第参章 鬼神相愛 二 都道中
『磐斯国』
鷹叢北應州七ヵ国が一国にして、桓東の入り口に当たる淦狗国と隣接している。そこからさらに国を四つ跨いで通り抜けて、やっと扶桑の都へ辿り着ける。
その街道を樰永たちは駿馬を駆っていた。
「……解せません。なぜ、セキラで飛んでいかないのですか?」
アフリマンが胸板を背にして不平をのたまうのを、樰永は嘆息で諫めた。
「何度も言っただろ。これは忍びの旅だ。そこへ赤羅に乗って飛んで見ろ。目立つこと請け合いじゃねぇか」
今、樰永はアフリマンを自らの前に乗せて駿馬を駆っている。
そこへ同じく駿馬に騎乗した朧が並走して、こう付け加える。
「まして、天馬なんて倭蜃国にはそうそう存在しませんもの。それが赤毛の天馬というならなおのことです。そもそも天馬は赤羅一頭だけですから、私や叔母様たちがついて行けません」
その声は悲しいかな棘があるように思えたが、樰永は気のせいだと己に言い聞かせて締め括る。
「そ、そういうことだ」
「む~~。わかりました……」
アフリマンは不承不承という体でふてくされた返事をするが、次の瞬間には隣を並走する朧をジト目で睨んだ。
「わたしがユキナガと同乗しているからと言って、八つ当たりは迷惑千万なのです」
「なっ!? 私がいつ八つ当たりなんて……!!」
途端に激昂する朧に、アフリマンはふふんとこれ見よがしに鼻で嗤った挙句、樰永の胸へといっそうすり寄った。
「ほら、やっぱりなのです。ユキナガ、オボロはホントに焼き餅焼きでブラコンなのです」
その明らかな挑発行為の数々に朧の堪忍袋も切れ、文字通り鬼のような形相で詰め寄る。
「あ・な・た・ねぇ~~~!!」
「おい! おまえら馬上で喧嘩すんなよ!!」
馬の上ですったもんだを繰り広げようとする愛妹と相棒を、樰永は大わらわで仲裁に努めなければならなかった。さらにそこへ――
「いやはや、これはとんだ両手に華ですなあ樰永殿」
その後ろから、カルドゥーレが同じく馬上から茶々を入れる。
「おまえは煽るな―――!!」
「…………」
じゃれ合う四人に、後ろから追随して駿馬を駆る啓益は複雑かつ懐疑的な視線を注ぐ。
そんな仏頂面の古武士に並走して、永久が酒入り瓢箪を呷りながら鷹揚に話しかける。
「どうした? さっきからムスッとしやがって。せっかくの旅路が辛気臭せぇじゃねぇか」
「……某はいまだに納得できませぬ。朧姫をこの旅に連れて来る必要性なぞどこにもなかったはず」
「まだ、言ってんのかよ……。それについちゃ、もう散々に話しあっただろうが。本当にねちっこい野郎だな、テメエは」
永久が呆れたように言うが、啓益は憮然とした面持ちで続ける。
「若殿も若殿でござる。この旅が持つ重要性と意義を、あのような体たらくで本当に認識しているのでござろうか?」
いらだちさえまじった声音で吐き捨てながら、改めて前方で駆けながら他愛ない会話を続ける兄妹と神を睨む。
しかし、そんな苦言もどこ吹く風とばかりに、酔っ払いは古武士の背中をバシバシと叩いて豪笑する。
「あっはははははは! いいじゃねぇか! ああして馬鹿をやんのは、若い奴らの特権ってモンだ。それに、あれならかえって怪しまれねぇだろしな。むしろ、おまえのその仏頂面の方がより勘繰られ易いぜ? おまえもせいぜい愛想を振り撒いとけよ、愛想を」
「……っ! 某のこの顔は性分でござる。普段と異なることをしても、それこそかえって目立つと存ずる」
すると、永久はすんなりと手をポンと打ち「あ、それもそうか」と前言をあっさり翻した。これにより啓益から殺意まじりの視線で射竦められたのは言うまでもない。
「……っ!! ともかく! ここから先は、もはや我らが勝手知ったる應州に非ず。鷹叢の支配が及ばぬどころか伝手などありはしない桓東から扶桑に至る天畿に足を踏み入れるのでござる。言うなれば、敵地も同然。どうか油断なきようにお頼み申す」
その殺意をどうにか押し殺して忠言する啓益だったが、永久の興味は既に手にした瓢箪の酒だった。
