第弐章 大蜘蛛の巣中 間章 一 竜騎出征
今回は、アフリマンを奪われたセフィロト側の動向とアイアコスの半生を語る回になります。
西界――『セフィロト専制帝国』第八都市『ホド』
帝都『ダアト』を含む十一の都市の中でも、峻嶮なる山々によって守られた、肥沃な平原と草原に恵まれ、駿馬や古代種『竜族』の末裔たる飛竜が生まれる天地にして天然の要害。
飛竜の育生と騎乗、騎射技術に長けた遊牧の騎竜民族の土地である。
主に飼育されている飛竜は、祖先たるかつての竜族のように人語を介することも、強大な力も持たぬ種であり、牙や爪、一属性(火・水・風・土)のブレスぐらいしか攻撃手段が存在しない。
だが、飛翔という観点においては、グリフォンやペガサスといったトップクラスの聖獣にも引けを取らぬ速度と突破力を誇るホドの民の相棒であり、ホドの軍事力――延いては帝国の軍事力を支える存在だ。
さらに山々は要害の役目のみならず、魔除けの力を保有する『ミスリル』と非常に強い硬度を持つ『オリハルコン』などの鉱脈が豊富な資源地でもある。
さらに近年では鉱山業をはじめ、上記の鉱物や硝子を加工する殖産興業が普及したことで羊乳や羊毛、馬乳酒と並んで莫大な財源となってホドを支え栄えさせている。
殊に、ミスリルとオリハルコンは強力な武器への加工が向く随一の軍需資源でもあり、剣、槍、鏃、甲冑などに使われる。飛竜と並ぶホドの強大な軍事の主力にして象徴である。
そして今、この帝国の一翼を担う強大無比なる都市が、遥か東の国へその牙を剥こうとしていた。
樰永たちが上洛を決意したのと、ちょうど同時刻。日が出はじめた明け方。
肥沃なる草原で、翼手を雄々しくはためかせた飛竜が、赤・青・緑・茶、鮮やかな四色ごとに十頭づつオルドに繋がれている。これがホドの民の移動手段であり遠征手段だ。
そして今、計四十頭の飛竜に繋がれたオルドの竜車を、民族衣装に身を包んだ人々が見送っている。
より正確にいうなら、オルドの竜車に今乗車しようとしている黒鉄の甲冑に身を包んだ領主を。
その視線は何れも深い崇敬の念を湛えている。
「では御武運を太守様……」
その中でも長老格の老人が進みでて、己らの領主である黒鉄の騎士――アイアコスに拱手する。
「ああ、留守を頼む」
アイアコスも鷹揚にうなずく。
その横にはリュカとレイヴンが控え、後ろには、銀のロングヘアーに琥珀色の瞳を持つ凛々しさを宿しながらも誠実さを感じさせる美麗な顔立ちをした少女と、茶が入った黒髪を後ろでまとめた、少し年齢より老けた感がある厳つい相貌の青年がいる。
老人は、その青年に視線を移して言い聞かせる。
「カラコム。そなたも太守様をしっかりとお守りするのだぞ」
「言われるまでもないですよ、チャガラ爺。アイアコス卿は俺たちが身命に代えてもお守りします」
長老の叱咤に青年――カラコム・ソジムも拱手して応えた。
ホドの若者の中でも年長格でまとめ役を担っている青年だ。また飛竜の乗り手としても名高く、騎射技術も卓越しているなど戦者としても優秀のみならず実直な人柄と堅実な気質で軍をまとめる有能な指揮官でもあり、現在はアイアコスの側近を務めている。
隣の銀髪の少女――シャリネ・ゲリュオンも続いて拱手する。
彼女もアイアコスの側近のひとりであり妹弟子とも言うべき存在でもある。ホドの出身ではないが、優秀な騎士であり、飛竜の騎乗も難なく習得し、飛竜の騎兵隊を率いての電撃作戦を得意とする名将だ。さらには、アイアコスと同じく神に愛でられた神座王でもある。
「このシャリネも及ばずながら力になります」
「ユリアもです! ユリアだってお師匠さまのお役に立ちます!!」
するとさらに下から、ふさふさな犬耳と尻尾をピコピコと振りながら、月のような白銀に輝く長髪の童女――ユリア・シルグヴァインが飛び跳ねて追随する。
こちらは血縁で言えば、アイアコスとリュカの姪に当たり、幼いながらアイアコスの直弟子でもあり、この歳で既に並みの騎士を相手にもしない凄腕の剣士だ。
「ええ。そうですね」
シャリネは、そんないじらしい童女の頭を優しく撫でた。
「さて準備は整いました。時間です、伯爵」
