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第参章 鬼神相愛 一 雅なる蠱毒壺

新章開始です!

 千年の王都『扶桑京(ふそうきょう)

 

 倭蜃(わしん)国の初代王が築いた千年の歴史を誇る神都であり、政治と経済を司る中枢。


 樹齢三千歳を超えるともいわれ"神樹(しんじゅ)"とも称される、天にも届くほどに巨大な樹木『扶桑樹(ふそうじゅ)』を中心に巨大な五芒星の結界を張り、それに沿って広がった大都市である。


 まず神樹の根元に王が住まう大内裏(だいだいり)を築き、それらを囲むように公家の邸宅が立ち並び、五芒星の中心地を占める。


 線に当たる部分が街道となり、それに沿う形で僧侶の寺院や官僚育成機関たる大学寮、商人・職人・庶民の店や長屋などが立ち並ぶ。


 王家が断絶した後も王都の名に恥じぬ繁栄を享受し、華やかな黄金文化を誇った一方で軍事面では心許ないとしかいいようがない。


 なにしろ山に囲まれた盆地故か、侵攻可能な経路(ルート)が複数あり、敵に攻め寄せられた場合は兵力を分散して散らさざるを得ず、防御面は結界がなければ、はっきり言って惰弱だ。


 しかも、神樹の寿命が尽きかけているため結界の力は年々と弱まっており、近年は徐々に野盗や妖魔が出没している問題に悩まされているなどの問題を抱えている。


 王と王家が亡い現在は、かつての『王家』に仕えた最初期の家臣の末裔である上級貴族、五大摂権家(ごだいせっけんけ)を中心とする『公家』が合同で統治に当たっている。


 だが、その専横と悪政は、公家(くげ)摂権(せっけん)時代から大君(たいくん)武家(ぶけ)による軍事政権、現在の群雄割拠の戦国時代に世が移行してなお変わっておらず、民衆が貧困に(あえ)ぐ中で王に代わって大内裏に鎮座する公家たちは、民の血税で豪華絢爛な宮廷生活を謳歌(おうか)していた。

 





 五大摂権家筆頭、一条宮邸。

 

 この日、現摂権(せっけん)にして従一位(じゅいちい)太政大臣(だじょうだいじん)一条宮(いちじょうみや)是叡(これあき)によって、五大摂権家(ごだいせっけんけ)の全当主が集められ、定期会合が行われていた。


「さて、此度集まってもろたのは他でもない定期会合でおじゃるが、はじめの議題は、芦藏(あしくら)鎮守府(ちんじゅふ)将軍(しょうぐん)任官の件でおじゃる」


 黒い束帯に身を包んだ美丈夫が上座に座って、細く慇懃な色を帯びた双眸で、下座に座る当主たちを睥睨し涼やかに宣言する。


 この男こそ、齢三十七にして摂権の座にある一条宮是叡である。


「ふん。その件は保留と前回の会合で決まったばかりのはずやが?」


 恰幅がいい眼帯をした老公卿が、右の隻眼(せきがん)で睨む。


 正三位(しょうさんみ)大納言(だいなごん)にして楠原(くすはら)家当主、楠原(くすはら)治禎(はるさだ)


 五大摂権家最年長の公卿で"老公"の異名を持つ摂権家のご意見番。公家でありながら武術にも長ける老傑だ。


「何を()うでおじゃるか! 貴卿と清聡殿が、駄々をこねておられるだけではおじゃらんか!」


 老公の言葉に反発するのは、正二位(しょうにい)左大臣(さだいじん)にして鷲司(わしつかさ)家当主、鷲司(わしつかさ)前嗣(さきつぐ)


 是叡に次いで公家政権の復権を強硬に唱える硬骨の公家である。


「ふん。それは、はたしてどちらかわからんものやな」


 鼻を鳴らして前嗣の言葉を、若造と言わんばかりに一蹴する治禎。


「なっ!? いかに老公と申せども、左大臣たる身共(みども)に対してなんたる……!!」


 まるで童扱いせんばかりの老公の態度に、前嗣は青筋を眉間に立てて憤激する。


「まあまあ、前嗣殿も老公もおさえて、おさえて……」


 そんな二人を、どうにか仲裁しようとする柔弱そうな面立ちの壮年男性は、従三位(じゅさんみ)中納言(ちゅうなごん)にして萩原(はぎわら)家当主、萩原(はぎわら)清聡(きよさと)


