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第参章 鬼神相愛 接続章 樰永

 俺が、いつから(あいつ)のことを女として好きだったかだって?


 知るか。


 気づいた時には――否、生まれた時から唯ひとりの女として愛していたとしか言いようがない。


 陳腐とか言うな。本当にそうとしか言いようがねぇんだから、しょうがねぇだろ。



 物心ついた時から俺の隣には、当たり前のように朧がいた。まあ、妹な上に一歳違いだから当たり前と言えば当たり前なんだけどな……。


 朧は俺の後をいつもくっついてきた。


 俺もそれが嬉しくて、あいつを連れまわして、秋羅(しゅら)の山野と空を赤羅(せきら)に乗って翔けては狩りをしたり、海で泳いだ。黄泉(おうせん)の市で買い食いしたりもした。


 俺にとって朧は半身も同然だった。俺の隣にいるのがもう当たり前で、いないなんてもう考えられなくなってて……。


 それが当たり前のように続いていくって微塵も疑っていなかった。


 ただ、それが兄妹としてのそれじゃなく、()()()()()()()()だと明確に自覚したのは、やっぱあの時だと思う。



 八年前、(おぼろ)がまぎれた商船が嵐に遭ったあの日。



 (そら)も海も荒れに荒れたまぎれもない嵐の只中、俺は小さな身体を土砂降りの雨に打たれながら、呆然と荒涼たる海原を見つめていた。


 視界すら儘ならない、すべてを呑みこみ圧し潰す曇天の海の渦中に朧がいる。


 それがいったい何を意味するのか、九つのガキでも容易に想像がついた。



 ()()()()()()()()()()()


 ()()()()()()()()()()()()()()


 ()()()()()()()()()()()()()()()



 その絶望的な現実をおぼろげに悟った俺は――駆け出していた。


 気づいた時には、荒れ狂う海と波を前に立ち往生する漁師たちを尻目に、波止場に繋がれた小舟へと飛び降りるように乗りこんでいた。


 漁師たちや周りにいた家臣たちが何事か叫んでいたが、それさえ俺の耳には入らなかった。


 俺の耳や目、全神経はすべて朧で占められていた。


 止められる暇も与えず、俺は船を繋いでいた縄を脇差で断ち、櫂を手に荒ぶる嵐の只中へ漕ぎ出した。


 無謀だって? ああ、俺もそう思う。


 だが、迷いなど微塵もなかった。この海のどこかに朧がいる。その事実の前にそんなことは些事でしかない。


 あいつを失う以上の恐怖なんてない。


 あいつがいない世界なんて意味がない!


 その一心と一念だけでいっぱいいっぱいだった俺は、無謀であること自体頭から吹き飛んでいたんだ。


 それから俺は、暴れる波と暴風をかきわけるようにして櫂を漕いだ。身に打ちつけ、視界を塞ぐ雨など気にもせず、ひたすらに吹けば飛ぶような小舟を、前へ前へと進めた。


 ただただ、朧の元へ。


 この時、俺の頭にあるのはそれだけだった。


 今にも俺を吹き飛ばしそうな暴風も、今にも俺を呑み込みそうな荒れ狂う波も、深淵を通り越して射干玉(ぬばたま)の闇を溶かしたような暗色の海面も、俺は恐れるよりもうっとうしいとしか思わなかった。


 どけ! 


 邪魔をすんなよ!


 おまえらがそんな通せんぼしていたら、朧の元に行けねぇだろ!!


 このままじゃ手から、指から、すり抜けていってしまう。(あいつ)が!!


 そんなことは認めない! 認めてたまるかッ!! 


 怖れ以上の焦燥と怒りが俺の中に渦を巻いて、冷たい雨霰と波を撥ね退けていた。


 こんな荒れに荒れた大海原のど真ん中であいつを探す当てなんて当然ない。 


 だから、どうした。


 そんなものは引き返す理由になどならない!


 見つけるまで漕ぎ続ける! 手足が千切れたってやめてたまるかッ!!