リュカは懐中時計を見やると主に促す。それにアイアコスも大きくうなずき、右腕を天にかざして宣言する。
「ああ、行くぞ。目指すは倭蜃国! 目標はカルドゥーレの捕縛とアフリマンの回収だ! 我らが女帝陛下の光輝に刃向かう者に誅を下す!!」
『はっ!!』
号令に臣下たちも最敬礼と拱手をもって応える。
そうしてアイアコスらがオルドに乗車した後、御者が手綱を引くと、飛竜たちはいっせいに、日が差しはじめた天へと翔けあがった。
このオルドは、かつてホドの先祖がセフィロト以前の大帝国として栄えた時代の可汗専用の特注品だ。
内部は空間歪曲の魔術により見た目以上の広さとなっており、100~300人は入れる仕様となっている。
部屋も100を超えるほどあり、執務室や謁見室、厨房、食糧庫、厩もあるなど、内装や造りこそ質素だが、さながら動く城塞に等しい。
ホドは前述の通りセフィロトの領地ながら、この地で生まれた駿馬や飛竜を自在に操る騎竜民族が住まう遊牧の地であり、彼らは草原に生まれたことを誇りとしているため元来独立徒歩の精神が強く、前任の領主の専横もあって、余所者を領主として据えることをかなり忌避していた。
にも拘らず、中央から派遣された余所者でしかないアイアコスに、ホドの民たちがこの可汗専用のオルドを使わせるということは、彼が信任するに足る指導者であり優秀な将帥である証だ。
それは今や形骸化しているとはいえ、最上位の称号である天可汗を贈与されていることからも窺い知れるだろう。
そして、当の騎竜民族の信任すること篤い太守は四人の重臣に愛弟子ひとりとともに、謁見室で、これからのことの話に入っている。
「それで兄さん。一口に倭蜃国とはいってもどこへ行くべきでしょう?」
倭蜃国の地図を見ながら、シャリネは顎に手を当てて思案顔になる。その隣でカラコムも難しい顔で唸るように言う。
「確かに……我が国ほどではないとはいえ、倭妖も狭いわけではありませんからな……」
すると、ユリアがどこから取り出したのか、木の棒を地図の上に置いて言った。
「なら! この棒が倒れたところへ行きましょ……ふぎゃ!」
それをリュカが軽い拳骨を落として黙らせる。
ユリアは患部を擦りながら、しょぼんと半泣きで「いいアイデアだと思ったんですが……」とつぶやいた。そんな彼女を、レイヴンは苦笑しつつ頭を撫でながら慰めてあげた。
「……伯爵。冗談はさて置いて実際どうしますか? 僭越を承知で提言しますが、同じ神座王同士で気配をたどれないのですか? シャリネ、おまえはどうだ?」
「難しい……と、言わざるを得ない。倭蜃国は特に気の霊脈に龍脈、加えて神気が波打っている場所と聞く。そんな中で特定の刻鎧神威の気配のみを追うのは至難だ」
「はい。そもそも、あの刻鎧神威と契約した者が本当にいるのかどうかすら怪しいところですから……」
二人の返答は芳しいものではなかった。
「チッ。となると結局は虱潰しになるか。」
リュカは舌打ちして毒ずく。
だが、レイヴンは憂いの面持ちでその意見に異議を唱える。
「しかし、伝え聞くアフリマンの凶暴性を鑑みてもそれは得策とは思えません……。もしかすれば、今この瞬間にも新たな犠牲者が出ているという可能性も……」
その言葉に一同の表情も重く緊張に満ちたものとなる。
確かに、その可能性は皆無ではないどころか濃厚というべきだろう。
だからこそ、追手にアイアコスというセフィロトでも最強格の騎士が選出されたのだから。
アイアコスは嘆息とともに、この場での最適解を口にした。
「……やはり、まずは首都へ向かうことが最善か」
「首都? ではかの神都『扶桑京』へですか。確かに、カルドゥーレの行き先としてはありえなくはない選択肢ですし。情報が最も集まる場所ではありますが……」
シャリネは険しい顔で考察を口にする。
「そして何より、彼の国で最も欲深き亡者どもの総本山でもありますな。これは面白い」
一方でリュカは、皮肉めいた意地の悪い笑みを浮かべて茶々を入れるように吐き捨てた。それをレイヴンは呆れた声でたしなめる。
「リュカ様、不謹慎ですよ……」