 摂権家の中では位階・官位も家の力も最弱ながら、人当たりの良さから摂権家の調停役を自然と担っている。


「清聡殿。貴卿も貴卿でおじゃる! 摂権殿下の意向に刃向かうなど……!」


 矛先を自らに変えられた清聡は、オドオドしながらも忌憚(きたん)なく意見を述べる。


「い、いや、別に刃向かっているわけやあらしまへん……。た、ただ應州(おうしゅう)は現在、芦藏だけやなく永世中立地帯である鬼灯国(ほおずきのくに)を治める大樹(たいじゅ)家と盟を為した鷹叢(たかむら)家と勢力を二極化した状態であらしゃいます。そない中で片方のみの肩入れは、かえって火種を大きくいたすだけやないかと思うのですが……」


 しかし、その意見を摂権は厭らしい微笑とともに退けた。


「であればこそ、その火種を鎮めるための鎮守府将軍任官でおじゃる。鷹叢のごとき成り上がりの蛮人(ばんじん)どもを征伐し、應州の地に安寧をもたらしたもうため、彼の地の正当な地頭である芦藏を改めて鎮守府将軍とする次第におじゃる」


 その言葉に「ふん」と冷笑でもって返したのは治禎だ。


 この老公は、若い摂権の言葉を内心でせせら笑っていた。


 ――ようも心にもあらへんことを()いよって。要は潰し合いを激化させようゆう腹積もりなのやろうが。そうして両者共倒れた暁には、自らが應州の黄金を占めようゆう皮算用か。なんとも浅ましいことやな。


「老公……! またも殿下を前に不遜なことを考えておじゃるな」


 そんな治禎の腹を読んだように前嗣が鋭く睨むが、老公は巨木のごとく揺らがなかった。


「おや? 身に覚えでもあるんか?」


「なんじゃと!?」


「お二人とも、私語はお慎みください……!」


 今にも掴み合いになりかねない二人を、清聡が必死になだめる。


 そんな中で、唯一一切の発言をしていない公卿を是叡が見やる。


「さて、貴卿はどう思うでおじゃるか? さっきから貴卿だけが何も口を開かぬでおじゃるが? 何か存念があるのであれば申してみぃ?」


 矛先を向けられたのは、四人と同じく黒衣の束帯に身を包み、顔を梵字が編まれた長い白布でおおい隠した異様な男だ。


 彼こそが、五大摂権家最後の当主。従二位(じゅにい)内大臣(ないだいじん)にして四条院(しじょういん)家の当主、四条院(しじょういん)忠遠(ただとお)


 顔を隠しているのは、幼い頃に負った火傷が原因ともいわれており、普段も公の場でも滅多に口を開かない。


 公卿の政争においても、我関せずとばかりに沈黙を保っている。


「そうでおじゃる! 貴卿はいつものらりくらりと構えよって……! 此度とゆう此度は、旗幟(きし)を鮮明にしてもらわねば!」


 前嗣もいらだちを隠さぬ声音で詰め寄り、老公こと治禎も隻眼でじろりと睨めつける。


「確かに……お主の腹が知りたいところやな。いつまでも黙り腐っとらんで、たまには思うところを述べたらどないや?」


 二人に続いて清聡も遠慮がちに口を開く。


「忠遠殿……。私としても貴方のお考えを、お伺いしとうと存じます」


 四人の当主に意見を求められた忠遠だが……。


「……前にも()うたが、俺は特に意見なんてあらへん。何れにせよ、あんたらの決定に従うがな」


「それでは(らち)が明かぬから、意見を求めているのでおじゃる!!」


 忠遠の言葉に、激昂した前嗣が畳を叩く。


 治禎も重苦しい息を吐いて不機嫌さを隠すこともしない。


「そうやっていつまで腹の中を隠しとるつもりや? それでは逆に何かを含んどると勘繰(かんぐ)られても文句は()えへんぞ?」


 しかし、忠遠も黙ってばかりではなかった。


「俺なんぞの意見を求めとる()うが、あんたらが正確に求めとるんは、()()()()()()()()()()()。そんなモンを、俺がわざわざ出してやる義理なんぞあるかいな。阿呆らしい」


「なっ!?」


「ぐぬぅ……!」


 その言葉に、二人の当主は気色ばみ、清聡はオロオロするばかりだったが、それを是叡が扇子を閉じる音で制する。


「まあ、良いでおじゃろう。それが貴卿の意見と申すなら善しとするでおじゃる」


 鶴の一声で、皆もその場はひとまず鎮まった。


 しかし、前嗣はいまだに怒りが治まらぬのか歯噛みしているし。


 治禎も得心が行かぬとばかり隻眼の鋭い視線を忠遠に送っている。


 清聡はというと困惑を隠しきれない面持ちだ。


 唯ひとり、是叡だけが余裕に満ちた笑みを浮かべている。


「しかし、これは困ったでおじゃる。相も変わらず賛成票は麿と前嗣だけか。老公と清聡卿はあくまでも反対と()わはる……。そして残るひとりはどっちつかずとは難儀でおじゃるな」