「ふい――! やはり馬に乗りながらの一杯も乙だな~~」
「話を聞け! この蟒蛇女ッ!!」
遂に、敬語すら吹っ飛んで爆発する。
「冗談だ、冗談。言われるまでもねぇよ。……確か、淦狗国と言やぁ、北桓東五か国を有する殯束の領地だったな」
古武士の憤激に、永久は手をヒラヒラと振って平謝りすると話を真面目な路線に切り替えた。
それに啓益も気をとり直したように講釈する。
「はっ。殯束家は大天狗の末裔であるとともに、初代大君から桓東管領に任ぜられた名門中の名門武家でござる。現在は我らや芦藏と同様に、南桓東六か国を有する宗叵と覇権を争っている最中故、我々の動きにまで気を配る余力はないと思いたいところではござるが……」
「わかってるさ。何事も絶対なんぞねぇし即断は禁物だ。芦藏の坊やが殯束にまで手を回していねぇともかぎらねぇからな」
「そこまでわかっていらっしゃるのなら……何故に姫君をお止めしなかったのでござるか?」
途端に、呆れ顔になる永久。
「結局はまたそこかよ……。この期に及んで女々しいにもほどがあるぜ。朧の奴の武は、樰永にも引けを取らん。イザという時の荒事で足手まといになんざならねぇことくらい、おまえにだってわかんだろ」
「………あの姫は若君を乱す」
「あん? どういう意味だ」
「若君は――樰永様は聡明なお方でござる。普段はうつけのごとき振る舞いをしていても、それらはすべて考えがあっての事。お館様を凌ぐ先見性があり機略に富み、武勇においても並ぶ者はござらん。某は、あの方こそ、この混迷する乱世を終結させ得る新たな武家の王と本気で見込んでござる……!」
その声には、筆舌に尽くし難い切実さが込められていた。
永久にもその気持ちは理解できた。
なにせ、彼女が生まれた時から、この国は大名などの諸侯が野に放たれた獣がごとく戦に明け暮れていた。
彼らを統べ御すべき大君家も、既にそれだけの覇気と気概は微塵もなくなった末に滅び去り、荒れ果てた時代が止めどなく今に至るまで続いているのだから……。
「まあ、それについちゃ俺も異論はねぇよ。おそらく兄者もな。確かに、樰永ほどの王器ならば十二分に倭蜃の王足り得るだろうさ。で、それがどうかしたのか?」
すると、古武士の口から出た答えはあまりにも直球だった。
「なのに……あの姫はそれをすべて台無しにしてしまう……!!」
「はあ? いきなり何だ、そりゃあ?」
当然のごとくますます呆れた声音で問い返す永久に対し、啓益はいらだちすら隠さずに声を荒げる。
「あの姫は毒だ。清楚の衣を被った姦だ。樰永様を含めて皆が、衣の美しさに魅入られて気づかないのだ。そのおぞましい毒で樰永様を狂わせてしまう……! それも無自覚に、我が儘に浸食していくのだ……!」
「おい。本気で怒るぞ?」
独りで憤激していく啓益に対し、永久の声にも平淡ながら怒気が宿るが、古武士は構わずに続ける。
「その毒で樰永様を、我らの夢すら蝕み変えてしまう。そのようなことになる前に、あの姫は樰永様の傍から遠ざけるべきなのだ! 他家に嫁がせるなどしてでも……!!」
「それ……臣下としては僭越も甚だしい言動だって気づいてるか?」
永久から冷水のような声を浴びせられ、ようやく啓益は我に返った。
「も、申し訳ござらん……。我ながら言葉が過ぎ申した」
「なんにせよ、おまえのそれは考えすぎだろ。樰永の莫迦はまだしも、朧はそんな無軌道な娘じゃねぇよ」
「……そう願いたいものでござるな」
心にも思っていない言葉を吐く古武士に、永久は馬上で大きくため息をつく。
「しかし、百歩譲って姫のことは置いておくとしても……あの男は本当に信用できるのでござろうか?」
啓益が今度は矛先をカルドゥーレに変えたことに関しては、永久もさすがに呆れはしなかった。それはむしろ至極当然の疑問であり、警戒して然るべき懸念事項であるからだ。
「確かに、俺だって手放しであの男を信用できるとは思っちゃいねぇが。兄者の言うように利用価値はあるだろう。なにせ野郎の情報収集力は尋常じゃねぇからな……」