 そう己自身を鼓舞し、ひたすら荒波に逆らって櫂を漕いだ。やがて櫂を持つ手は血がにじみ出し、この嵐で沈められたのであろう船の木片が飛んでくることさえあった。


 加えて、身体も容赦なく打ちつける冷たい雨霰(あめあられ)で冷えてきたはずたが、この時の俺は気づくことも……いいや、歯牙にもかけなかった。



 そうして小舟を進めて数刻が経った頃、雷雨と暴風でおおわれた視界に大きな船の影がおぼろげに見えた。


 もちろん、それが朧がまぎれた商船だという保証はなかっただろう。


 だが、俺は不思議と確信していた。


 目と耳が、全神経、全細胞が、けたたましく叫んでいた。


 俺の最愛(おぼろ)はあそこにいると!


 そう悟った瞬間に俺は櫂を漕ぎ続けながら、喉が焼け切れると思えるほどの声量で吼えた。


(おぼろ)――――――ッ!!!」


 魂を搾り取らんばかりに俺は愛しい名を呼んだ。


 そしてそれに応えるように、彼方の船の甲板へ俺がなによりも探し求めていた存在が躍り出て、なにより聞きたかった声を鳴り響かせてくれる。



「兄さまぁ――――――ッ!!!」



 ああ――


 その声を認識した瞬間、櫂を捨て、乗っていた小舟を踏み台に最愛(おぼろ)がいる(ばしょ)へ飛んだ。


 小舟と商船の距離はかなり開いていた上、相も変わらず強風が渦を巻いていたが、そんなこと知ったことじゃなかった。


 ただ一刻も早くあいつの元へ。俺の頭にあるのはそれだけだった。


 強風であらぬ方向へ流されそうになるが、妖力の放出で方向を修正して転がりこむようにして商船の甲板へとたどり着いた。


 叩きつけられるような形になったため、俺は痛みに呻きながらもおもむろに顔をあげた。瞼を開くと視界は紅く染まっていた。どうやら額が切れて血が目に入ったらしい。


 だが、そんなこと――俺のことなんてどうでもいい。俺なんかよりも優先すべきものがある。


 今更になって激痛に悲鳴をあげる身体を起こし、額からの血でにじんだ視界にあいつの姿を映した。


 雨で身体中に張りついた黒髪、今にも泣きそうな潤んだ黄金の瞳、恐怖に強張った幼い美貌(かんばせ)、震える唇。


 それらを視認するや否や、俺は駆け出した。


 痛みなんて忘れたかのように、一心不乱にやっと見つけた――取り戻した宝物を抱きしめた。もうどこへも逃がさないように。


 この手と身体を通して柔らかで愛しい温もりが伝わってくる。それが雄弁に朧が生きてここにいることを教えてくれる。


 そう思ったら俺はこれまで堪えてきたものが決壊し、気づいた時には両の目から雫をこぼしていた。


「朧……! 朧っ! よかった! 本当によかった……っ!」


 それに腕の中の朧も号泣で応えてくれる。


 そうして俺たちはしばらく二人して抱き合いながら泣き喚いていた。



 そうだ。この時に俺は朧という存在の重みと愛しさを自覚したんだ。

 

 朧は俺のものだ。俺も朧のものだ。誰にも……それこそ死神にだって渡さない。


 俺と朧は死が互いを分かつまで永久に添い遂げるのだと。


 そう強く願い誓った。







 だが、それはとうてい叶うはずはない――赦されない願いと誓いだったと知るのに然程時はかからなかった。


 当然のことだ。


 古今東西、同じ父母の血を分ける兄妹が番うなどもっての外の大罪。


 誰もが暗黙の内に了解している、言語道断の禁忌(タブー)なのだから。


 誰もが成長とともに自然と悟る絶対の掟だ。


 実の妹に異性としての情欲をむけるなど、畜生以下の所業でしかないと俺も自然と理解した。


 だからこそ、こんな気持ちは幼い戯れの名残り……もとい思春期による一瞬の気の病でしかないのだと己に言い聞かせ、毎日のように水ごりをして風邪をひいて寝込んだを繰り返して、打ち消そうと試みた。