 と、ワザとらしい嘆息すらしている。四人の当主たちの中で、誰もその態度を真に受けている者はいなかった。清聡ですらもそうだ。


 ――ああ、ここで引き下がらはるような方では絶対にないやろうな……。


 清聡は内心で、この後の展開を静かに悟っていた。


「であれば、この一件はひとまずは置いておくこととするでおじゃる」


 治禎もまた内心で舌打ちを禁じ得なかった。


 ――そうや。ここまで刃向かったわしらを、この若造がこのままにしておく道理があるかいな……! おそらくはここから――

 

「では次に、というよりむしろこれこそが本命の議題でおじゃるが、今年はいよいよ百年に一度の王家鎮魂を担った新嘗祭(にいなめさい)――大嘗祭(だいじょうさい)が始まるでおじゃる」



 新嘗祭とは霜月に行なう宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)の一種――いわゆる収穫祭のことだ。


 かつては王が執り行なうものであったが、王家が絶えた今となっては摂権が王の名代として執り行う儀礼だ。


 そして、大嘗祭とは本来新たな王の即位を祝う祭礼を担った新嘗祭のことで、現在は亡き王家の御霊を慰め鎮める葬礼を担った新嘗祭を意味し百年の周期で行われる。



「特に今年は、新たに歴代の諸王の御霊(みたま)(まつ)る寺院を建立することになり、二十二年。麿の父の代から老公と清聡殿が主導で建造を進めてきたのは皆も存じておろう。竣工(しゅんこう)ももう間もなくでおじゃる。そこでじゃ。さらに老公と清聡卿に頼みがあるのでおじゃる」


「頼みやと?」


 胡散臭いと言わんばかりに、治禎は唸るように聞き返す。すると、是叡はニンマリと笑った。


「本堂の内装すべてに純金箔を施した上、千体の菩薩像を奉納してもらいたいのでおじゃる」


「なっ!?」


「じゅ、純金箔で、と申されましたか? そ、それに加え、菩薩像を千体っと申されまするか……っ!?」


「うむ。老公には金箔を、清聡殿には菩薩像をお願いしたいのでおじゃります。聞けば、貴卿の妹御が嫁がれた大樹家が治める鬼灯国からは良い木材が取れるとか。それを使っての菩薩神像……さぞかし映えることでおじゃろうな」


 ウットリと陶然(とうぜん)とした面持ちすら浮かべる摂権に、清聡は慌てて口を開いた。


「お、お待ちたもれ!! ご存知のように鬼灯国の神林や樹木は、王家成立以前の太古から(みだ)りに手を触れること能わぬ御禁制……! いかに私が親戚筋に当たるゆうても、彼らが首を縦に振ることなどあらしゃいまへん!」


「何を()いやるか。其処元(そこもと)は卑しくも公家。それも名家中の名家、五大摂権家が一角ぞ。武家などしょせんはその手足に過ぎぬでおじゃる。それを御せずして、ようも摂権家の当主でございなどと()えたものでおじゃるな」


 ここぞとばかり前嗣も追い込みをかける。


「黙れ、小童! どれだけの金が消費されるか勘定すらできへんのか!? 今日の建立だけでもかなりの金が出て行っとるのやぞ!!」


 そんな前嗣を、治禎は怒声でもって一喝する。


「そもそも、純金箔などという高価な(モン)を本堂の内装全てに貼るやと!? そんな金がどこにある()うんや! 扶桑の民から搾り取るとでもゆうんか! 長年の寺院建築による労役と重税に加え、二年前の飢饉(ききん)の影響で食うのもやっとな現状やぞ!!」