「それは某も認めまする。なれど、だからこそ腹ではいったい何を考えているのか皆目見当も付かず……」
「そりゃ、奴には奴の皮算用があろうさ。当然のこったろう? 同盟ってぇのは、元よりそういうモンだ。持ちつ持たれつが基本。はじめからわかってたことだろうが」
「無論。某とてそれは承知の上でござる。しかしそれを言うなら、あの男にとっての益とは何なのでござるか? このような東も果ての異国に、すべてを打ち捨ててまでくるほどの何があるというのか?」
「まあ、倭蜃は西界の国々から黄金境なんて呼ばれてるらしいからな。お目当ては、我らが押さえている秋羅国をはじめとした北應州の黄金と考えるのが、おおよその妥当だが……」
永久が珍しく顎に手を当てて一考するのを見て、啓益も眉根を寄せる。
「その口ぶりでは……永久殿は違うとお考えか? それもいつもの勘でござるか」
「まあな。あの男を直接見た感想なんだが、どうにもアレは単純な利得だの利害だので動くような輩には思えねぇんだよな」
「では何をもって動くと? よもや、本気で新天地を求めて来たなどという戯言を真に受けるのでござるか?」
「まさか、さすがの俺もそこまで能天気にゃなれねぇよ。第一、それがわかりゃ苦労はねぇさ。だからこそどう扱うべきか考えあぐねているんだろうが。おそらく兄者もな……」
永久が嘆息とともに吐き捨てると、啓益の眉間の皺はいよいよ深くなっていく。
「やはり危険すぎるのでは! あのような得体が知れぬ輩を若君の傍に近づけるなど……!」
「その危険すぎる輩が、芦藏に抗し得る力をもたらしてくれたんだぜ? その魂胆はどうあれな……。むこうがこっちを利用するつもりってぇなら、こっちだってとことん利用させてもらおうじゃねぇか。それで最終的に裏切るってぇなら、それはそれでもいい」
「永久殿……!」
呑気かつ悠長な物言いに啓益は反発の声をあげるが、次の瞬間には背筋に冷たい汗を流して唾をゴクリと呑み込む羽目となった。
「その時には――兄者の沙汰を待つまでもねぇ。俺が斬る」
その声音は、先刻とまるで変わらぬあっさりとしたものであったが、その芯には聞く者を心胆寒からしめるほどの冷たい鋭さがあった。歴戦の猛者にしか出せぬ声だ。
それを思い知った啓益は、頼もしさと恐ろしさが綯い交ぜになった視線を、女武者に向けながらもおもむろにうなずく。
「はっ。その時はどうかお任せ致す……」
「ユキナガ~~。こんな焼き餅焼きの小姑は放っておきましょうです。わたしと都まで愛の逃避行としゃれ込みましょうなのです」
間延びした。されどもこの上もなく棒読みな台詞を自分の膝下でのたまう相棒に、樰永は胃が締めつけられる気分だった。
何故かと問うまでもなく、隣を並走している愛妹が、殺意まじりの視線で射殺さんばかりに睨んでくるからだった。
「~~~~っ! ……もういいです」
「朧?」
「もう、兄様たちはそのままよろしくやっていてくださいな。私は一足先に参ります」
言うだけ言って、朧は樰永の馬を追い越して先へと駆けて行ってしまった。
「おやおや、これはこれは………」
カルドゥーレは、惚けるような顔であからさまなため息をつく。
「ふむ。上々吉、ですね」
一方で、それを見て得意気に胸を張るアフリマンの口を、樰永は思いっ切りつねって引っ張る。
「ど・こ・が・だ~~~。おまえのおかげで、ますます拗れたじゃねぇか……!」
「まっひゃっく、ゆひながはどんふぁんなのれふ(まったく、ユキナガは鈍感なのです)……」
一方のアフリマンは主の鈍感さに呆れ返っていた。
自分がわざわざ、朧の前でこれ見よがしにすり寄っているのは、何のためだと思っているのかと、アフリマンは内心で悪態をついた。
――オボロのこのあからさまな振る舞いの数々こそが、あなたへの気持ちの何よりの顕れと、なぜ解せぬのですか。オボロもオボロです! 肝心なところで天邪鬼だから、ユキナガの野郎がまるで気づきやがらないのです!
