫杖を地に落とすことがないのは歴戦の経験と矜持故だろう。
すると、不意に樰永はゴホンと咳払いして妹に言う。
「これ以上、お前の裸身をこやつのごとき下郎の眼に焼き付けるのは忍びない。ひとまず湯に入って隠せ……」
その言葉に、朧は若干頬を赤面させながらも素直に「はい……」と応えて湯に肩まで浸かった。
「さて……さっきも言ったが、おまえにはいろいろと語ってもらうぞ」
その声は有無を言わさぬ焔が燃え滾っていた。生まれながら支配者足ることを確約された王の声だ。
頭の僧兵はその王気に圧し潰されながらも歯を食い縛ることで耐え切り、錫杖に仕込んだ刀を抜いて法力の雷を刀身にまとわせて突貫する。
しかし、樰永はそれを緩やかな動作で彼の真横に移動し、刀を持つ両手を瞬く間に斬り飛ばした。
頭の僧兵はガクッと膝を崩した。樰永はその胸倉をつかんで立たせる。
「最後まで足掻くのは天晴れ……。だが、至らなかったようだな。さあ、おまえたちの主の名と目的をおとなしく白状してもらおうか」
だが、その言葉に対し頭の僧兵は唐突に何かが壊れたような哄笑を発した。
「無口な堅物かと思えば清々しいまでの笑い上戸だな……。任務をしくじって気でも触れたのか?」
突然の奇行に樰永は呆れた声で気味悪がった。しかし――
『いやいや、とんでもない。こいつら程度で仕留められるなんて甚だ思っていなかったさ』
頭の僧兵は、光が消えた双眸とのっぺらぼうのような無表情とはまるで真逆の快活そうな声音で返答した。
途端に、樰永の目がより鋭く細まった。
「――貴様、誰だ?」
『誰も何も御覧の通り、君たちを仕留め損なった負け犬の大将だよ?』
嘲るような囀りに対し、樰永は低い声で一喝した。
「黙れ。この男は最後の一時まで己が務めを果たそうとしたのだ。その生き様を愚弄することは誰であれ許さん」
すると、声は興醒めしたとばかりに嘆息をついた。
『君も大概に面倒くさい性分だね……。自分を殺そうとした奴の、それも暗殺者なんぞの名誉を慮るのかい?』
「ひとは皆、己が一分と本分を果たすために命を懸けるものだ。そこに貴賤なぞありはしない。それよりも俺は、貴様は誰だと聞いている」
樰永が一層に凄むと"声"は意外とあっさり認めた。
『なんだ。気づいてたのかい? この男を傀儡に使ってると』
「当たり前だ。先刻とはまるで異なる醜悪な妖気があふれ出してるだろうが」
『はっははははっ! 君も大概にあっぴろげだね! けれど嫌いじゃないよ、そういうの』
"声"はいかにも愉快そうに嗤う。だが、正反対に樰永は不快感と嫌悪感が綯い交ぜになったように眉間を険しくして吐き捨てた。
「生憎と安全圏からひとを物のように操る下種の賛辞を受ける趣味はねぇよ」
『つれないねぇ……』
"声"は心底残念だとばかりに息を吐く。その様に、樰永は少しいらついた声でさらに訊ねる。
「そんなことより、こっちの質問への答えがまだだったな。貴様は何者だ? そして、どういう道理で俺たちを狙った?」
『それ僕が答える義務なんてあるのかい?』
すると、樰永は傲然と言い放った。
「無論あるさ。勝ったのは俺たちだ。勝者に従うのが敗者の義務だろう」
『…………ぷっあはははははははは!! なるほど! それは確かに道理だ!』
おかしくて仕方がないとばかりの哄笑が轟く。
だが次の瞬間には、ゾッとするような冷笑を含んだ声が返ってきた。
『で・も、残念ながら、今回ばかりはその道理には適わないねぇ。だってそもそも僕は君なんぞに負けた覚えはないもの。今回負けたのは、あくまでもこの役立たずどもさ。僕は糸を通して見てただけ』
そう傀儡と化した僧に手で首を斬る動作をさせる。
『そ・れ・に、君にはまだ僕の名を知る資格はないよ。せっかく手に入れた刻鎧神威を、持て余しているような体たらくじゃね……』
『むっ』
"声"の嘲笑にアフリマンは不服そうに唸るが、樰永は不敵な笑みを浮かべて見せる。
「ご高説どうもだな。こそこそと他人の影に隠れてトンズラこいてるモヤシの台詞とも思えん」
『そっちこそ、ずいぶんと幼稚でお安い挑発だね。そんな子供染みた見栄に付き合う僕だと思ってるの?』
「別に付き合う必要はないさ。というより、たとえ嫌でも貴様とは近い内に面を合わせて会うことになりそうだからな」
『そうだね。その内に、ね……。それじゃあ、ひとまず今日のところはこれでお暇させてもらうよ。ただまあ――』
その時、傀儡となった僧の身体が突如として膨れ上がった。
「なっ!?」
「兄様っ!」
――体内の法力が方向性を失い暴れ回ってやがる! このままでは―――!
そして、二人の懸念を肯定するように――。
『生きていればだけどね♪』
その嘲り声が口火だったがごとく、その瞬間――僧の身体が四散して弾け飛ぶや、爆裂が生じ、樰永たちがいるこの場を、凄まじい爆炎が瞬く間におおい吹き飛ばした。