 すると、意外なことに是叡は大きくうなずいて嘆息すらついた。


「確かにのう……。今更、下々の者たちから搾り取ったとて、たかが知れたものでおじゃる。これは困ったものよのう」


「嫌にもったいぶりよって……! つまるところ、何が()いたいのや?」


 煮え切らぬ態度の摂権に、治禎はいらだちまじりの声で唸る。清聡も目で問い質すように視線を向ける。


 それに対して、是叡は口唇が裂けんばかりに笑みを大きくした。


「じゃが、遥か辺境に金が腐るほどあり余っておる田舎がおじゃるな……」


「「っ!?」」


 その言葉に二人は同時に呻くや、摂権の意図をようやくにして悟った。


「じゃが、その田舎には野猿どもがのさばっているでおじゃる。野猿どもを征伐せぬかぎりは、折角の金も手をつけられぬでおじゃるなあ」


 それは誰がどう聞いても、先刻の異議を取り消せという脅しに他ならなかった。


 治禎は、全身を赫怒に震わせながら唸るように言った。


「このままでも寺院は十二分に贅と意匠を凝らしとる……! この上の何の見栄が必要や!?」


「ふん。仮にも寺院建立の責務を請け負った者の言葉とは思えぬでおじゃりますな。王家鎮魂(ちんこん)を捧ぐ大嘗祭のための寺院でおじゃるぞ? 亡き王家を(いた)み崇敬するは、我ら公卿としては当然の責務でおじゃる。御霊を(まつ)る寺院は言わば、冥土における歴代の王陛下たちの宮におじゃりまする。王の宮は、この世で最上の物でなければなりませぬ」


 すかさず前嗣が厭味たっぷりに(さえず)る。治禎はそれを射殺さんばかりに睨むが、あながち間違ったことを言っているわけではないので下手な反論はできなかった。


「そもそも寺院建立に際して、お二方は治天の玉座に誓われたはずでおじゃるな……。"全身全霊をもって、一切の妥協なく御身らの御霊を祀る宮を創建いたしまする"と。にも拘わらず、それを自らの器量と財力が不足しておるからと申して、()()()をのたまうと()うなら、(みことのり)として奏上した誓いに背くと、取られかねぬでおじゃるな」


「ぐっ!」


「そ、それは――」


 ここでいう治天の玉座とは、かつての王が座った玉座であり、今は歴代の王の神体として祀られているのだが。


 王家が途絶えてから呪詛に近い力が堪っており、その玉座に祈願し誓約したことを『(みことのり)』といい。必ず遂行しなければ、文字通り何の比喩もなく死を賜る。


 不用意な発言ひとつで反故にしたと見做された例もあるため、二人ともこれ以上迂闊な言葉を口にすることはできなかった。


「まあ、お二方にかぎってそれはなかろう。治天に必ずやと堅く誓約なされたことを反故にするなど、(おみ)たる我ら公卿にとってあるまじきこと……。しかとお役目を果たしてくだされると麿は信じておる故な」


 つまり、これで二人は完全に退路は断たれた。


「まあ、時間はたっぷりとあるでおじゃる。ゆっくりと考えて見ることでおじゃるな」


 愕然とする二人に、是叡は止めの一言(最終通告)を宣告した。

 









「あっんの腐れ下種がぁっっ!!」


 一条宮邸からの帰路、牛車の中で治禎は爆発していた。それを同乗していた清聡がなだめる。


「お、落ち着いてくださいませ、老公。それにお声が大きゅうございます……」


「これが落ち着けてたまるかい!!」


 しかし、老公の憤激の前には焼け石に水でしかなかった。


「わしらかてない袖なんて振れるかいな! 是叡の阿呆もそれがわかっとって、あんな無理難題をふっかけよったんや!」


「やはり、そうなるであらしゃいますか。まあ、是叡殿の意に背いた時点でおおよそ覚悟はしとりましたが……」


 清聡も嘆息をこぼして、改めて自分たちが摂権を敵に回したことを痛感していた。


「それこそ今更やろうが。これが茨道になることもな……。それでどない思う?」


「どうとは?」


「決まっとるがな。今回の鎮守府将軍任官の件や。いくらなんでも急や思わんか?」


「……是叡殿は元々性急な気質の持ち主な上に気紛れな方であらしゃいます。今回もそういった類では?」


 しかし、清聡の言に治禎は頑として首を縦には降らなかった。


「わしは、どうも気に入らん。何もかもができすぎとるにもほどがある!」


「できすぎ……であらしゃいますやろか? 確かに今回の一件で、應州のみならず、我ら五大摂権家もまた割れました。老公はこれが仕組まれたことであると? 何か確証がおありで――」


「あるかいな。そんなモン」


 しれとのたまう老公に、清聡はガクッと肩を落とした。


「ただ強いて()うなら……長年の勘と嗅覚やな。ここ最近きな臭い匂いがして敵わんわ。まるで誰ぞの(てのひら)で踊り回されとるかのような」


「はあ、勘と嗅覚であらしゃいますか……。さすがに老公は年季が違いますな」


「阿呆! 感心なんぞしとる場合か。事はお主にも、お主の妹御の嫁ぎ先(大樹家)にも及ぶことなのやぞ! お主がしっかりせんでどないする!?」


「は、はい。もちろん承知しとります。私も摂権家の当主として、是叡殿の専横は目に余るものがありますし。これ以上容認でけることではあらしゃいまへんから。それに何よりも――」


