断章 倭蜃国建国記
大まかな倭蜃国の歴史です。後々の話の伏線も兼ねてます。
骨休みも兼ねまして暇潰しに昔語りを致すことにしましょう。
千年前――まだヒトと妖の境界線が曖昧であったと言える時代。後の世に黎明の御代と呼ばれる時代の話を。
この当時はまだ『倭蜃国』と言う名称はなく。極東の小大陸は、壱百八に分かたれた大小の豪族たちに加え、妖など怪異の一族が割拠し、小競り合いを続ける国とすら言えぬ、それこそ今現在の戦国時代が生温く思えるほどの無法地帯でありました。
豪族たちは目先の利害のために争い、妖たちも己の縄張りを守るために爪を振るい牙を剥く。
血の雨が降り積もり大河を成さぬ日はない、まさに修羅の地獄とも言うべき日々が永劫に続くかと思われた時――"英雄"と呼ばれる者が現れることは、古今東西共通な世の常というものでしょう。
その英雄の名を零犰那。
彼こそが小大陸で暴威を振るう壱百八の豪族たちと妖魔四十八族の統一を果たし、倭蜃国と王家を創建する後の初代国王・磐余零犰那王そのヒトで在らせられます。
今でこそ現人神の神祖とも崇拝され信仰されている方でございますが、その出自は定かではありません。
それはさて置くとしても、何はともあれ乱世に起った英雄・零犰那は、実の兄弟以上の信頼を寄せる盟友とも言うべき五人の豪傑たちとともに乱世の平定へと乗り出されたのです。
そして、数多くの戦で勝ちと負けを重ねながらも極東大陸の一統を成し遂げられ、ここに『倭蜃国』という国家が初めて現出することになるのでございます。
王に即位し初代・磐余零犰那王となられた英雄・零犰那は、倭蜃国で最も格が高い霊脈と龍脈が流れる霊木『扶桑樹』の根元を中心に据え、五芒星を象った大都市『扶桑京』を建設し、都に据えられると、盟友である五人の豪傑を王を補佐し、家臣を取りまとめる大臣としました。
さて、感の鋭い皆様方ならもうおわかりでしょうが、これが後の五大摂権家の始まりでございます。
とは言え、彼らの家と末裔たちがそう呼ばれ倭蜃の実権を握るのは、ここから三百年も後のことですので、ひとまずは割愛致しましょう。
何はともあれ、磐余零犰那王が国の体制を固められた後、幾多の名君や暗君、あるいは暴君など世の常として君臨しながらも、倭蜃王国は長い安寧の時を歩みました。
殊に中興の祖ともいうべき名君・第十代国王・須佐塰瑞王の御代には、すぐ隣の東西大陸の中原を治める驍帝国にさえ引けを取らぬ大国にまで成長するほどでありました。
されど――
第十三代国王・豊陽阿須那部王の御代……。
彼の王の急死とともに王家は途絶えました。
ただ途絶えたと申しましても、その詳細はどの歴史書にも詳しく記されておりません。
また、豊陽阿須那部王がいったいいかなる王であったかさえ、今に至るまでわかってはいない始末でして。
それこそ名君であったのか、凡君であったのか、暗君だったのか、あるいは暴君であったのか、そんな簡潔な評価さえ何ひとつも残されてはいないのです。
どういうわけか歴史書は何れも"彼の王の治世三十五年"を、ほぼポッカリ抜かして書かれているありさまでして。
倭蜃の史家たちの間では、今でも論議を交わすほどの謎となっております。
さて、ともかく王家が絶えた後は、ご存知のように五大摂権家を筆頭とする公家たちの合議制で国政を動かすことと相成ったのでございますが……。
やがて、その統治は各家の都合や利害が複雑に絡み合う混沌とした様相を形成することとなり、お世辞にも善政とは言い難いものでありました。
ともあれ、この合議制による四百年の統治を世に言う、公家摂権時代と申します。
また、妖との混血で強大な武力を生まれながらに持つようになった下位の公家や地方豪族・地下人などを、戦働きや野盗・海賊の討伐、宮廷や公卿の警備を担わせ、"武士"として抱え込んだのもこの頃からです。
そもそも妖との婚姻は、公家たちが推奨もとい半強制的に進めていた部分もありました。妖の血を取り入れることでより強い武力を産み出すために。
国の防衛面から、より強い兵を拡充する必要に迫られていた部分があったことも確かですが、彼らの勢力争いのための駒を揃える意味合いの方がより強かったこともまた事実。
より悪く申し上げてしまえば、さながら家畜や牛馬同様の扱いと言えたでしょう。
されど、それは同時に武士たち自身の力と勢力を強める結果ともなり、やがて公家たちによってかけられた首の縄と鎖を引き千切った挙句、その武力を背景に公家たちが独占してきた権力を奪っていくこととなるのです。
特に、元から独立独歩の性格が強かった北方應州は、それが顕著であったと言えるでしょう。
公家摂権時代からの酷政により、不満鬱憤が溜まりに溜まっていた俘囚と蔑まれてきた北の民たちも、四世紀もの臥薪嘗胆を経て、磨き鍛えあげてきた狩猟技術・武芸技術に加え、脈々と受け継がれた色濃い妖の血と妖力をもって次々と武士化し、朝廷の支配に抗うようになりました。
その中で台頭してきたのは、古より大蜘蛛の血を引き、代々俘囚長のひとりを務めてきた豪族・芦藏嵩邦という男でした。