「事実を言ったに過ぎん。我らがお祖母様の故国は、王亡き後の王都と王権をむしゃぼり尽くすしか能がない白蟻の巣窟だ。武家が台頭する以前の公家摂権時代では、国費の実に八割が公家連中の遊興に費やされたなんて逸話もあるくらいだからな。殊に扶桑京は、その白蟻どもにとっては政権を武家どもに奪われた昨今残された唯一の縄張りだ。大概な厄介が待ち受けていることはまず確実だろうさ」
「……だとしても行かねば話にならん。現状の手がかりはそこだけなのだからな」
家令の皮肉をアイアコスは嘆息で一蹴する。
「はいはい。私とて承知の上ですよ我が主」
リュカは、生真面目に過ぎる主をからかうようにぞんざいな返事を返す。
「当面の目的地は決まった。となれば急ぐか。シャリネ――」
「はい。兄さん」
アイアコスはシャリネを促すように呼び、シャリネも察した面持ちでうなずく。
それと同時に二人の双眸が、十字架の刻印を発現させて発光する。神を統べる王――神座王の証だ。
その現象と同時にアイアコスの身体を黄金に輝く甲冑が覆った状態で顕現し、シャリネの手にも紅色の刀身に黄金の柄を持つ小太刀が顕現する。
彼らが所有する刻鎧神威だ。
「スーリヤ――」
「ウシャス――」
二人が神の名を口にした瞬間に、黄金の甲冑も、紅色の小太刀も神々しい光を発した瞬間に掻き消えた。
だが、それは消滅したわけではない。刻鎧神威の神威を、このオルドと牽引する飛竜に纏わせたのだ。
その結果、オルドの竜車は黄金と橙色を基調にした二連結の戦車と化し、牽引する飛竜たちも全身を黄金の甲冑で固められ、先刻とは比べ物にならない速度―――光速で空を翔けた。
「これで倭蜃国までは数刻くらいでございましょうか?」
リュカの問いにアイアコスは「速度だけならな」と嘆息する。
「それとは別に倭蜃国の領海には、いくつもの結界が張られているという。解呪には手こずりそうだ……」
「さすがはサムライの国……一筋縄では行かぬということですか」
シャリネの言葉にレイヴンもうなずいてこう続ける。
「はい。倭蜃国は王都である扶桑からしてそうですが、結界に特化した法力や呪術に長けた国だそうですし。カイ様の空間転移でも侵入は困難――ッ」
しかし、ここでレイヴンは口を閉ざした。
何故なら、主であるアイアコスから怒気を放たれたからだ。
「"その名で二度と呼ぶな"といったはずだ」
その声は平淡だったが絶対零度ともいうべき冷たさがあり、場を文字通り凍りつかせていた。
「で、でも……!」
それでもレイヴンは主の目を真っ直ぐに見て物申そうと口を開くが、当の主は有無を言わさない。
「"はい"だ」
「……っ」
「あ、あのお師匠さま、レイヴンさんはただ……」
愛弟子が勇気を出して遠慮がちな声で師に意見しようとするが、それをリュカが肩をつかんで制止した。
「リュカ叔父さま……?」
「止めておけ。こればかりは伯爵にとっては禁句だからな……」
そう嘆息をつくと、家令は取り成すように手を叩いて口を開いた。
「まあ、それくらいで許しておあげなさい。コレに限って悪気は愚か、貴方を侮蔑する意図などあるはずがございますまい」
「……」
兜の下で不機嫌な声を漏らした上、レイヴンから露骨に目をそらしながらも、おもむろにうなずく主にやれやれと肩をすくめるリュカは、次にうなだれている少女従者へ厳しい声音で、こう言い聞かせる。
「レイヴン。今後は伯爵か我が主とお呼びしろ。いいな?」
「……はい」
レイヴンは消え入るような声で了解を口にした。よく見ると目尻に涙が堪っている。
それをシャリネは気遣わしげな顔で見る。そして次に、アイアコスを睨むようにキッと見据えた。
カラコムは、そんな主と同僚を交互に見て右往左往な所作をしている。
ユリアも「あううぅ……」と呻き声を漏らし、場の突如として険悪と化してしまった空気に、どうすればいいのかわからない様子だ。
そんな一同の空気を敏感に感じ取ったのか、リュカはまた手を大きく叩いて言った。
「そろそろ小休止といくか。各自、倭蜃国に着くまで自由にしていい。しばらく伯爵をおひとりにして差し上げろ」
その指示に従い、リュカを含む五人は謁見室を後にした。