兄妹の余りある不器用な醜態にやきもきしていたアフリマンは、ジト目で主を睨み据え念話で物申した。
『文句ばかりのたまってないで、少しは自力でオボロとの仲を縮める努力をしなさいなのです。そも肝心な時にヘタレるから一歩も進めていないのではないですか』
(っぐ……! 俺だって機会ぐらい掴めれば……)
『昨夜、その機会を自らふいにしたのはどこの誰なのですか?』
途端に、ぐうの音も出なくなる樰永。
そんな主の眼前にひとさし指を突き立てて悪神は、
『ともかく、この旅で"兄妹の壁"をぶっ壊しなさいです。それが臣下たるわたしが王たるあなたに課す今回の試練なのです』
と申し付けるが、樰永はいまだに渋い顔だ。
(だから、今回の旅はそういう――)
『また言い訳を並べて逃げるのですか?』
(っ!)
機先を制された樰永は口を噤み、次の瞬間には鉄面皮の悪神を睨む。
(……俺が逃げる、だと?)
その言葉に、アフリマンは無表情のまま、ただし口唇だけ笑みの形を作り、煽るように捲し立てる。
『ええ。その通りです。口ではオボロが欲しいなどとのたまっておきながら、イザともなれば上手くもっともらしい虚飾を並べ立てて、尻尾を巻いて逃げだす臆病者なのです。それでよく武士の棟梁になるなどと大法螺を吹けたものなのです~~』
口笛さえ吹いて好き勝手にのたまう相棒に、樰永はワナワナと震える。
『おや? 本当のことを言われてご立腹なのですか?』
さらに挑発の言葉で煽るアフリマンに樰永は――
「わっかったよ!!!」
大音声で吼えた。
あまりの音量にアフリマンと後ろにいたカルドゥーレは両耳に指を突っ込んで塞ぎ、後方の永久や啓益は何事かと目を白黒している。
「どうせダメ元な勝負なんだ。やってやろうじゃねぇか!!」
その途端に、アフリマンはしてやったりという笑みを浮かべる。
「……武士に二言無しですね?」
「無論だ!!」
――なんか乗せられた感もあるが、構いやしない。何故なら、これはまぎれもなく俺が望むことなのだから!!
そう決意するや否や、先に駆けてしまった愛妹を追うべく一気呵成に馬脚を速めた。
それを後ろで見ていたカルドゥーレはというと、顎に手を当て笑みを溢した。
「ふむ……。これは思ってた以上になかなか上首尾なようですね」
その笑みには、どこか普段と異なる冷たさと貪欲なまでの情念が渦を巻いていた。
眼前で追いかけっこをしている兄妹は、それにまるで気づかない。
だが、逆に商人は兄妹をしっかりと視界に捉えている。まるでどこへも逃がさぬとばかりに。
――とうとうここまできた。ここからが本当に正念場だ。あの兄妹にとって。何より私にとっても……!
カルドゥーレは口角を上げほくそ笑んだ。
――既に、種は蒔いた。芽吹くには水と陽が必要だが、それは私が何もせずとも、自ずと諸人が否が応でも二人に与えてくれるだろう。後は満を持して、果実が実るのを待つばかり……。
自然と手綱を握る手に力が込められる。
――完熟した実りを摘み取り、この手に収めるのは、この私だ。何人も――そうとも。たとえ天とて邪魔立てなど赦すものか。
それは怨念にも等しい熱情だった。否、獣性と言い換えてすらいいかもしれない。
――そのために私は――そのためだけに俺は、すべてを裏切ってまで恥知らずにも今日まで生き永らえたのだから――
穏やかな水面を映したような紺碧の双眸には、獰猛なまでの焔が静かに――されども、確と燃え盛っていた。