「せや。我ら公家の時代など疾うに終わっとる」


 清聡の言葉を、治禎は重苦しい声で引き継ぐ。


「今更、武家どもを根絶やしたかてどうにもならん。もはや、公家に……我ら五大摂権家にこの国を治める力なぞないわい」


 いくばくかの寂寥をにじませながらも、はっきりと断言する老公に清聡も神妙な面持ちでうなずく。


「ええ。そんな我らにできることは、この国を治めるに相応しい器量を持つ、新たなる君主に明け渡すことのみであらしゃいます……」


「ふん! もっともそないな甲斐性がある(モン)が、本当(ほんま)にいるかどうかすら怪しいもんやがな」


 治禎はどこか自嘲するかのように吐き捨てる。


「そないことはあらしゃいまへん。悠永(はるなが)殿に妹婿の義圀(よしくに)殿は何れも英傑な上に、その息子である義正(よしまさ)樰永(ゆきなが)君は言わずもなが、あの殯束(もがりづか)上條(かみじょう)の総領息子たちも若いながらも相当な武人だそうであらしゃいますし。塚尭(もりたか)殿ら三管領家もおります。彼らなら、このどうしようもない乱世を終わらせることができるはずであらしゃいまする……」


 祈るように言う清聡に対し、治禎も「できれば、そう願いたいもんやな」と大きく息を吐き出した。


「せやけど、少なくとも芦藏の小僧は違う」


嵩斎(たかとき)殿のことであらしゃいますやろか?」


「……以前、頼嵩(よりたか)の名代でわしらに謁見した時のことをお主も覚えとるやろが。あ奴の眼は底が知れん射干玉(ぬばたま)の闇が轟いとった。係わる(モン)の一切を問わず、すべてを呑み込み巻き込んで圧し潰す闇がな……!」


 治禎の言葉に清聡は半信半疑という面持ちだ。


「まさか……。いくらなんでも考えすぎではあらしゃいませぬか? 終始、嵩斎殿の我らへの応対や立ち振る舞いといった礼儀作法は完璧の一語であらしゃいましたし。そない敵意のようなものは……」


(ちゃ)う。敵意なんてわかり易いものやない。アレは()うなれば、"憎悪"が形を取りおったような"怪物(もののけ)"そのものや……!」


「憎悪? いったい何に対してであらしゃいますやろか。まさか、我ら『公家』に対してとでも……?」


 清聡の問いに、治禎はいらだちまじりの声を出す。


「……それがまるでわからへんから不気味なんやろうが。もしかすれば、そんな単純なことやないやも知らん。まあ、それも勘でしかあらへんが、何れにせよ……」


 そこで言葉を止めると、拳を強く皮を突き破り血が滴るほどに握って断言した。


「あないな類の男に、この国を、我らの愛すべき倭蜃国を委ねられるかいな……! やからこそ、あの小僧に鎮守府将軍なんて強い権限のある役職なんぞを与えるわけにはいかへんのや!」


 鎮守府将軍とはその役職上、広大にして豊かな應州の軍事・統治を担う事実上の支配者だ。


 加えて、應州はそもそも芦藏の領地だったこともある。今では鷹叢の領域である北應州でも慕う国人や民は少なくない。


 そこへ、そんな強大な権限(チカラ)を与えるには、あの芦藏嵩斎という男は危険すぎる。


 治禎が今回の一件に反対票を投じた最たる理由だ。


「しかし、我々にしても猶予はあまり残されておりまへん。まさか治天の詔を、このような形で利用されることになろうとは思いまへんでした……」


「せや。それが一番の問題(ネック)であり痛恨の極みやな……! 最悪、わしらは死ぬにしても、その前にあの腐れ小僧を引きずり下ろさにゃ、死んでも死にきれへんわ……!!」


 と、親指の爪を噛む老公に清聡は珍しく強い声で諫めた。


「そない捨て鉢な気持ちでは駄目であらしゃいます」


「ん?」


「生あるかぎりは諦観を振り捨て人事を尽くしましょう。それが国に尽くすということでしょう」


 その言葉に、老公も珍しくニヤリと笑みを作った。


「せやな。お主の()う通りや。覚悟は当然。されど神妙になるんは最後の最後であるべきやな」


「はい」


「そうと決まれば手を打たなあかん。ここまでコケにされて黙っとれるかい」


 心機一転とばかり手を打つ老公に、清聡も大きくうなずいた。


(義正、樰永君。私も私にでける戦をやるよ。せやし、君たちも頑張れ!)

次回も16時更新です。

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