 が――


 結果はまったくの無駄だった。 


 考えないようにしても、気づくといつの間にか、朧のことばかりを考えている。


 目を逸らそうとしても、結局視線は朧の姿ばかりを追っている。


 無視しようとしても、朧の笑顔を見るたびに嬉しくてしかたない。


 何より極めつけは、朧は日に日に綺麗になっていくときたもんだ。


 青みがかった黒髪はひと筋ひと筋がなめらかに艶めきはじめ、黄金の双眸は黄水晶(シトリン)のような光沢に煌いて、雪のように白い肌の美貌(かんばせ)は、少女の幼さと大人の女としての妖艶さが奇跡的な黄金律で同居する美しさを大輪のように咲かせはじめた。


 さらに何よりも、身体つきもその……より女らしくなって、ガキの頃から一緒にいたはずなのに、いつの間にやら目のやり場に困るありさまだ(特に胸が)。


 その上、その上だ……!


 夢に何度もあいつの艶姿が出てきて、毎朝密かに寝巻着や夜着の洗濯をする破目になった……。


 我ながら重症にもほどがあると思った。妹へそんな性的な目を終始向けるばかりか、夢でまで欲情するなんて……!


 本気で俺って奴はケダモノではあるまいかと悩んだ。


 挙句にあいつの成人の儀に八つ当たりするだなんて最低だ。


 師匠――リオナにも言われたが、いつまでもあいつを俺の手元になんて、縛りつけられるわけがない。


 また、そうしていいわけがない!


 だからこそ俺は荒療治を決めた。



 扶桑(ふそう)の都に父上らと公事のため赴いた時、俺は同じく同行していた義正(よしまさ)に頭を下げ都の遊郭へ連れて行ってくれるよう懇願した。


 表向きこそ「元服した今こそ俺は真の武士(おとこ)になる!」という理由だが、実際は無論のこと朧のことを吹っ切るためだ。


 これ以上は本当にシャレにならない。その内に俺はこの衝動のままに朧を犯しかねないと本気で思い悩んだ末にした苦渋の決断だった。


 幸い義正の奴は大して追及せず快く引き受け案内してくれた。少しばかり良心が痛んだが、背に腹は代えられない。


 この時の俺は、一刻も早くこの畜生のような気持ちを払拭せねばならないと焦燥に駆られていた。



 だが、結論から言ってこの試みも徒労に終わった。


 いざ遊女を抱く段になって、俺の脳裏に過ぎったのは、相も変わらず夢想し続けていた朧の艶姿だった。


 組み敷いた遊女の姿や仕草、視線に息遣いが、すべて朧のそれに上書きされていく。


 あ、これ本当にもう駄目だ。


 この醜態(ざま)に俺はそう悟った。


 我ながら病んでいる自覚はあったが、これ完全に重症のやつだ。それも不治だ。


 この期に及んで、俺の頭を占めるのは結局は(あいつ)のことだけだった。


 こんなのいったいどうしろって言うんだよ……!?


 

 俺のこの無意味な試みの結果は、結局親父殿からの拳骨と、何より朧の平手打ちを喰らうだけのものとなった。


 その時には、もう完膚なきまでに朧に嫌われたと一時絶望もしたのだが、翌日にはもう朧は普段通りに接してきたので、俺もそれに合わせる形で普段通りの応対をした。


 それ以来、俺と朧の仲は"兄妹"から何ひとつ変わってはいないし、縮まってもいない……。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いや、もう……朧さんに対する樰永さんの溢れる想い、すごい熱量! どれだけ朧さんを好きか、これだけ語れるのにいざとなると一歩踏み出せないんだから、アフリマンに揶揄われても仕方ないですよ、樰永…
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