應州十六州は、元々最も反抗的だったこともあり、朝廷により数百に及ぶ郡(行政区画)へと区分けされておりまして。その各郡につきひとりの囚長にある程度の自治を任せて、徴税を取る仕組みを取っていたのです。
もっとも、神林を抱える鬼灯国は永世中立地帯とも言える場所で、朝廷も王家が健在であった頃から一切の手出しは罷りならず、倭蜃国の建国以来国随一の社として尊重され、神林の化身ともいえる木霊の血を汲む神職の一族が管理しており、半ば例外的な独立権を許されておりました。
その一族もやがて武家化して大樹家と名乗るのですが、それは別の話でございます。
ともかく、嵩邦公もそうした囚長のひとりで羽蝉国の麓翆郡を預かっておりました。
麓翆郡は莫大な翡翠の名産地でもあり、そこからもたらされる莫大な富を武器に、まず羽蝉国を統一し、應州十六州の切り取りに取りかかられたのでございます。
さらに、金と銀の鉱脈が眠り西界へと繋がる海に面した秋羅国を手に入れられると、瞬く間に鬼灯国を除く十三州を制圧し、應州一帯の覇者となられました。
さらに西国に当たる播州五ヵ国・地真十三州・南方肆海四州でも開発領主や有力な名主や土豪などが朝廷の支配に反発して、やはり武装化・武士化していきました。
南西方汲州九ヵ国でも、紅蛇国の近海を縄張りとしていた上條海賊や刑部国の寺社で妖狸との交わりが深く、多くの僧兵を抱え込んでいた寺院・胤宗寺などが勢力を強め武士化しており、もはや公卿たちの手前勝手な利害で身動きがとれぬ合議制では歯止めがかからぬことは、誰の目から見ても明らかだったでしょう。
こうして武士たちが公家や朝廷からの支配を脱却し、力を強めていく中で、かつての磐余零犰那王と同じく彼ら武士を取りまとめる者が現れました。
その名を天柳雅剋と言い、当時は正八位下の右衛門大志の官職を務める下級武士のひとりでありました。
雅剋公は、武士としての技量は中堅所と言った程度で別段機略に富んでいるとも言い難い人物でして。出身の天柳家(まあ当時は柳馬家と申しましたが)にしても武家の家格はそれほどではなく、領地にしても東国桓東に村ほどの大きさ程度。
加えて妖との混血でも何でもない家でしたが、ひとの得意分野を見抜き適材適所につけるという特異な才を持っておりました。
何よりどうにも憎めず放っておけないという妙な気質に、多くの武士たちが惹かれ集うこととなったのでございます。
そうして徐々に味方を増やされた雅剋公は勢力を着実に拡大なされ、これまで公家たちの牛馬同然な扱いであった武士や武家の地位を大きく向上させることに努められました。
そして同時に、扶桑の朝廷とは別の政権――即ち後の武家政権を創始することをこの頃から視野に入れはじめたのでございます。
まず、ご自分の傘下に入られた武家や武士団を"御家人"とし信賞必罰を旨とした軍法を布かれました。
彼らの奉公に対し御恩という形で土地を与えることで主従の契約を結ぶ一方、自分の赦しなく朝廷の官位を得ることを堅く禁じたのです。
それはすべての武家をご自身の統制下に置くと同時、それによって自分たち武士が朝廷に取り込まれ、以前のように牛馬のごとく扱われることを防ぐためでもありました。
もっとも、実際にこれらの規律や組織図を編み出し執行したのは、雅剋公の無二の親友にして義兄弟であり、後に初代筆頭管領に任ぜられた、識束圀昶公であらせられましたが……。
この御仁はなかなかに出来た女房役でして、人が好きすぎるきらいがあられた雅剋公を公私に渡って支えられました。
また、彼の弟御も文武に優れた方で桓東を取り仕切る桓東管領に任ぜられ、そこら一帯に幅を利かせていた大天狗一族の娘を妻に娶り、以後性を識束から殯束と改めましたのは、それもまた別の話。
ともかくもこの新体制の元、桓東十八州並びに扶桑京をはじめとした天畿十一州の支配を固められ倭蜃全土の統一を進めて行かれたのです。
しかし、その統一事業に待ったをかけたのが、應州十五州を制圧した芦藏嵩邦でした。
九年にも渡る戦の末、鬼灯国の大樹家をはじめ芦藏の分家筋を味方につけたこともあり、嵩邦公を討ちとることで應州十五州を制圧され、こちら側についた分家筋に羽蝉一国を与えられ、残る十四州を功臣たちに分け与えました。
その五年後、應州征伐の成功が起爆剤ともなった結果、残る地真・肆海・汲州も四苦八苦しながらも支配下に置かれ全国の一統を成し遂げられました。
何はともあれ、これを以て倭蜃国は王を代行する公家の合議制から武家による軍事政権『大君府』への移行を果たし、今現在の我らが知る侍の国たる倭蜃国の形ができ上がったのでございます。
それ以降三百年は再び比較的安定した時代が続いたのでありますが、今やその大君府も潰え、倭蜃の国は再びの戦国末世へとなり果てた上、海を隔てた列強の国々にも付け狙われているなど、まさに外憂内患の様相を呈しております。
そして、その時代にもまたひとり……否、二人の英雄が生まれ出でようとしているのでございます。
私、ゼファードル・カルドゥーレは、そのお二人――鷹叢樰永公と朧姫の活躍と秘めたる恋の軌跡を生暖かく見守ろうと思います次第でして。
皆様もどうか最後までお付き合いくださることを切に願います。
では、これにて。
では木曜の更新でまたお会いしましょう。




